第107話 地獄が始まる

 地獄


 地下の牢獄と書くこの言葉は、主に人が死んだときに行く最悪の場所を意味している。


 この世にある様々な宗教が、地獄の恐ろしさを決め、伝えることで人々の感情にすり寄ってきた。


 そう、地獄は、恐ろしい。

 どんな場所よりも、地獄は恐ろしい場所なのだ。





「ねぇ、また行くの?」


「うん。皆、おなか空いたでしょ? ちょっと、何かないか探してくるよ」


 そう言って、短めの髪な浅黒く日焼けした、一見少年と見間違うような体操服を着た少女が、立ち上がる。


 彼女の名前は今夏 陽香(いまなつ ひろか)


 私立雲鐘学院女子初等部に通う、小学5年生、11歳の少女。


 無駄な肉が一切無く、健康的な肉体を持つ彼女の見た目は、まさしく快活という言葉がふさわしい。


「でも……外は、危ないよ? そろそろ暗くなる時間だし」


「だから今のうちに行かないと……もう、昨日持ってきた食料は食べちゃったしね。まだ食堂には沢山あったから……もしかして、ネネコちゃんお留守番が怖いの? ヒロカがいないと不安?」


 そう言って、ヒロカはネネコと呼ばれたウェーブの入った黒い髪をツインテールにしている少女の頭をなでる。


「違うって、不安とかじゃなくて、ヒロカがドジらないか心配で……」


「へー心配してくれてるんだ。ネネコちゃんに心配してもらえるなんて……くぅー可愛い奴め。うりゃうりゃうりゃ」


 ヒロカは、ネネコの頭をなでる力を強めていく。


「ちょっ、もう、痛いから、やめてよ」


「あー可愛いなぁ。ホント、可愛いなぁ。髪の毛超サラッサラ。サラッサラ。よく校門の前でネネコのおっかけしている変態達が警備隊の人に連れて行かれているのを見ていたけど、今ならその人たちの気持ちが分かるよ。ああ、いつまでも触っていたい」


「ヒロカ……」


「ほんと、コレやばい。なんか、指から気持ちいい。ああ可愛いよネネコ。気持ちいいよ、ネネコ。さすが、雲鐘学院の芸能人の頂点に位置する、スーパーアイドル、ネネコ。マジやばい。アハ、アハハハハハ……」


「さっさと行けやこの男女!」


「ぐふっ」


 ネネコの拳が、正確にヒロカの顎を打つ。


「ヒ、ヒドい。ただ、親友の頭をなでていただけなのに」


「私的には、ただの変態になでられた気分だよ」


「そんなぁ……」


 辛辣なネネコの言葉に、落胆するヒロカ。

 快活さが、どこかに消えている。


「まったく……私がアイドルって呼ばれたくないの知っているでしょ? ヒロカと一緒で。ヒロカは、なんて呼ばれたいの? 変態?」


 そんなネネコの問いかけに、ヒロカは親指を立てて、答える。


「決まってるじゃん。『ヒーロー』だよ」


 快活さを取り戻し、ヒロカはネネコ達の元から立ち去った。



 私立雲鐘学院。

 優れた教員と、最新の設備、環境を整えている雲鐘学院は、高所得者の子息が通う学園として有名である。

 が、もう一つの側面も持っている。

 それは、世界中の、あらゆる分野において才能を持っている子供達を集め、育成も行っている最高レベルの教育施設という事だ。


 その分野は極めて広く、学問やスポーツ、芸術、芸能、はたまた超能力のような奇跡的な行為まで、様々な才能を集め彼らを育成している。


 ヒロカは、その雲鐘学院の女子学部に身体能力のみで推薦され、高額な授業料を免除された、いわゆる天賦の才を持つスポーツ少女だ。

 陸上、水泳、新体操、テニス、バレー、サッカー、剣道、空手、柔道、レスリング…………

 あらゆるスポーツをヒロカは経験し、全てにおいて好成績を叩き出している。


『どのスポーツで、金メダルを獲得するのだろうか』


 周囲の大人達は、ヒロカにそんな夢を乗せていた。


 だが、ヒロカの夢は金メダル(そんなモノ)ではなかった。

 ヒロカの夢は、趣味でもあり、興味でもあり、関心でもあり、憧れでもあり、大人達から、バカにされるようなモノだった。


 それは、『英雄(ヒーロー)』


 テレビに出てくるような、凶悪な化け物を倒し、弱い人を助ける正義の味方。

 それにヒロカは憧れていた。


 もちろん、もう10才になり、ある程度世の中の事が分かるようになってきたので、現実には『ヒーロー』なんてモノは存在しない事をヒロカは、理解はしていた。


 なので、将来は、そのたぐいまれな身体能力を生かし、アクション俳優になってヒーローモノのテレビに出る事を……妥協した夢で、ヒロカは持っていたのだが。


 どうやら、妥協した夢ではなく、本当になりたい夢が叶いそうだとヒロカは思い始めていた。

 

 世界が変わったから。




「シャインハーンド!」


 教室の一角にて、ヒロカの手がクロスしながら、それぞれの両手の先にいた、彼女と同年代の少女たちの頭部を叩く。


 それは、一見、放課後の教室ではしゃいでいる女学生たちの光景だ。


 だが、ヒロカ以外の女子には、その額に鉛筆の太さほどの角が生えており、ヒロカに角を折られた少女達は、その体をバラバラに崩し消えていった。


「皆…………安らかに眠ってね」


 消えていった少女達の角を、大事そうに握りしめるヒロカ。


 世界が変わったのは、3日前の事だ。


 その変化は、ヒロカがスポーツの特待生として、他の生徒よりも多めにカリキュラムに取り入れられている体育の授業に参加している時、突然起きた。


 最初のきっかけは、広大な敷地を持つ学園の内部に、変質者が現れた事だった。


 いわゆる、お嬢様たちと呼ばれる少女や、芸能的な才能が認められた容姿に優れた少女達が多数集まる雲鐘学院の女学部では、変質者が進入を試みる事は、実はよくあることではある。


 だが、当然、学院には国内でも有名な警備会社の警備員が配置され、また、学院に通う高所得で高貴な方々の専属の護衛も配置されており、変質者が学院に潜入出来た事は、過去に一度しかない。


 その過去の一回も、実は院内で働く職員が変質者であったというモノで、それを除けば、外からの侵入者は0だ。


 ならば、なぜ学院に変質者が進入出来たのか。

 その答えは、単純だった。


 変質者が、一人では無かったから。

 変質者が、暴力などに屈するような、心を持っていなかったから。


 変質者が、死体だったから。

 死鬼という、動く死体の、化け物だったから。


 一体や、二体の死鬼だけなら、警備の人たちでどうにかなっただろう。


 だが、雲鐘学院は比較的都会に作られた学校であり、また周囲には沢山の人が、生活していた。


 その沢山の人が、化け物になって襲ってきたのだ。


 その数は数百を越えていた。


 結果、数名の警備と護衛だけで数の暴力に耐える事が出来ず、雲鐘学院は死体と死鬼と、そして魔物があふれる死の世界へと変わった。



 そんな環境の中、ヒロカは今まで生き残っていた。


 死鬼を殺す方法を、早いうちに知ることが出来たからだ。


 ヒロカが、初めて死鬼に出会ったときその死鬼は女子生徒を襲っていた。


 その女子生徒こそ、ヒロカの友人、ネネコである。

 才能あふれる人材が集まる雲鐘学院において、容姿の良さで入学を認められた、美少女。

 ネネコは音楽を学び、歌手になりたがっていたが……現在は、アイドルや女優のような活動をしている。

 そういった意味ではヒロカと同様、本人が進みたいと思っている道に中々進めない少女という事であり、その点でヒロカとネネコは、気が合い、友人になっていた。


 そんな話はさておき、その死鬼はネネコを襲う事に夢中になっていた。

 男性の死鬼だ。

 美少女を襲いたくて、たまらなかったのだろう。

 ヒロカの存在に、まったく気づいていなかった。


 ヒロカはあらゆるスポーツを経験しており、特に格闘技に力を注いでいた。

『ヒーロー』になるために。

 必死に抵抗しているネネコの顔面に食らいつこうとしている男性の顔面を、ヒロカは蹴り上げた。


 その時、偶然ヒロカの足は男性の額から生えている角を蹴り飛ばした。


 崩れていく、男性の体。

 鳴り響く鈴の音。

 落ちている段ボール。


 ヒロカは、こうして死鬼を倒す方法を会得したのだ。


 ヒロカは、この3日間、ドンドン、死鬼の角を折り倒していった。


 次々と死んで、化け物に変わっていく友人達に涙しながら。

 そして、自分の夢が叶いつつあることに、わずかながら昂揚しながら。


 ヒロカは、戦い、生き残っている。


「……もう、生き残っている人は、いないのかな」


 物音が聞こえたので、教室に入ってみると、中にいたのは、死鬼に変わっていた女の子たちだった。

 生き残った子かと、少しだけ期待したのだが。

 そんな少女達を倒したヒロカは、教室を出て廊下を進む。


 すると、正面から何かがやってきた。


 豚と猿を合わせたような化け物。

 ゴブリン。

 3体いる。

 このゴブリンも、3日前から急に沸き始めた化け物である。


「スターライトキーック」


 そんなゴブリンを、なんのためらいもなく蹴り飛ばすヒロカ。

 ヒロカに蹴られたゴブリンは、体中の骨がぐちゃぐちゃに折れ、絶命した。


 蹴り飛ばした先から、まだゾロゾロと、ゴブリン達が沸いてくる。

 十数体はいるだろうか。


「もう、早くしないと、ネネコちゃん達が待っているのに」


 そんな大量のゴブリンを見ても、ヒロカは一切怯む様子を見せない。


 それはそうだろう。

 彼女は、これまでに大量の魔物も倒し続けてきたのだから。


 ゴブリン程度、一〇〇匹来ても、大丈夫。

 そういった心境だ。



 数分後。



「よし。今回も完璧楽勝!」


 ゴブリン達の屍の中、ヒロカは手を上げ、勝ちどきをあげた。

 同時に、ヒロカの耳に鈴の音のような小気味良い音が流れてくる。


「うーん。また強くなれたみたいだね。力があふれてくるよ」


 ヒロカは、楽しそうに体を動かす。


「少しは、近づけたかなぁ」


 憧れの、『ヒーロー』に。


 死鬼に変わった人を倒すほど。化け物を倒せば倒すほど、強くなっていく自分にヒロカは、嬉しそうに頬をゆるめる。


「…………あ、やば。早く食堂に行かないと。ネネコちゃん達が心配しちゃう」


 ヒロカは、手にしていた黄色の小型のスマートフォンのような端末に表示されていた時刻を見て、慌てて走り出す。


 道中、またゴブリンや死鬼に変わった女子生徒たちが現れヒロカの歩みを止めたが、ヒロカは何の問題もなく彼らを倒していった。




「ただいまー。帰ったよー。ここを開けてー」


 食堂で様々な食料を確保したヒロカは、皆が潜伏している音楽室の扉を叩く。


 今、音楽室に避難しているのは、ヒロカとネネコを合わせて、12名だ。

 それぞれ、学年は違う。ヒロカとネネコが逃げている最中、偶然出会った人達である。

 ちなみに、音楽室に避難したのは、音楽室が校舎の最上階に位置しているからとその部屋のカギを普段練習で使うため、ネネコが持っていたからである。


「色々持ってきたよー。ジュースにパンに。お菓子も沢山!」


 ヒロカは、パンパンに食料が詰め込まれているカバンを自慢げに掲げる。

 その量は、12人で分ければ一日しか持たないだろう量であるが。

 無くなったら、ヒロカが調達いすればいいので、問題は無い。

 


 ヒロカ以外の少女は死鬼と戦えないが、だからヒロカは動くのだ。

 困っている人を助けるのが、『ヒーロー』である。


 だが、そんな『ヒーロー』は立ち往生していた。


 今、音楽室は内側から鍵がかけられており、外から進入出来ないようになっている。

 なので、ネネコ達に鍵を開けてもらわなくてはいけないのだが。


 返事が、ない。


「あれ? おかしいなぁ……どうしたんだろ? 皆ーどうしたのー?」


 いつまでも返事がないので、ヒロカは自ら音楽室の扉を開いてみた。


 ……開いた。


 鍵がかかっていない。


「あれ? ネネコ? 皆……?」


 安全のためにヒロカが出て行った後は、必ず鍵をかけるようになっていたはずだが……

 ヒロカは、慎重に扉を開け音楽室の中の様子を伺う。


「おお、来た来た。スポーツ美少女ヒロカちゃん。待ってたよ」


 音楽室の真ん中に、一人の男がイスのようなモノに座っていた。


 黒いシャツに銀色のスーツを着た、柄の悪い男。

 髪は金色に染まり、いかにも夜の街でホストなどをしていそうな風貌だ。

 その男に、ヒロカはどこか見覚えがあった。


「……用務員の、お兄さん?」


 その覚えを、記憶から呼び戻すヒロカ。

 そう、今目の前にいる男は、昨年、女子生徒達を盗撮していた疑いで学園を首になり、警察に捕まっていたはずの男だ。


 髪の色や服装など、用務員として勤めていた時とは様子がまるで違うので、一瞬誰だか分からなかったが。


「おっ。覚えててくれたんだ。嬉しいね。可愛い子に覚えてもらって、お兄さん嬉しいよ」


 元用務員の男が、ニコリと笑う。

 男は、一見容姿が整っているので、その笑顔は女子ならば思わず頬を染めてしまうような笑顔であったが、ヒロカの表情は険しい。


 当然だ。


 盗撮で捕まった男が、目の前にいる。

 警戒しない理由がない。


「ヒロ……カ……」


 突然、弱々しい声が、男の方から聞こえた。


 ヒロカは、暗くなりつつある音楽室で、目を凝らす。


 よく見ると、男が座っているイスのようなモノは、人間だ。


 ヒロカと同じ、初等部の制服を着ている、少女だ。


 その少女は……


「ネネコ!」


 体を、折り曲げられ、まるで土下座のような姿勢を取らされているネネコ。

 綺麗な顔と髪が、グチャグチャに汚れている。


「美少女小学生アイドルって、イスにしても気持ちがいいんだな」


 ネネコの上に、腰を下ろしている、男。

 その表情は実に満足気だ。

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