第一話・穴、深く暗く

 僕は無口で物静かな人間だとよく言われていた。

 無愛想でふてぶてしい奴だという人もいた。

 もっとあからさまに、敵意みたいなものを向けてくる人だって中にはいた。


 しかし、そんな彼らを責めるわけにはいかない。


 なぜなら、僕の彼らに対する態度は往々にして無愛想でふてぶてしく、決して友好的なものではなかったからだ。

 

 故意にトラブルを煽って、状況をグシャグシャにしては喜ぶ卑しい人が世間にはいる(本当にいるのだ)けれど、別に僕はその類ではない。


 こと対人関係においては波風も立てず、事なかれに物事が進んでいくのならそれが一番いいと思う。

 心からそう思う。


 愛と秩序と平和だけで世界が構成されるなら、これ以上に素晴らしいことはない。


 ……しかし、そんな世界と僕との間には、高く頑強な壁があった。

 

 ある日のことだった。


 僕は自分の中に、他人に対する興味というものが全く欠落している事に気が付いた。


 先天的に欠けていたものなのか、はたまた後天的に損なわれてしまったものなのかはわからない。


 ともかくふと気が付いたその時、僕の中をぐるりと見回してみてもそれはどこにも見当たらなかった。


 正直、とてもショッキングな発見だった。

 

 当時の僕は、熱心な聞き役として周りからけっこう重宝されていた。


 人生相談にのるとか、預言者めいた助言をするとか大層なものではなく、小さな社会におけるささやかな役割としての聞き役だ。


 他愛のない日常を切り取った話、愚にもつかない低俗な話。

 暗い話、明るい話。

 自慢。のろけ。愚痴。

 エトセトラ、エトセトラ……。


 人々はいつでもはけ口を求めていた。

 

 誰かに訴えるべき主張があった。

 誰かに示さなければならない自己があった。


 王様の耳の秘密を知ってしまったからには、彼らにはその秘密を叫ぶべき深い深い穴が必要だった。

 

 そしてそんな穴にちょうどおあつらえ向きだったのが僕であった。


 僕は、彼らの話にじっと耳を澄まし、神妙な顔でところどころ的確な相槌をはさみ、求められれば心のこもった感想なり所見なりを一緒に添えてあげた。


 無駄口もたたかなかったし、意見に反論することもなかった。


 しかし、何より評価されたのは決して他言することのない口の固さ、穴の例えをなぞらせてもらえれば、その穴の深さだった。


 投げ入れられた秘密の言葉たちはみな、一つの例外もなく濃密な闇に揉まれ、はるか深淵の彼方へと運ばれて二度と日の元に出てくることはなかった。

 


 いつのまにやら割り振られたそんな役割を、僕は堅実にこなしてきたと思う。


 その証拠に、話をし終わった人々は、多少の差こそあれおおむね満足した様子で帰って行った。少なくとも、がっかりした顔をされたことはなかったはずだ。


 彼らが座っていた、あるいは立っていた場所には、吐き出された不安や怒りの乾いた抜け殻と、それらが震わせた空気の残響だけが残された。

 

 ここで話を戻そう。

 

 他人に興味がない……それは他人を愛せないという事だ。


 改めてそう思うと、本当に僕の中にポッカリと大きな穴が開いてしまったような虚無感があった。


 その感覚にはおそらくずっと以前から気付いていた。


 自分の心の冷めた部分、他人と一定の間合いを保とうとする部分、そして決して心の底から他人を想えない部分を見ないようにしてきた。


 認めたくはなかった。


 もし一度でも認めてしまえば、それまで僕が愛してきたもの全部を否定しなければならないし、たくさんの思い出の全てを疑わなければならないのだ。

 

 しかし、他でもない自分の心、いつまでも目を逸らしていられるものでもない。

 

 いつだって起爆のスイッチに指は置いてあった。

 何かちょっとしたはずみでそれがオンになる可能性は十分あったんだ。

 

 一度スイッチが入ってしまえば、色々なことに合点がいった。


 有能な聞き役としてはとても矛盾した感情にも思えるのだけれど、そんな他人への無関心さがかえって、僕のニュートラルでフェアネスな態度を確立していったのだと思う。


 興味がないから邪魔くさい干渉もしないし、どうでもいいから余計な反発もしない。


 僕はただただ彼らが語る物語の内容やそこから導き出される教訓、感情の揺れ具合など、心の中で実験データの計測みたいなものをしていたのだ。


 誰かが怒っていれば、その度合いと経緯に興味があった。

 誰かが泣いたのなら、流れた涙よりも涙を流したその理由を早く聞きたかった。

 

 ひどい人間だと思った。


 親切な顔をして相槌を打ちながら、その目は好奇心の光でいやらしく輝き、その耳は明日の自分を高めてくれる教示だけを求めていた。


 古い言い回しかもしれないけれど、こんな自分を言い表す時、卑劣漢という言葉が一番しっくりときた。


 その陰鬱な響きはずしりと僕の頭に響いた。

 

 そして、もう誰も語りかけてこないようにと僕は耳を塞いだ。


 こうして僕は無口で無愛想でふてぶてしい人間になった。


 確かに極端だとは思う。

 だけど、もうこれ以上卑劣漢に、自分を嫌いにはなりたくなかった。


 そう思えるだけの人間らしさが残っていた事だけが唯一。

 

 こんなどうしようもない男の中から辛うじてひねりだすことのできた、救いだった。


 僕は人を愛せない……それは僕を影から長らく揺さぶり続けてきた。


 そしていよいよ、彼らは僕の心を犯すべく本格的に動き出した。

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