第53話 避難が始まる

「それでは、こちらが提示した順番で、避難を始めてもよろしいですね」


 黒髪の少女、マオがほほえみながら半蔵に聞く。


 半蔵はヘリを止めてある校庭に戻って来ていた。


 あの後、ロナの説得を続けたが結局最後にヘリに乗り込むという意志は変わらなかった。


 それどころか、ロナはシシトが言っていた友達を自分も捜しに行くと言い始めてしまったのだ。

 それはさすがにまずいので、半蔵は止めたのだが結局口論になってしまった。


 一度、落ち着く必要があると判断した半蔵はロナの対処はエリーにまかせ、避難の状況を確認することにしたのだ。


「ああ、お嬢様がみなさんの避難を優先しろとおっしゃっていたからな。まずはそちらから避難を始めよう。しかし、なぜ全員を校庭に?」


 半蔵は、マオの後ろに、きれいに整列している生徒たちを見る。


 浮ついておらず、私語もほとんどない。

 しっかりとした生徒たちではある。が。


 学校の周囲の見回りはすでに終わっており、外にいたおかしくなった人は全て拘束してある。


 学校の周囲には、ゴブリンなどの化け物の姿も無く、安全の確保は、思ったよりもスムーズに終わった。

 今は、散らばっていた部下たちも、校庭に戻っている。

 ヘリを操縦する向井と、バックアップの為に、ヘリに乗り込む宮間とチャカの3人。

 ロナの警護に当たっているエリーと半蔵。

 それ以外の5人が、グラウンドの警備にあたっていた。


 それでも、外だ。

 化け物が大量発生した場所だ。


 そんな場所に来ようとする事も、そんな場所にいるのに、マオを含む生徒たちが、浮ついていないことも、通常なら、それは奇妙だろう。


「優秀な兵士の方がおられるのでしたら、中よりもこちらの方が安全だと判断したので。それに、いちいち避難する人だけ移動させていたら、面倒でしょうし」


 マオがスラスラと答える。

 改めて、物怖じしない子だな、と半蔵は思った。

 長年、警備とは名ばかりの、ほとんど傭兵のような仕事をしてきた半蔵は、それなりに厳つい風貌をしている。


 一般的な女子高生……いや、大人でさえ、半蔵を見ただけで、恐怖を感じ、萎縮するはずだ。


 現に、マオの後ろに立っている、筋肉質の教師と思われる男性、埴生は、先ほどから一言も発していない。

 半蔵の方を見ようともせず、しっかり整列している生徒の方を見ているだけだ。


 恐いのだろう。


 なのに、マオは、そんな半蔵に対しても、まったく動揺しない。


 マオ自身は、この集団のリーダーの補佐をしていたと言っていたが、実質的なリーダーはマオだろうと半蔵は思った。


 ほかに、適切な人間が見あたらないからだ。


 大人は、後、養護教諭の柳川と、国語教師の新島。

 カフェで働いていた、遠山という20代半ばほどの女性たちがいるが、彼女たちも生徒たちと一緒に並んでいた。

 彼女たちもまだ若いが、さすがに現役女子高生たちと比べると、10は違う。

 そんな若い少女たちに20代半ばの女性が混ざっている事に、なにも思うところは無いのだろうか。


 半蔵は不思議だった。恥ずかしくないのだろうか、と。






「ハァーイ、プリティガール。ユアベリーベリービュウティフォー。アイ ラビュー。 アイ ウォンチュー……」





 ……もっと不思議な大人がいた。

 美術教師をしている滝本という男性教諭だ。


 彼は今、校庭の周りで、生徒たちを警備している、半蔵の部下の女子隊員をナンパしていた。


 ナンパされていたのは、まだ19歳の南米系の少女、ブレンダと、24歳の日本人、郡山 美佐子(こおりやま みさこ)だ。


 ブレンダは、スレンダーな体型をした褐色の少女で、ミサコの方は、背が高い凛とした女性だ。

 そして、二人に共通しているのは、氷の少女と氷の女と言われるほど、無口で無表情で、仕事に生きる仕事人であるという事だ。


 なので、二人とも、なぜか英語で話しかけてくる滝本をしっかりと無視しているが……


(……なんか、意外と脈がありそうだな)


 半蔵は、滝本に話しかけられている二人の様子を見てそう思う。


 エリーを含めて、今回同行した女性隊員は、3人とも容姿は整っているため、半蔵の部下の若い男性が、よく彼女たちにアプローチをかけているのだが、成果を上げた者は未だ0だ。

 エリーは、適当に相手をして、あしらってあげるのだが、ブレンダとミサコに至っては、会話さえ成立しない。


 それほど、二人は、無口で、無表情なのだ。


 そんな二人だが、明らかに、滝本が使う変な英語を聞いて、口元をゆるませている。


 半蔵でさえ見たことのない、少しだけ笑っている二人と見て半蔵は何ともいえない気持ちになった。


(……あの滝本って先生は、こんな状況でナンパできる根性と氷姉妹の鉄壁の無表情を融解させるコミュニケーション能力は認めるが……人の上に立つタイプじゃないな)


 他に、大人はいない。

 指揮を取れそうな生徒もいない。

 やはり、この集団の実質的なトップはマオのようだ。


 学校という場で、教師という大人がいるのに生徒という子供が指揮を取る。

 オカシナ話ではあるが、それがこの学校の現状のようである。


 まぁ、マオのような人物ならば、それも可能なのだろう。

 そして、生徒がトップであるという環境が後ろに並んでいる普通の生徒たちの安定につながっているのだろうか。


 ……そんな事、あるのだろうか。


 半蔵は訝しみながら、は、マオとの会話を続ける。


「なるほど……でも、外は寒い。一度に搭乗できる人数も20人が限界だ。避難を終えるまで5時間はかかるから、一度中に……」


「むしろ、5時間もの間、校内にいる方がストレスかと。校内にも、おかしくなった人がまだいます。それなら、優秀な兵士さんが数多くいる場所の近くにいた方が、安心できるというモノではないですか? 外の安全は確保されたとの事ですし」


 よどみなく話すマオ。


 半蔵としては、生徒たちは中に入っていてほしかった。


 警備もしやすいし、それに何より、救助を中断する事態になった時、対応しやすいからだ。

 ロナ達だけをヘリに乗せ、半蔵たちも撤退するという対応だ。


 もし仮に、今ドラゴンのような強力な化け物が現れたとしても半蔵たちは簡単には撤退出来ないだろう。


 校庭の中にヘリと生徒たちがいてその周りを半蔵たちが警備している状況なのだ。


 ヘリに近い生徒たちを押しのけて半蔵たちがヘリに乗り込むなんて事はさすがに出来ない。

 倫理的にも、現実的にも。

 もししようとしたら必ず生徒たちからの妨害が発生する。


(……まさか、コレが狙い、か?)


 半蔵は、ただ微笑んでいるマオを見る。

 その微笑みが今は気持ち悪い。


 よく分からない少女だ。


 ロナから少しマオについて聞いていたが、正義感がある優しい少女という事しか分からなかった。

 マオの情報はロナを警備するために半蔵も持ってはいたが……


(あれも結局の所はよく分からないという結論だったからな)


 別に、マオが本当に避難を中断させないために生徒たちを校庭に集めたとしてもそれは悪い事ではない。


 むしろ、集団の上に立つ者なら賢い選択だろう。


 しかし、半蔵は何か引っかかっていた。


 この、マオの手のひらで遊ばれているようなイヤな感じが無性に気になるのだ。

 単に、半蔵が気にくわないと言ってしまえばそれだけなのだが。


「……そういえば、体育館に、オカシくなった同級生を殺してしまった奴がいるらしいな」


 半蔵が切り替えた話題にマオの眉が少し上がる。

 常に微笑んでいた少女が、半蔵に見せた不快の感情。

 マオの人となりを知るために半蔵はもう少しこの話題を掘り下げる事にした。


「え、ええ……悲しいことですが」


「そいつはどうするんだ? 今ここにはいないんだろう? 避難させないのか?」


 半蔵の問いに、マオはすぐには答えなかった。

 あの、スラスラハキハキとしゃべっていた少女が、言いよどんでいる。

 よっぽど、この話題に触れてほしくないようだ。


 それは、マオという少女が体育館に閉じこめた少年の事を快く思っていないからだろうか。

 ロナから聞いた話では、そのような予想が立てられる、が。


「えっと……その、そうですね……」


 マオの動揺の様子を見て、半蔵は違和感を覚えた。


 明星という、学友を殺してしまった少年の事をマオが嫌っているという話は本当かもしれないが、今マオが返答に困っているのはそういった様子ではない。


 マオの様子は、まるで自分では対処出来ないクレームを受けている新人の会社員のようだ。


 マオがこの集団の問題で、判断できない事があるのか。

 彼女より上の立場の者は、半蔵が見た限りいない。

 先生たちでさえ、マオの指示に従っている状況だ。

 一人、マオの下についている様子ではない者もいるが……


 半蔵は、滝本とかいう美術教師の方を向く。

 生徒や先生が整列している中一人半蔵の部下である女子隊員たちをナンパしていた男性教諭だ。


 彼は、この集団の中でマオの指示に従わず唯一自由であると言ってもいい。

 しかし、かといってマオのような少女を従えるような人物にも見えないのだが。


 半蔵が滝本の方を見ると、滝本は何か叫びながら校舎の方を指さしていた。

 新手のナンパの手法か?とも思ったが、その滝本の表情は、どこか真剣だった。

 半蔵は滝本が指を指している方向を見てみる。





 大きな生き物がいた。

 全長は、十数メートルはあるだろうか。

 長くて、強靭そうなしっぽがある。

 全身の体表は真っ黒な鱗で覆われていて、目だけが不気味に赤い。


 二足歩行をしているが、大地をしっかり蹴れるような後ろ足と違って前足は、足と言っていいか分からない形状をしていた。


 例えるなら、鎌だ。

 まさしく、生を刈り取るような形状の鎌は生き物の高さと同じくらいの長さがあるだろう。


 半蔵は、息をのむ。


 ここまで、突然現れた生き物の描写をしてきたが、もっと簡単に、一言で表せる言葉があるからだ。


 その生き物は、大きなトカゲのような生き物だった。


 いや、違う。


 その生き物は、まるで大型の肉食恐竜のようだった。


 コレも違う。



 その生き物は……








「ドラゴンだぁあああああああああああああああああ!!」



 半蔵が吠える。




 そして、一拍の間が空き、


「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 一軒家ほどの大きさはある黒い鎌を持ったドラゴンが雄叫びを上げた。




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