第102話 世界が楽しい

 日が昇り、空が白く変わり始めた頃。

 空の上から、規則的な音を奏でる鉄の塊が、学校の校庭に降りてきた。

 全部で3台。


 黒塗りのヘリコプターだ。


 そのヘリコプターから、次々と人が降りてくる。


 救助に来たのだろう。

 まだ、1階の食堂には30人近い人がいるのだから。


 その救助隊をカフェから見下ろしている黒い髪の少女。


 常春 清(とこはる せい)。


 セイはシンジに蘇生してもらった後カフェのソファで眠り、今、寝覚めた所だった。


 カフェのある校舎は校庭から離れているが、元々景色を見るために作られた場所だ。

 少々カフェだけ出っ張っているような作りになっているため、セイは校庭に降りたヘリコプターをよく観察することが出来た。


 ヘリコプターから降りてくる人は、皆よく訓練された兵士のような人たちなのだが、一人だけ明らかに場違いな格好の者がいる。


 学校の制服を着ている少年。


 駕篭 獅子斗(かご ししと)だ。

 彼の後ろに、ロナやユイもいる。


 後ろからロナとユイがシシトの両腕にからみついて何か揉めている。


 声は聞こえないが、会話を想像するとこんな所だろうか。




『コラ、シシト。勝手な行動しない! アンタが言うから、私がなんとかお願いして、このヘリに乗せて貰ったのよ。大人しくしていなさい』


『でも、急がないと、百合野さんが……』


『急がば回れ、って言うでしょ。ほら、シシト、回ろうよ』


『やめてくれー』


 ユイにシシトが振り回される。

 ユイに振り回されているシシトを見てロナは笑い。

 シシトもユイも楽しそうにじゃれ合っている。

 その3人の姿は、とても幸せそうだった。





「……くだらない」


 そんな光景を見てセイは、捨てるように言う。

 本当に、くだらないやりとりだ。

 遠くから見ることで、客観的に見ることで、本当にシシトたちの集団のくだらなさをセイは理解した。


 ロナはシシトを偽りの恋人だが愛していて、ユイは明るく天真爛漫のフリをした危険なサイコパス。


 シシトに至っては、正義感を振り回して綺麗事を並べてセイの足を切り落とした。


 そんなシシトが探している、愛している人物はこのカフェですでに死んでいる。

 なのに彼らはのんきにじゃれ合っている。


 まるで、タチの悪いコメディーのようだ。


「ああ、だから、ラブコメ」


 周囲から言われているシシトたちの集団の名前。

 

 その意味をセイはようやく知ることが出来た。


(なぜ、あんな人の事を……)


 そんな集団に自分がいた事をセイが恥じている中、カフェの厨房から一人の少年が歩いてきた。


「おっ、目が覚めた? おはよう」


 シンジだ。

 何かをお盆に乗せて持ってきている。


「……おはようございます」


 シンジの姿を見たセイはゆっくりと立ち上がり、姿勢を正して頭を下げた。


 きっちり45度。

 最敬礼の角度。


 人形のような決まった動き。


「……また、命を救っていただきまして、誠にありがとうございます。このご恩は必ず、必ず返しますので」


 セイは自分で、自分に違和感を覚えた。

 言っている言葉が、やけに無機質なのだ。

 まるで自分が機械にでもなったような、そんな空虚な言葉。


「う、うん。分かった。大丈夫。とりあえず、座ろうか。まだ治ったばっかりだし。安静にしたほうがいいよ」


 それを、シンジも感じ取ったのだろう。

 戸惑いながら、シンジはセイに着席を促し自身もセイの対面のイスに座る。


「……はい」


 シンジに言われるまま、セイはまた人形のような動きでソファに座った。


「あー……とりあえず、コレ、飲んだら?」


 シンジは持ってきた紅茶をセイに勧める。


「……いただきます」


 セイは、その紅茶に口を付ける。


 味がしない。

 香りもしない。

 暖かみも、感じない。

 少し口に含んでセイはすぐにその紅茶を置いた。


「……」


 無言が、二人の空間を埋めていく。


 時計の針の音や暖房の音。

 外から聞こえるヘリや人の声もこの空間に進入出来ていない。


 重い無言。


 居心地が悪い。


 生き返った人と、生き返らせた人。


 二人の関係を考えると、この無言は当然の結果なのかもしれない。

 だが、いつまでも黙ったままでいられるわけがない。


 動いたのはシンジだった。


「……常春さん」


「……なんですか?」


 セイは、ただ口を動かして返答する。


「約束、覚えている?」


「……約束?」


 セイが返答するまえに、シンジは立ち上がり、セイの横に座る。


「……先輩?」


 首を傾げるセイに、シンジは、ニコリと笑い。





「ヨイショオオオオオオオオオオオオオ!」



「きゃっ!?」


 セイを持ち上げた。


「えっ!? なっ!?」


 混乱したまま、セイはソファの端に座らされる。


「先輩、何をっ!?」


 そして、そのまま流れるようにシンジはセイの太股に頭を乗せた。


「っ!?」


「膝枕、してくれる約束でしょ?」


 そう言って、シンジは頭を横にする。


 自分の太股に異性の頭が乗っている。

 熱いぐらいに、暖かい。


 先ほど、淹れたての紅茶を飲んでも感じなかった熱がどんどんセイの体に浸透していく。

 膝枕など経験した事が無かったセイは、どうしていいか分からなくなり人形のように固まった。


 また、二人は無言になる。


 一人は柔らかくて張りのある健康的な太股に上機嫌で。


 一人は、緊張で動けなくて。


 先ほどと同じように、時計の針の音が進入出来ないほどの無言の空間ではあったが、居心地の悪い場所では無くなった。


「……先輩」


 次に、そんな無言の空間を破ったのはセイだった。


「……何?」


 気持ち良さそうにセイの太股を堪能していたシンジは、頭を動かしてセイの方を向く。

「……んっ」

 シンジが動いた事で生じた刺激に少し反応しながら、セイはゆっくりと聞いた。


「……どうして、生き返らせてくれたんですか?」


 聞いて、よかった事なのか。


 言ってしまって少し後悔したセイであったが、もう後には引けない。


「どうしてって、そんなの決まっているじゃん」


 シンジが、軽い口調で言う。


「膝枕して欲しかったから」


「……違いますよね?」


 セイは、重く、言う。


「膝枕なら、私が死鬼のときに命令すれば、出来たはずです。もっと、エッチな事も、何でも出来たはずです。本当は、どうして、私を生き返らせてくれたんですか? どうして……」


 それ以上言うのを、セイは止めた。


「うーん……」


 シンジは若干苦笑気味になりながら、顎に手を当てて考える。


 そして、


「えいっ」


 と、セイの胸を鷲掴みにした。


「ひゃっ!?」


 急に生じた刺激にセイはとっさにシンジを突き飛ばす。


「ぎゃあっ!?」


 テーブルに頭をぶつけながら、ソファからシンジは転がり落ちた。


「あっ……すみません」


 セイは胸を隠しながらシンジに謝る。


 どう考えても、悪いのはシンジだが。


「いや、ゴメンゴメン。でも、やっぱりいいね」


 そう言いながら、シンジは頭を抑えつつ起きあがる。

 そのシンジの表情はどこか、満足げだ。


「え?」


「実はさ、常春さんが死鬼になっている時に常春さんのおっぱいを揉みまくったんだけど」


「何しているんですか!?」


 さらに力を込めて手で胸を隠すようにしながら、セイは怒る。

 その顔は羞恥で真っ赤になっていた。

 どうやら、死鬼になっている状態での記憶は残っていないようだ。


「違うんだよなぁ……」


 感慨深くシンジは言う。


「……何がですか?」


 若干、セイが不機嫌そうに眉を寄せる。


「感触」


「…………は?」


 シンジの答えに、セイはきょとんとして反応出来ない。


「死鬼の状態だと、おっぱいの感触がものすごく悪かったんだよね。体温とかの関係もあるのかもしれないけど。そんな状態の人に膝枕されても、うれしくないなぁってさ」


「……え? は? じゃあ、私を生き返らせてくれたのは、本当に、膝枕のため、ですか? 死鬼の膝枕は、気持ちよくなさそうだから? 生きている私の膝枕じゃないと、気持ちよくない、から?」


「うん」


「私の事が……好きだから、とか。『私を幸せにしたい』とか、そんな理由じゃ」


「ないない。なんで、人の獲物のトドメを刺すような人を好きになるのさ」


 シンジの、そのあまりな理由に、セイは思わず黙ってしまう。


 また、無言になってしまったが、今回の無言は、どこか残念さに満ちあふれていた。


「さてと」


 シンジは立ち上がると、窓に近づいて校庭に止まっているヘリコプターを見た。


 降りてくる人の中に、ひときわ目立った人物達がいる。


 その中の一人に、シンジは見覚えがあった。

 学校一の美少女、ロナ・R・モンマス。

 となると、そんな美少女と戯れているのが、有名なラブコメ男、シシトだろう。


 そのシシトの姿を確認したシンジは、少し苦笑を浮かべる。


「迎えが来たみたいだし、そろそろ行かないとな」


 シンジはそう言って、窓から離れた。


「……行くって、どこにですか?」


 シンジの苦笑を、セイは見ていない。


 セイの問いに、シンジは少し考える素振りを見せる。


「そうだな……こんなボロボロになってちゃ、もう学校にはいられないし、この後、すぐそこのコンビニでコタロウと会う約束していたから、まずはそこに向かって……その後は家に向かうかな? 多分」


(……会えない気がするけど)


 なぜか分からないが、そんな予感をシンジは感じていた。

 シンジが行く頃には、コタロウは多分コンビニにいない。


「やっぱり、このまま皆と避難はしないんですね?」


「ああ、集団行動苦手だし」


 そんなシンジの答えに、セイは意を決したように一呼吸おいて言った。


「じゃあ、私も、連れていってください」


 セイのその答えに、シンジは少々面食らう。


「えっと……外、見てないの? 多分、常春さんの好きなシシトくんが迎えに来ているけど」


「……そんな奴、関係ないです」


「関係ないって……」


 シシトの名前を聞いた瞬間。

 明らかにセイは不機嫌になった。


 シンジは、シシトがセイにした事を知らない。

 だから、シンジはまだセイはシシトの事を好きなのだと思っていた。


「何? 何かあったの? つい昨日まで、シシトくんの事好きだったんじゃ……」


「……それは……」


 セイが、その思い出すだけでハラワタが煮えくり返りそうな質問に答えようとした時。


 急にカフェの扉が開いた。


「ユウィイイイイイイイ!」


 開いた扉の先に、全裸の少年が立っていた。


 少年の額には角が生えている。

 死鬼だ。


「なんだ? コイツ」


 人の名前のような言葉を発している事から、おそらく強い死鬼なのだろう。


 だが、シンジほどではない。

 そしてここはカフェ。

『自宅警備士』、『超内弁慶』のエリア。


 とりあえす、命令して殺してしまおうとシンジが思った瞬間。


 セイが進入してきた死鬼に肉薄していた。


「あっ、おい!」


 セイは、死鬼を殺せないのでは。

 そう思い、シンジはセイを止めようとしたのだが。


「はぁあああああああ!」


 セイは、気合い雄叫びと共に、実にあっさり、進入してきた少年の角を叩き折った。


「ユ……イ……」


 少年の体が角を残して消えていく。

 少年、土屋 匡太(つちや きょうた)は、素材になって死んだ。


「……常春さん?」


 セイは落ちた角を握り、シンジの方を振り返る。


「私、もう死鬼を殺せます。生き返ろうが、同級生だろうが、先輩と同じように、戦えます。これからは、足手まといになりません。先輩が戦っている敵のトドメも取りません。だから、お願いします。私も連れて行ってください!」


 セイが、頭を下げる。

 45度以上の角度。


 機械的ではなく、実に感情がこもったお願い。


(……そういえば、中庭の戦闘の跡。あれ、やっぱり常春さんが?)


 あの悲しげな戦場で、何があったのだろうか。

 足が切れた時、何があったのだろうか。

 シシトと、好きな人と、何があったのだろうか。


 シンジは知らない。

 だが、セイが何か変わらないといけないような事態に遭遇したのだとシンジは理解した。


「……本当に、一緒に行くの?」


 シンジは確認する事にした。

 セイが、どこまで変わったのか。


「はい。一緒に行きたいです」


「俺は、男の人の死鬼を殺すし、女の子の死鬼を新しく保護しても、多分常春さんみたいに生き返らせたりしないよ?」


「はい、当たり前だと思います」


 当たり前。

 シンジはその返答に頭を悩ませる。


「……常春さんに、セクハラするかもしれないけど」


「今更何を言っているんですか?」


 その、セイのきっぱりとした言い方に、シンジはどこか悲しい気持ちになってしまった。

 それは、ついさっきセクハラしたばっかりだった男が思うことではないのかもしれないが。


(……確認するか)

 セイがどこまで変わってしまっているのか。それは知っておくべき事だとシンジは思った。


「実は、ここにいる死鬼の女の子たちも、連れて行こうと思っているんだよね。アイテムボックスにギリギリ入るだろうし。料理上手な子や、色々動いてくれそうな子たちが多いからね。カワイイ子も多いし、連れて行った女の子に、セクハラしまくるだろうけど、それでも来る?」


 そのシンジの言葉に、さすがに嫌そうな顔をしたセイは、少し考え、切り返す。


「……死鬼の体って、気持ちよくないんですよね? それでも、まだ、色々されるんですか?」


 確かにその通りである。


 一度、生の感触を知った今、シンジはもうあまり死鬼の女の子にどうこうしようという気持ちが無くなりつつあった。


 その点を指摘出来るという事は、セイはおかしくなった訳ではないようだ。

 ただ、倫理観に、大きな変化が起きているようである。


「……じゃあ、根本的な事聞くけど」


「なんですか?」


「どうして、俺と一緒に来たいの?」


 シンジのその問いに、セイは顔を真っ赤にして、うつむく。

 今までで一番大きな感情の表れ。


「……み……」


 うつむいたまま、ふるえながら、セイは言葉を発した。


「み?」


 シンジが首をかしげる。


「耳掻きをまだしてません!」


 突然、セイが叫ぶように言った。


「……耳掻き?」


 セイの答えに、シンジは唖然とした。


「それに、弁護すると言ったのに、まだ私は先輩を弁護していません。命を救ってもらった恩を返すと言ったのに、まだ何も返していません! 生き返らせてもらったお礼に、何をするか決めてもいません!」


 息継ぎもせず、セイは矢継ぎ早に言い立てる。

 言い終わった後、肩で呼吸をしていた。


「はぁ……はぁ……」


「いや、別に何もしなくても」


「だから!」


 シンジの言葉を遮るセイ。


「だから……一人にしないでください。置いていかないでください。私を置いて……行かないでください」


 セイの言葉の最後は、震えていて、かすれていて、まるで死鬼の時に言っていたような、声だった。


(……うーん)


 シンジは、悩む。

 正直、シンジはセイの事を嫌ってはいない。

 恋愛感情などはないが、単純に好ましいとは思っている。


 だからこそ、悩む。

 一緒に行動しない方が、いいのではないか、と。


 今のような状況ならば、まだ、あまりお互いの事を知らないシンジと一緒に行動するよりも、誰か、親しい……それこそ、シシトのような人と一緒にいた方がセイにとってはいいのではないか、と。


 元々、セイを生き返らせた時、シンジは一時的ではあるがセイと行動を共にする予定ではあった。


 だが、それは、シシトたちが学校に戻って来ないと考えていたからだ。

 シシトたち、もしくは、セイが親しい人の所に行くまで、シンジは一緒に行動しようとしていた。


 だから、シシトたちが救助に戻ってきた時、シンジはセイと一緒に行動する事を諦めようと思ったのだが。


(まさか、シシトとじゃなくて、俺と行動したいってお願いされるなんてなぁ……)


 正直、予想外のお願いである。

 シンジは悩み、そして答えを出した。


「……わかったよ」


「……えっ!?」


 セイの顔が明るくなる。


「耳掻きの時、覚悟しなよ? 多分、色々するから」


 そう言って、シンジは厨房に向かう。

 食料などの必要なモノを、アイテムボックスに入れるためだ。


「……はい!」


 うれしそうに、セイは返事をする。


「はいって……」


 そのセイの返事にあきれながらシンジは旅立つ準備をする。


 セイの変化。


 それは、『楽』をしようと思ったシンジにとって実はあまり好ましい変化ではなかったのだけど。


 しかし、世界はもう変わってしまったのだ。


 その世界で生きている人間が、変化するなという方が無理な話である。


 シンジも、変わった。


 もう、シンジがゲームを楽しむ事は無いだろう。

 それよりも楽しい事を、シンジは覚えてしまったのだから。


「……なんで、ここのカフェの制服を持っているんですか?」


 旅支度をしている最中、セイがシンジに尋ねる。

 セイはなぜシンジがメイド服のようなカフェの制服を持っているのか不思議だった。


「え? 耳掻きの時に、常春さんに着てもらおうと。美少女メイドから膝枕されつつ耳掻きされるって、なんか、男の夢だよね!」


 満面の笑みで、シンジは答える。


「なっ!?」


 セイの顔は真っ赤になった。


「言ったでしょ? 色々するって。俺が楽しいと思ったことは、してもらうから」


 本当に、この世界は、楽しい。

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