第52話 シシトが残る
「……なんだか、あわただしいわね」
マオが保健室から出てきて、先ほど慌てて入って来た男子生徒と一緒に走り去っていく。
そんな様子を、食堂の片隅に置いてあるテーブルに腰をかけ、自分で煎れた緑茶を口に含みながら見ていたロナは、シシトに聞く。
「何かあったのかな?」
シシトもロナの対面に座り、お茶を飲みながら、首を傾げる。
「さあ?」
「……まぁ、わからない事を話してもしょうがないわ。それで、常春さんの様子は?」
「うん。思ったよりも、元気そうだった。ただ……やっぱりヒドい事でもされたのかな? 明星って先輩のことをかなり気にしていた」
シシトは、先ほどまで話をしていたセイの様子を思い浮かべ、辛い表情をみせる。
セイが、本当に聞きたそうにしていたのは、明星という先輩の事だった。
友人の事よりも。クラスメイトの事よりも。
……シシトの事よりも。
それが、シシトはショックだった。
なぜ、セイはあれほど明星先輩の事を聞きたがっていたのか。
シシトはよく分からなかった。
ただ、明星という先輩の事を一生懸命聞こうとするセイの様子を見て、シシトは寂しい気持ちになっていた。
「……あの優しい貝間会長が、唯一嫌っている人らしいし……人殺しをさせるなんて、本当にロクでもない人なのね。その明星って人」
ロナが口をとがらせる。
「……ロナが他人の悪口を言うって珍しいね」
「だって! 友達がヒドい目にあったのよ!? 許せないわよ! 今は体育館に拘束してあるって話だけど、このままじゃ……」
そのとき、食堂の扉が開いた。
「お嬢様!」
厳つい40前後の、黒い戦闘服を着た男性。
半蔵が、扉を開けて、食堂でシシトとお茶をしていたロナに駆け寄る。
「え? 半蔵……ぶっ!?」
そのままの勢いでロナに抱きついた半蔵は、うれしそうにロナの頭を抱きしめる。
「痛っ!? ちょっと!? はん……痛い! 装備がゴリゴリ当たって痛いって!」
「大丈夫でしたかお嬢様? お怪我は有りませんでしたか?」
「今怪我するわ!」
半蔵を引きはがしたロナは、半蔵の顎を拳で打ち抜く。
「ぐはぁ!?」
顎に打撃を食らい、のけぞった半蔵は、そのまま倒れる事無く体勢を元に戻す。
「くっ……すばらしいパンチです。この半蔵、お嬢様の成長に、高ぶってまいりました」
半蔵は口元を拭いながら笑う。
「聞きようによっては、セクハラですからね、それ」
その様子を見て、遅れて食堂に入ってきたエリーが、あきれたように、ツッコむ。
「エリー! よかった、貴方も無事だったのね」
ロナはエリーの元へ駆け寄り手を取った。
もちろん、歓喜に打ちひしがれている半蔵は無視だ。
「はい。お嬢様も、ご無事で何よりです」
エリーが、うれしそうにほほえむ。
金髪の美少女と美女が手を取り喜び合う姿は、まるで仲のよい姉妹のようである。
そんな光景をほほえましく見ていたシシトが、二人に挨拶をする。
「エリーさん、半蔵さん。お久しぶりです」
「あら、お久しぶり。君も無事だったのね」
エリーは、気さくに、返事を返すが、
「死ね、小僧」
辛辣すぎる一言を返す半蔵。
その言葉とともに、シシトに銃口を向ける。
「へ?」
「ちょ!? 半蔵!? 落ち着いて」
半蔵の凶行をあわてて止めるロナ。
「止めないでくださいお嬢様! このクソガキめ! お嬢様と何泊同じ屋根の下にいたぁああああ!」
暴れる半蔵。
止めるロナ。
ビビるシシト。
笑うエリー。
「エ、エリー! 笑ってないで、半蔵を止めて!」
「え? おもしろいじゃないですか」
「おもしろくない!」
そんな事態が落ち着くまで、10分はかかった。
「……えー、それでは、本題に入ります」
食堂の隅に置いてあるテーブルに座るロナたち。
半蔵は咳払いをして、話し始める。
「今、ほかの方々には、代表の方から、状況を説明してもらっていますが、お嬢様たちには、私から。ご友人の方々も、一緒に聞いてください」
「……そういえば、皆いないわね」
ロナが食堂を見渡す。
ロナたちがはしゃいでいた間に、ほかの人たちは食堂から出て行っている。
今、食堂にいるのは、半蔵、エリー、ロナ、シシト、そして……
「ユイもいるのか」
シシトが、イスに座らずに立っているユイを見る。
シシトに話を降られたユイは、スッとシシトの背後に回り、
「いるに決まっているでしょ? アンタみたいなひ弱、ほっとけないでしょう……が!」
そのすらりと長い腕をシシトの首に絡ませ、絞める。
「ぐげ!?」
ユイの腕は、正確にシシトの気道を圧迫した。
すぐにユイの腕をタップし降参するシシト。
ユイは、少しだけ力を弱めた。
「はぁ……はぁ……おまえ、いきなり首を絞めるのはやめろって」
「ふっふーん。いいでしょ? 別に。それより、かわいい幼なじみの胸の感触はどう? 後頭部に押し当てているんだけど」
腕の力を弱くした代わりに、ユイはシシトの後頭部に、おっぱいを当てていた。
ロナやセイに比べて大きくは無いが、形の良い、健康そうなユイのおっぱいが、シシトの後頭部に当たって、形を変えている。
「おまえの胸とか興味ねーよ。てかひっつくな、うっとしい!」
まだ絡まるようにしているユイの腕をはがそうとしながら、シシトが答えた。
「弱いなぁ……そんな力じゃ私を引き剥がせませんぜ」
「この力バカ!」
そんなじゃれ合いをシシトのユイがしていると、
「コトリも……」
トテトテと、小学生にしか見えないコトリが、シシトの元へ歩いてくる。
「えい」
そして、シシトの膝の上に乗り、ユイの反対側からシシトの首にしがみつく。
「いや、コトリ、今から大事な話が……」
「ねむい……」
そういいながら、コトリはシシトに、コアラのようにしがみついて眠り始めた。
「……小僧……おまえ、お嬢様という方がいながら」
半蔵が、親の敵を見る目で、シシトをにらむ。
正確には、半蔵はロナの事を娘のように思っているため、娘の敵を見る目になるのかもしれないが。
今のシシトは、モデルのようにスタイルの良い美少女が背後からからまり、人形のように可愛らしい少女をだっこしている状態だ。
半蔵でなくても、世の男たちは、今のシシトの状態を見たら、殺したくなるだろう。
「まぁ、お嬢様の彼氏さんはモテモテなんですね」
「ま、まあね」
エリーの呑気な発言に、若干不機嫌になりながら答えるロナ。
見慣れた光景とはいえ、見ていて気持ちのよいものではない。
「あ、あの、本題に入りませんか?」
居心地が悪くなったシシトは、話を進めるように促す。
「そうですね。男の嫉妬はみっともないですよ半蔵隊長」
「誰が嫉妬だ! ……ふん。まぁいい。それで、ロナお嬢様と特に近しいご友人はあなた方で4名でよろしいかな?」
半蔵はそれぞれを見て確認していく。
ロナお嬢様をたぶらかす、いけ好かないクソガキ。
シシト。
活発そうな、シシトの首に抱きついている少女。
ユイ。
小学生にしか見えない小柄な少女。
コトリ。
そして……
「そっちにいる、ニット帽とマスクをつけているメガネの少年は?」
半蔵は、シシトの後方で、壁に寄りかかるようにして立っている少年を指さす。
先ほどから、彼は一言も発していない。
顔も大半が隠れているため、判断が付かない。
「ああ、キョウタですよ。学級委員をしている。昨日から風邪を引いたみたいで、声も出ないんですよ」
シシトが、自分の親友であるキョウタを半蔵に紹介する。
「そっかー。まぁ、こんな状況じゃ具合も悪くなるよね」
エリーが心配そうにキョウタをみる。
本当に、具合が悪そうだ。
プルプルと寒そうにふるえているし、顔色も、悪い。
「無理しないで、キツかったら座っていなさい」
エリーが、空いている席に座るよう、キョウタを促すが、
「……だいじょう……ぶ、です」
消え入りそうな声で、キョウタが答えた。
本当に辛そうだが、キョウタはしっかりと首を横に振って、動こうとしない。
「こっちに来て座ればいいのに……」
「風邪を移したくないみたいですよ。昔から、そういうところがありましたから。人のために頑張ってしまう奴なんです」
「へぇー……。そっか。じゃあ、邪魔しちゃ悪い、か。いいね、そういう子。お姉さん、大好き! 頑張っている男の子ってカッコいいよ!」
グッとキョウタにサムズアップするエリー。
しかしキョウタは、うなずくだけだった。
その様子に、半蔵は少々キョウタの事が気になるが、時間もあまり無いため、話を進めることにする。
「ふむ、キョウタくんか。それで、以上の4名かな?」
「あ、あと、保健室に、常春さんが……」
気まずそうに、シシトが言う。
「ああ、常春のお嬢さんか。彼女も無事だったか。よかった。それで、彼女は今どこに?」
「休憩室にいるわ……その、悪い人にだまされて、おかしくなった人たちを……殺してしまったみたいなの」
自分の事のように、苦しそうに、話すロナ。
「……なるほど。まぁ、状況が状況ですからなぁ」
何ともいえない半蔵。
「許せないわ……明星って人。常春さんみたいな良い人を騙すなんて」
ロナの表情を見て、半蔵は驚いた。
ロナは、よく怒る。
しかし、それはどちらかと言えば、指摘のようなモノに近い。
もっと言えば、怒った相手のしでかした事について怒るが、怒った相手そのものにまで、怒ってはいないのだ。
ただ、今のロナの表情は、怒りは、違う。
心の根っこから、その明星という少年を恨み、怒っている。
それこそ、親の敵のように。
正直、半蔵も、おかしくなった人を治せるという話を聞く前は、何人もおかしくなった人を射殺している。
そして治るかもしれないと聞いても、状況によっては殺していた。
そうしないと、守れない。生きていけないからだ。
だから、その明星という人物が、オカシくなった人を殺していても常春のお嬢さんが、殺していても、さほど、オカシいとは思わない。
むしろ、状況によっては、正しい判断だと思うはずだ。
先ほど、マオと話した時に、動けるという事はおかしくなった人は治せるかもしれないから、皆で協力して保護していているという話を聞いていた。
その時はこんな状況で、なんて冷静で、理性的な集団なのだろうと思っていたが……
ロナの怒りの表情を見て、今のこの環境に、半蔵は危うさを感じる。
いびつな一方的な、誰かの正義感が蔓延しているように思えたからだ。
だが今はそれを追求する場ではない。時間も無い。
自宅に帰り両親に会い落ち着けば、ロナも今の状況は非常に複雑であり、様々な考え方正義が入り混じる環境なのだと、分かるだろう。
オカシクなった人を殺さなくてはいけない状況がある事を、理解出来るだろう。
そう、半蔵はロナを信じた。
「今、常春のお嬢さんに会うのは厳しいかな?」
意識を切り替え、セイを事を聞く半蔵。
セイとは、警備会社という事もあり少なからず縁のある半蔵。
人を殺してしまったというセイの事が気がかりだった。
「ええ、まだ起きたばっかりですし。もうしばらく、安静にした方がいいと思います」
シシトが答える。
「……そうか。そうだな。では、今はこの場にいる人だけで話を進める。話というのは簡単だ。我々は、これからヘリでこの学校から脱出して、安全の確保がされたロナ様のお屋敷に避難するわけだが、まずヘリに乗るのは君たちからにしてほしい」
「え?」
シシトが声を上げる。
「……なんだ小僧? 不服そうだな」
「いえ……その、まだ友達で、この食堂まで避難できていない人がいるから……」
シシトは、マドカの事を思い浮かべる。
大好きなマドカがまだ見つかっていないのだ。
シシトは、シシト自身の避難は後のほうにしてもらってその間に探しに行こうと考えていた。
昨日は結局邪魔が入っていけなかったのだ。
「……もう五日目だぞ」
半蔵はシシトを見る。
最後まで言われなくても、半蔵の言いたい事はシシトも分かった。
マドカの生存が絶望的な事を。
ただ、シシトは信じていた。
マドカが生きている事を。
「まぁ、お前がどうしても残りたいって言うなら……」
「私も残るわ」
半蔵の言葉を遮り、ロナが言う。
「お嬢様?」
半蔵が、眉を上げる。
「別に、シシトのためとかじゃなくてね。元々、私は最後に避難するつもりだったわ」
「どうして……」
「だって、貴方たち、私が避難を終えたらここの人たちを見捨てるかもしれないでしょう?」
ロナの言葉に半蔵は目を見開く。
「……いえ、そのような事は」
「ありえない話じゃないでしょう? こんな異常事態にヘリが動かせただけでも奇跡だわ。警察や自衛隊の救助も来ないのに。燃料の問題もあるし、私の救助を終えたら、もうここに来ない可能性も十分あり得る。だから、私たちには別で話して、先にヘリで輸送しようとしていたんでしょう?」
半蔵は反論できない。
ロナの言うとおりだからだ。
問題がなければ、全員を救助しようとは思っていた。
が、何か起きれば救出はロナとその近しい者たちだけになるだろう。
「まずは、ほかの人たちから避難させなさい。最後に、私が避難するわ」
そう言い切ったロナは、どこか先ほど会ったマオと名乗る黒髪の少女に似ていた。
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