第97話 霧が覆う

ハイソの言葉と同時に、シンジの短剣から大量の煙が発生する。


「煙幕?」


 煙はすぐに周囲の空間を覆い、一メートル先も見えないほどに視界を遮ってしまった。


(……水蒸気。煙っていうより、霧か)


 ハイソは自分の体に付着していく水滴を見て、煙の正体を突き止める。


(蒼い短剣の方で氷を作って、紅い短剣でそれを溶かし、さらに蒼い短剣で凝結させた……ってとこかな?)


 夜、という事もあり、どんなに目を凝らしてもシンジの姿を見つける事は出来ない。


 それほどまでに、濃い霧だ。


(室内ならともかく、外でこの濃度の霧……たぶん、あの黒い布で、空気も操作している)


 ならば、空気を召喚して霧を吹き飛ばす事も出来ないだろう。

 ハイソの視界を完全に遮られてしまった。


 しかし。


「……これで、どうやって僕を殺すのかな?見えないだけで、痛くもかゆくもないんだけど」


 体が濡れて、少し寒い。

 その程度の影響しかこの霧は与えていない。

 さらに言えば、これではシンジもハイソが見えないはずだ。


 シンジの狙いが分からない。

 とりあえず、ハイソはシンジが動くのを待つことにした。

 ハイソは杖の上に両手を置く。


 …………


 シンジに動きは無い。


「……まさか」


(逃げられた?)


 この霧は、逃げるのに最適だ。

 闘う気があると見せかけて逃亡。

 シンジのケガの状態を考慮すれば、それは十分ありえる。


「しまった!」


 ハイソは、すぐに霧から抜け出してシンジを追おうとした。


 しかし、そのハイソの足が止まる。

 上からわずかに、光を感じたからだ。


 ハイソはすぐに上を見る。


 そこには、うっすらと光る玉があった。


 まるで、曇り空から透けて見える太陽のような光の玉だ。


 だが、今は夜。

 太陽であるはずがない。


「これは……」


 その光の玉から熱は感じない。


 熱くないのだろうか。

 いや、違う。

 熱が遮断されているのだ。


 この霧が密閉されているように、熱も密閉されている。


(間違いない、あの光の玉は、『火事馬』だ! しかも、さっきの強力な奴!)


『火事馬』が、ハイソに向かって降り注いでくる。


 先ほどの『火事馬』を防ぐのに『神盾』を使った。

 おそらく、『戦闘気』だけでは防ぐことは出来ないとハイソは判断したからだ。


 それほどの炎の塊が頭上から降り注いでくる。

 だが、『神盾』はもう使えない。

 まだ『神盾』が再使用出来るほど、時間が経っていないのだ。

 あの『火事馬』をまともに食らえば、命の危険もあり得る。


(くそ! 今までは、ちゃんと技の名前を言っていたじゃないか!なのに、今回は無言で……)


 もちろん、ハイソは『火事馬』を警戒していた。


 だが、ハイソは完全に出遅れている。


 シンジが『火事馬』を使う前は、技の名前を叫ぶ。

 そう、思い込んでいたからだ。


 それがシンジの狙いだったのだろう。


 技の名前は、だまし討ちをするためにある。


(霧で分かりづらいけど、もう、走って逃げ出せる距離じゃない。なら……)


 かき消す。


『|真摯な紳士(ジェントルマン)』を使って。


 ハイソは、杖を『火事馬』に向けようとした


「……霧の狙いは、こっちか!」


 だが、『|真摯な紳士(ジェントルマン)』は動かせなかった。


 杖が、地面に凍り付いていたからだ。

 しかも、ハイソの足も一緒に凍っている。


(霧で体温を奪い、寒さを感じにくくさせると同時に、周囲を見えなくしし『火事馬』で意識を上空に向けて、地面を凍らせて杖と行動を奪う!)


 霧で、視界が奪われるのはシンジも同じだった。

 だが、シンジは奪われても良かったのだ。

 ハイソが動けなくなるから。


(『召喚』……も、ダメだ。多分この凍結は、地中深くまで続いている。この量の地面を丸ごと召喚して移動できるほど、僕のMPは残っていない)


 迫る、『火事馬』。

 熱を感じないのが、脅威を感じないのが、これほど恐ろしいとは。


「耐えるしかない、か」


 ハイソは、『戦闘気』を、全力で使う。


 通常、戦いで使う全開での『戦闘気』の比ではない。


 十数秒も保たないほどのギリギリまで振り絞る事で出せる出力の『戦闘気』だ。


 ハイソが『戦闘気』を使った直後、『火事馬』が、着弾する。


「うぐぎぃいいいいいいい」


 だが、それほどの『戦闘気』でもシンジの『火事馬』を防ぐことは出来なかった。


 高熱でスーツが焼け、肌が溶けていく。


(『戦闘気』じゃ足りない! なら……!)


 ハイソは大量の『空気』を召喚する。


 風で炎を遠ざけるのだ。


 SPも、MPも、ハイソは全てを使う。


 どんなに空気を送り込んでもその空気はすぐに炎で熱せられ、触れるだけでハイソの表皮、さらに奥の真皮、皮下組織まで溶かしていく高温に変わっていく。

 そんな高温であるがハイソの足と杖を凍らせている氷は溶けなかった。

 空気がないのだろう。


 真空は熱を遮断する。


 溶けたらすぐにでも『召喚』で移動出来るのだが。


 ハイソは、ただ耐えることしか出来なかった。


 数時間と思えるような、長い数秒。


 ハイソのSPとMPのほとんどが無くなった時。


『火事馬』の炎の勢いも、収まった。


 まだハイソの周辺は燃えているが、ハイソに襲いかかろうとする炎は無くなっている。


「耐えた……」


 ギリギリ、だった。

 ハイソの全身はやけどで覆われ、上半身の服は焼け落ちてしまっている。


 通常ならやけどは『自動治癒』の力が治してくれるのだが、それも発動しない。


 発動出来るだけの、SPが残っていないのだ。


「くっ……回復薬」


 回復魔法を使うMPもハイソには残っていない。

 ハイソはしゃがみ、足下に落ちている懐中時計のような物を拾おうとした。


 ハイソのiGODだ。


 iGODを操作し『金の回復薬』を取り出そうとしたのだ。


 だが、ハイソはその動きを止める。


「……戦士の準備を邪魔するのは、関心しないな」


 シンジが炎をかき分けて、正面から歩いてきたからだ。


「まだ、俺の攻撃は途中だからな」


 シンジが、二本の短剣を構える。


「悪いけど、追撃だ」


 ハイソの体は、重体だ。

 立っている事さえ奇跡に近い。

 そのような相手を見逃す理由は無い。


「じゃあ、試してみなよ」


 しかし、ハイソは余裕の表情で、凍っている杖から白銀の刃を抜き出しシンジに向けた。


「……じゃあな」


 シンジが、ハイソに切りかかる。

 シンジも『闘気』は使えない。

 だが、『|笑えない冗談(ブラックジョーク)』の力を使い、高速で移動し攻撃出来る。


『闘気』が使えなくても、ハイソの体調が万全ならばなんとかシンジの攻撃に対応出来たかもしれない。


 しかし、ハイソの体調は万全とはほど遠い。


 今は、だ。


 シンジがハイソに切りかかろうと加速した瞬間、ハイソの体を柔らかな光が包み込んだ。


 そして、その光と共にハイソの体に出来たヤケドが、治っていく。


『召喚』は、自分の持ち物なら、ほとんどMPを使わず呼び出す事が出来る。

 ハイソは、回復魔法を使う事が出来ないほど、MPが残っていなかったが自分の持ち物……しかも、数十ミリリットル程度の液体ならば『召喚』出来る程度のMPは残っていた。


 そのMPで、ハイソは呼び出したのだ。

 自分アイテムボックスに置いてある『金の回復薬』。


 瀕死の重傷さえ一瞬で治す、最高クラスの回復薬。


 その回復薬を、ハイソは直接自分の体内に召喚した。


『金の回復薬』は、体のケガだけでなくMPやSPさえ完全に元に戻す。


 完璧な体調に戻るハイソ。


 すぐに『戦闘気』を纏い、切りかかってきたシンジの短剣を受ける。


 速さは、変わらないかもしれない。


 だが、『戦闘気』を使用しているハイソと、『闘気』を使えないシンジとでは力が圧倒的に違う。


 ハイソはシンジの2本の短剣を跳ね上げた。


 両手が上がり、シンジの胴体は完全に無防備になる。


「準備の邪魔をしなければ、まだ戦えたかも、ね。じゃあ、さよなら」


 ハイソはその無防備なシンジの左胸に、心臓に、刃を突き立てた。












「…………え?」


 突き立てられなかった。

 ハイソの刃は、シンジの胸に突き刺さる途中で止まっていた。


 何かに遮られている。


「言ったろ? 死ぬって」


 シンジは蒼鹿の柄に紅馬の刃を振り下ろす。

 爆炎の衝撃を受け、蒼鹿が加速する。


『|笑えない冗談(ブラックジョーク)』の加速と、爆発の加速。


 二つの加速を合わせた蒼鹿の刃が、『戦闘気』に覆われたハイソの胸に突き刺さった。

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