第96話 シンジが逃げない
「あ……ぐぅう」
(あ、これ、ヤバい)
シンジは、気持ちよくなりつつある自分の意識に危機感を覚えた。
(これ、このまま寝たら、たぶんマジで死ぬ)
「う、がぁあああああああああああ!」
シンジは叫び、無理矢理体を起こした。
「はぁ、はぁ、はぁ」
まだ、視界がはっきりしない。
ぼんやりと、やけにしっかりと道を塞いでいる車が見える。
「校門、かよ。マジで、何メートル……う、ぷげぇえええ」
シンジの口から、血が出た。
血だまりが出来るほどの、大量の血液。
お腹の中心に、指が3本は入りそうな穴が開いており、内臓もぐちゃぐちゃに傷ついている。
(腹の中をかき回されたんだから、当然か)
シンジは、すぐさま回復魔法を自分にかける。
回復薬はハイソに飛ばされる前に、廊下に落としてきた。
セイが、自分で使えるように。
(常春さんは……無事だよな。回復薬もあるし、それに、ヒドいケガだったけど、即死するような状態でも無かったし。レベルが上がっていたのかな? レベルが上がったってことは、HPも高くなったってことだろうし。それよりも……)
心配すべきなのは、シンジ自身の状況である。
ケガの治りが遅い。
ヒドいケガという事もあるだろうが、それに加え、シンジの意識も朦朧としていて、あまり良い状態ではないのだ。
(くそっ! 早く!)
シンジは焦るが、しかし焦れば焦るほど集中力が散漫し、回復魔法の効果が悪くなってしまう。
まだ、全快まではほど遠い。
なのに。
「んーやっぱりまで生きているね。良かった良かった。元気?」
ハイソが、もうやってきた。
「見りゃ分かるだろ? 満身創痍だ」
自嘲気味にシンジは答える。
「そうだね、ボロボロだ」
ハイソが、シンジを見下ろしながら同意する。
シンジは、とりあえずお腹に開いた穴を塞ぎながら悩む。
二択だ。
戦うか、退くか。
(切り札も、奥の手も、ハイソには通じない。お腹に穴が開いているし、逃げるのも悪い手じゃない)
一応、まだ闘う策はあるが、それも、ハイソが全力を出せば使う前に死んでしまう可能性が高い。
皆殺し、はもうほとんどの生徒は殺されているし、それにあまり興味もない。
親しい人は皆ある程度は強い。
セイや滝本も逃げる事なら出来るだろう。
(……考えれば考えるほど、逃げた方が『楽』そうだな)
逃げる時に使えそうな手段は考えてある。
そんなシンジの気持ちを読んだのかハイソが提案してきた。
「うーん。そうだねぇ。僕もけっこう消費してしまったし、条件を呑むなら、シンジ君を見逃してもいいよ?」
「……見逃す?」
「うん、『聖域の勇者』を呼び出してくれたら、見逃してあげる。友達なんでしょ?」
「……参考までに聞くけど、『勇者』に会ったら、どうするつもりなんだ?」
「え? そりゃもちろん。闘うよ」
「……勝てないぞ? お前じゃ」
コタロウ対ハイソ。
両者と接したから、分かる。
結果は、見るまでもないだろう。
コタロウが負けるわけがない。
圧勝だ。
実に、あっさりと、コタロウはハイソを倒すだろう。
「だろうね」
そんなシンジの予想を、ハイソは笑うこともなく、怒ることもなくあっさりと受け入れる。
「だろうね……って、お前……」
「あの勇者と戦える。これほど価値のあるものなんて、この世にないだろ?」
「………………はっ! ははは!」
ハイソの答えに、シンジは笑った。
「ん? どうしたんだい?」
「いや……」
シンジは、ふぅっと息を吐いた。
「……やっぱりお前は『勇者』と闘えねーよ」
シンジは、立ち上がり蒼鹿の刃をハイソに向ける。
「俺に負けるからな」
コタロウが負けない。
そんな相手に、自分が負ける。
考えれば考えるほど、それはあまりにダサい。
それに、なにより
(あんな事言われたんじゃ、こっちも退けねーよ。まだこっちは全部を出したわけじゃないしな)
切り札でも、奥の手でもない。
最後の手が、残っている。
闘う策が残っている。
(やるだけやらないと、な。じゃないと『楽しく』ない)
このままコタロウに譲るのが一番『楽』な選択だろう。
しかし、それは『楽しく』ない。
(やるなら、自分でやる。我を張る。それが『楽しい』)
「へー、そう」
ハイソは、シンジの答えに、なぜか、満足気にうなずく。
「どっちみち、君を倒したら勇者が出てくるだろうし、それに君との闘いは僕も面白い」
にゃは、とハイソは笑った。
ハイソが笑うと同時に、シンジは蒼鹿を発動させる。
お腹の穴を回復魔法で塞ぐのは、もう諦めた。
変わりに、別のモノで塞ぐ。
「へぇ、傷口を凍らせたのか。ついでに、氷を纏って鎧にする、か」
シンジのお腹に分厚い氷の層が作られた。
それが、シンジの出血を止めている。
「『氷結』の『停止』。それは応急処置っていうより、ただの時間稼ぎだけど、いいの? さっきはその氷で『|真摯な紳士(ジェントルマン)』の回転を防がれたけど、警戒していたら、意識していたら、話は別だ」
ハイソから、地面に膝を付いてしまいそうな程の威圧をシンジは感じ取る。
「今度は、砕くよ? 体ごと、バラバラに」
虚勢、ではない。
本当に、やれる自信があるのだろう。
「なんなら、傷が治るまで、待っていてあげようか?」
ハイソの、魅力的な提案。
いつもそうだ。
ハイソは、シンジに対して、万全な状況で闘うことを望んでいる。
実に紳士的で、正々堂々。
「……必要ねーよ」
だが、それは別の意味を含んでいる。
紳士的であるという事は、余裕があるという事だ。
上から、下の強者の余裕。
つまり、シンジは弱者。
いたわるべき、弱き者。
「あんまり舐めんなよ。これからの攻撃で、お前は……」
シンジは、二本の短剣を×の文字に重ねる。
「死ぬからな」
「……死ぬ?」
シンジの言葉に、ハイソは、大きく目を見開き、そして、口を開ける。
「にゃはっはははっは!」
大笑い、だ。
腹を抱える程の大笑い。
当然だろう、シンジは死にかけているのだから。
死にかけの、弱者なのだから。
弱者の戯言は、強者にとって最高の笑い話だ。
「……そのケガで、よくそんな口がきけるね。いいよ、かかってきなよ」
ハイソが、杖を地面に刺す。
「君と僕の、最後の勝負だ」
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