第113話 セイが泣く

「き、急に走らないで下さい。驚いたじゃないですか」


 シンジに追いついたセイは、非難混じりでシンジに話しかける。


「それで、先ほどの名前は……わぁっ」


 セイは、目の前にある檻のような格子と、その奥にある重厚感が漂う金属の扉を見て感心したように息を吐く。


「なんか、金庫って、思ったよりもイメージのままなんですね」


「……そうだね」


 そんなセイに、シンジはそっけない態度で答える。


(ああ……どうしよう。まだ怒ってる)


 そのシンジの様子に、戸惑うセイ。

 実際、シンジのこの態度は怒っているのではなく、ただ先ほどの名前付け対決で負けたことを引きずっているだけなのだが。


「……さて、どうしようかな」


 シンジは、金属の格子を見ながら悩む。


「えっと……その、先ほどの、先輩のとても強くてカッコいい技で、壊せないんですか?」


 シンジの機嫌をとろうと、セイは名前に触れずにシンジの技そのものがカッコいいと褒めながら提案する。


「常春さんがカッコいい名前を付けた『炎馬氷鹿蒸(えんまひょうかしょう)』の事? たぶん無理だね。格子を爆発の衝撃で吹っ飛ばすのは難しいと思う」


(ううっ?)


 しっかり、技の名前を強調してセイの疑問に答えるシンジ。

 生半可なヨイショが通じない、やっかいな男である。


「じ、じゃあ、どうするんですか?」


 シンジの機嫌が治らない事に落胆しながらセイは質問する。


「そうだな……」


 シンジは、セイの方を一瞥もせず格子の先にある金庫を見ながら考える。


「魔法も無理だったし……思い込むか」


「え?」


 シンジは突然床に座り始める。


「どうしたんですか?」


「ちょっと、集中したいから、黙ってって」


 そう言って、シンジは目をつむってしまった。

 そして、何かブツブツとつぶやき始める。


「……ココは俺の部屋。ココの支配者は、俺。誰も俺の行動を邪魔しないし、出来ない。だから……開け」


 シンジが目を開ける。

 すると、命令された格子は一人でに開き始めた。


『超内弁慶』


『自宅警備士』の技能。

 能力は、自室にあるモノに命令できる能力。

 銀行そのモノを自分の部屋だと思い込む事で、シンジは銀行を支配した。


 これで、シンジは格子の先にある金庫を開ける事もできるようになった。


「よし。じゃあ、常春さん、行こうか……」


 思い込む事に成功したシンジは、満足気に振り返りセイの方を向く。


「……ぐすっ」


 振り返ったシンジが見たのは、瞳からポロポロと涙をこぼしているセイだった。


「……はぁ? え? どうしたの?」


 突然泣き出したセイに、シンジは困惑する。


「ううぁあああ……」


 セイの泣きがヒドくなった。

 何が起きているか、シンジは分からない。


「いや、マジで、どうしたの? 何? どこかケガでもした?」


 セイに近づき、様子を見るシンジ。

 どこもケガをしている様には見えない。

 ただ、セイが何かを恐れているのをシンジは感じる。


「なんか、ヤバい敵でもいるの? 何をそんなに……」


 シンジの問いにセイは首を横に振る。


「違うの? じゃあ、何で……」


「せ……せんばい……」


 シンジの言葉を遮り、セイが泣きながら言葉を紡ぐ。


「うん。どうしたの?」


「ぜん、ぱい、に……」


 途切れ途切れに話すセイの言葉を、シンジはうなづきながら聞く。


「お、俺に?」


「きっ……」


「き?」


(き……って、何だ? 危険、とかか?)


 シンジは、セイの言葉を待つ。



「き……嫌われたぁあああああああああああああああ」



「…………はい?」


 そこまで言うと、セイは盛大に泣き出した。

 うるさいくらいの声だ。


「ん? 何? 俺に嫌われたと思って泣いているの?」


「ごめんなさいぃいいいい」


 叫ぶように謝罪をしながら、セイは泣き続ける。


(……マジか)


 生き返ってから、セイの様子がオカシいことをシンジは知っていたが、この事態は予想外だった。

 シンジのイメージでは、セイはこのようにわめき散らすような泣き方をする少女では無かったのだが。

 まだ終わりそうにないセイの泣き声を聞きながら、シンジは考える。


(どうしようかな……このまま放置していたらさすがに可哀想だし。でも、なんて声をかけたらいいのか)


 セイが泣き始めた理由は、先ほどセイが言った事で何となく理解した。


 確かに、名前付け勝負で負けて悔しいからと少しセイに対する態度が悪かったとシンジも思う。


 だが、それで損ねてしまったセイの機嫌を元に戻すにはどうすればいいのか。


(なんか、こういうとき、抱きしめてあげると、泣き止むパターンが多いけど)


 シンジが思い浮かべたのは、恋愛ドラマとかでよくある、喧嘩したカップルが抱き合うことで仲良くなるシーンだ。


 雨振って、地固まる。

 といえば聞こえが良いが、シンジからしたら、『イチャイチャするために、喧嘩したんじゃねーの?』

という感想だ。


 セイの、鍛えられているが柔らかい体を触る口実になるため、抱きしめる案は悪くないが……


(……ああ、もう! とにかく、謝るか)


 シンジのセイに対する態度が悪かったのは事実なのだ。

 その点を謝ることがまずは先決だと思い、シンジはセイを見る。


「うう……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 少しだけ泣くのは収まったが、セイはまだ謝罪の言葉をつぶやいていた。

 壊れた機械のように。


(……いや、違うな)


 セイの様子を見て、シンジは謝罪する事をやめた。

 それよりも、する事がある。


「どうして、謝っているの?」


 シンジは、セイに質問を投げかける。

 努めて、いつも通り、気さくに。


「だって、だって、私、先輩にヒドいことを言って……先輩にイヤな思いを……」


 シンジの投げかけた疑問に、セイは息を詰まらせながら答える。


「いや、俺はイヤな思いなんてしてないよ? 全然、まったく」


 そう言って、シンジはセイに笑顔を見せた。


「……っ。でも、でも先輩、怒っていて……」


「怒ってないって。ちょっと集中してただけ。『超内弁慶』の事は、説明したでしょ?」


 シンジに言われ、以前、夕食を食べている時にカフェで説明された事をセイは思い出す。


「本当に、怒っていないんですか? ……嫌ってないんですか?」


「うん。全然。なんなら、抱きしめてあげようか? 嫌っていない証拠に。恋愛ドラマとかでよくあるけど」


 言いながら、シンジは両手を広げる。

 そして指をわしゃわしゃと動かした。

 この手に抱きつかれたら、確実に色々な所を色々と触られるだろうと確信できる動きだ。


「うっ……け、けっこうです。大丈夫、です」


 両手を合わせ、指をもじもじと動かしながらセイはシンジの提案を拒否する。


「そう、分かった。じゃあ、行こうか。金庫を開けないと」


 シンジはセイから目を離し、金庫の方を向く。


(……これでとりあえずは大丈夫、かな)


 セイから恐怖が薄まっているのを確認して、シンジは少しだけホッとする。

 まずは、謝罪よりもセイを安心させてあげることを優先したことは、間違っていなかったようだ。


(……まぁ、好きな男の子に『殺人鬼』と言われて殺された後だもんな。色々精神的に不安定になってしまうのも分からなくはない、か)


 セイの事情を考えたら、先ほどのセイの行動は、当然かもしれない。


(でも、このまま続くようなら……)


 シンジは、横目でセイを確認する。

 恐怖は薄まっている様だが、代わりに警戒が強くなっている。


 シンジに嫌われたくないという、警戒だ。


 シンジは、目の前になる金庫の扉を見る。


(有れば、何とか出来るかも知れないけど、無いと、ちょっとなぁ……)


 シンジは金庫の中身に期待しながら、重い扉を開けた。


 すぐに閉めた。


「……?」


 その様子を見て、セイは不思議そうに首をかしげる。


「……マジか」


 シンジはうなだれる。

 少しだけ危惧していた事が、現実に起きていたようだ。


 しかも、想像以上にヒドい。


「どうしたんですか?」


 シンジの様子を心配して、セイが近づいてくる。


「ああ……ちょっとな」


 セイの問いかけに顔をしかめながら、シンジは答える。


「中に、何かあったんですか?」


 そう言いながら、セイは自分も確かめようと、金庫の扉に手をかける。


「待った。ストップ」


 そのセイの手を、シンジは掴んで止める。


「……どうして、ですか? 私が、役立たずだから、ですか?」


(……あっ、ヤバい)


 掴んだ瞬間。

 自分の選択がミスだとシンジは気づく。

 セイの警戒が、後悔に代わり、恐怖に移行している事を、シンジは感じた。

 徐々に、セイの目に涙が溜まり始める


「わ、私は、先輩に恩を返したくて、それで……」


「分かった分かった。開けるから、一緒に見よう」


 そう言って、再びセイの瞳から液体がこぼれそうになるのをシンジは止める。


「い、いいんですか?」


「いいけど……でも、中の光景は、あんまり良いモノじゃないからな。特に常春さんにはかなりキツいかもしれない……」


「大丈夫です! 先輩が見たモノは、私も見たいです!」


 先ほどの態度とは一転して、元気いっぱいに答えるセイ。


「俺は、こんなモノ、見たくなかったんだけどな」


 言いながら、シンジは、とても重い金庫の扉を、ゆっくり開ける。

 ゆっくり、ゆっくり。

 その光景を再び見ることを、戸惑うように。


「……うっ」


 金庫の中身が見えたセイは、即座に口元を押さえる。


「……ひでぇよな」


 金庫の扉を開けきったシンジの鼻に、遅れて血と生臭い空気が届き、悲しみと苦しみをシンジの体に広げていく。


 金庫の中身は、女性だった。


 服を剥かれ、汚され、傷つけられ、そして体を動かせないように拘束され……道具でいたぶられ続けている死鬼と化した女性達だ。


 胸元に、先ほど出会った女性の死鬼と同じような、丸い穴が空いている。

 もちろん、金庫の中に金など無い。


 その凄惨な光景に、シンジはこれから自分たちを襲いかかってくるかもしれない困難を、感じずにはいられなかった。

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