第七話 怒り

  第七話 怒り


 壁によって麾下のモンスターたちと分断された魔王は、しかしそれ以上に目の前のアツシの存在に驚倒していた。

「馬鹿な! 貴様が生きているはずはない! この首はたしかに、本物のはずだ! ここに宿っていた命の気配を、私が間違えるものか!」

 そう叫ぶ魔王が掲げた首を目にしたアツシは、それがたしかに自分とそっくり同じ顔をしていることに軽い衝撃を受けていた。

 ――あれが変身のマイティ・ブレイブで拵えた偽首……わかっちゃいたけど、本当に俺にそっくりじゃないか。しかもあの偽首のために、誰かが死んでるんだ。

 胸のむかつきを覚え始めたアツシの背中に、誰かそっと手をあててくれた。レナだった。その姿を見て、アツシはまずほっとし、次の瞬間に慌てた。

 ――しまった。ほとんどの従者たちはトロイの転移に血を提供する役割だったのに、なぜレナだけがついてきてしまったんだ。置いてくるべきだったのに。

 こうなるともう確実に魔王を倒さねばならぬ。絶対に天使を召喚してみせると強く思いながら、アツシはトロイに低声こごえで訊ねた。

「それで、ここからはどうするんだ? 俺のマイティ・ブレイブをどう使う? 考えがあるって云ったのはあんただぞ」

「ああ、任せてくれ。グレ――」

「アツシ、俺を使え!」

 いきなり横からジュリアンがそう申し出てきたことには、アツシもトロイも仰天した。呆気にとられるアツシを尻目に、トロイがジュリアンの肩を乱暴に掴む。

「ジュリアン! なんだ、いきなり、どうした?」

 だがジュリアンはトロイを無視してアツシに食い下がってきた。

「俺を殺して天使にしな。そうすれば俺もポールの仇を討てるってもんだ」

 いきなりの申し出にアツシは声もない。これはトロイの考えではないだろう。なぜならトロイは気色ばんでジュリアンを無理やり自分の方へ振り向かせたからだ。

「ジュリアン、なんのつもりだ!」

「いや! いや! やっぱりどう考えても無理がある! あんた頭はいいけど人の心がわかっちゃいない。二百年も生きるとどうかしちまうんじゃないのか。俺でもいいだろう!」

「そう、魔王を倒さんとする強い意思がある者なら誰でもよかった。俺でもおまえでも! だがあの娘が云ったのだ。自分が犠牲になると。それは自分の役目だと。俺はその気持ちを酌んだ」

「それをこの場でこいつが納得するのは無理だろう!」

「納得するはずだ。他ならぬ本人の意思だったのだから!」

「それが頭でっかちだって云ってるんだ!」

「おい……」

 アツシは恐る恐る口を挟んだ。魔王を前にして仲間割れのような喧嘩をするなど馬鹿げている。他の勇者たちが総掛かりで魔王に無言の牽制をしていてくれなければ、どうなっていたことか。アツシがなんとか二人を宥めようとしたところで、レナが凛とした声をあげた。

「おやめなさい」

「レナ……」

 アツシは、レナの意外な威厳に声もない。レナはアツシを尻目にジュリアンに云う。

「ジュリアン、あなたが悪いわ。土壇場で混乱させないで」

「で、でもよ……」

「それにいつまでも真実は隠しておけない。もう賽は投げられたのだから」

 レナはそう云うと、緑の瞳でアツシを見てきた。今までに見たことのない表情だった。

「レナ?」

 不安に駆られたアツシが安心したくてレナの名前を呼ぶと、レナの緑色の目が、突然青い湖のような色に染まる。えっ、と思ったときには、レナの体が光りに包まれ、その光りが収束したとき、そこには白銀の髪をした老婆が立っていた。見たことのある人物だ。

「な! な! あんたは、オヴェリア!」

「三年ぶりですわね、アツシ」

 そう、それはアツシがこの世界に召喚された日に、予言が下りたとかでアツシを屋敷に呼び出したこの世界の要、オヴェリアであった。その彼女が云う。

「でも実は私はオヴェリア様ではありません。その影武者、真の名はグレイス」

「……は?」

 ――影武者? オヴェリアではない? グレイス?

 レナが消えたかと思ったらオヴェリアが現れ、しかもそれはオヴェリアではないと云う。

「どういう……」

「変身のマイティ・ブレイブを持つ勇者のことは聞いたでしょう。その者は自分や他人を別のものに化けさせられると。それが私ですわ。実を云うとこの老婆の姿もまた仮初め。本当のオヴェリア様とはかけ離れた姿に変身し、彼女を守る最後の砦となるのが私の本来の仕事ですの」

 その突然の告白にアツシは声もない。完全に絶句し、指先まで痺れてしまっている。そんなアツシをオヴェリア、いやグレイスがくすりと笑った。

「あのときトロイが私を見て『またおまえはそんな格好をして……』と云ったのを憶えていますかしら? あれはドレスのことではなく、私が老婆の姿になっていることを指していたんですのよ」

「……マイティ・ブレイブを使う代償で老化するって、云ったじゃないか」

「あれは方便です。オヴェリア様のマイティ・ブレイブにはこれといって代償がありません。マイティ・ブレイブの強さと代償の有無は別問題ですから、なかにはオヴェリア様のように、強力無比のマイティ・ブレイブを持ちながら代償や媒体を一切必要としないものもあるということですわ」

 驚愕のあまり心がばらばらになりそうだったアツシは、しかし三年前のことを思い出していた。オヴェリアの傍には常に三人の勇者が護衛についていたと云う。だがアツシがオヴェリアを名乗る老婆に会ったとき、彼女が従えていたのは暗闇の迷宮を作った結界師エロイーズと、護衛の騎士シーリーンの二人のみ。三人目はどこかに伏せてあり、警備上の問題からアツシに教えることはできないと撥ね付けられたが、真実は違っていて、実は最初からオヴェリア本人はアツシに会っていなかった。三人目の護衛であるグレイスが老婆に変身し、オヴェリアとしてアツシに会っていたのである。なるほど、変身のマイティ・ブレイブを持つというのなら、影武者としてうってつけであろう。

「いや、たしかに二重三重の備えでオヴェリアを守っているとかなんとか云ってたけど、まさかそこまで……」

 アツシは感心するやら呆れるやらだったが、それよりも大問題が別にある。

「レナは?」

 するとグレイスの顔がさっと陰った。それを見てアツシの心臓が早鐘を打ち始める。

「あんたが変身能力者なのはわかったよ。でも、なんでオヴェリアさんの影武者のあんたが、レナに化けていたんだ?」

 グレイスがレナに化けていたのなら、本物のレナは今どこにいるのか? ほとんど恐怖にふるえる声でアツシが問うと、グレイスは顎を引いた。

「ここに来る前、あなたが正解を云い当てたのではなくて?」

「そ、それは……」

「それに今のトロイとジュリアンのやりとりを聞いていれば、自ずと答えは見えてくるでしょう」

 そう云ってグレイスは真っ直ぐに魔王を指差した。正確には、魔王が片手に携え持っているアツシの贋首だ。

「変身解除」

 次の瞬間、その贋首が光りに包まれ、そして現れたのは、蜂蜜色の三つ編みを垂らした女の頭部であった。

 魔王が自分の手のなかで変貌を遂げた人間の頭を見て叫ぶ。

「な、なんだこれは! こんなマイティ・ブレイブが! おのれ、たばかったな!」

 魔王が忌々しげに、手にしていた贋首を大地に叩きつけた。それこそは間違いなく、レナの首であった。

 稲妻に打たれたように動けないアツシに、このときトロイが傍から云った。

「これが彼女の望みだった。そして今こそ彼女を天使としてふたたびこの地上に呼び戻すのだ。そうすれば勝てる!」

 そう熱く捲し立てるトロイを、アツシは紙のように白くなった顔をして見た。

「誰がレナを殺したんだ?」

「俺だ」

 と、名乗りをあげたのはジュリアンだった。

「直接首を落としたのは、俺がやった」

 一瞬、アツシはジュリアンへの殺意で膨れあがったが、そのときジュリアンを押しのけるようにしてトロイが云う。

「ジュリアンを責めるな。命じたのは俺だ。グレイスのマイティ・ブレイブでおまえの首を偽造したとしてもまだ魔王は騙せない。魔王をたばかるには罪悪感が必要だった。平気な顔をして人類を裏切るのであれば、魔王は罠だと気づくだろう。そこで使者として赴くジュリアンには罪の意識を植え付けるため、彼にレナの首を落とさせたのだ。魔王がまんまと騙されたのは、偽首がおまえの顔をしていること、本物の人間の首であることに加え、レナを殺してしまったジュリアンの罪の意識を見抜いたからだろう」

 なるほど、それはまさに素晴らしい理論だった。ジュリアンが土壇場で自分を殺せと云い出したのもむべなるかな。アツシはトロイを見てわらう。

「トロイさん。あんた、俺がレナを愛しているって、知っていたのか?」

「ああ。そしてレナもおまえを愛していた。そしてその愛はこの世への未練になる。だからレナはおまえの召喚に応じるだろうし、おまえもまた喜んでマイティ・ブレイブを使うはずだ。レナを生き返らせることができるのだから」

「なに……?」

 アツシはトロイを視線で射抜く。ジュリアンは目を伏せ、腕をわななかせていた。そしてトロイは、アツシが出来の悪い生徒のように思えたのか、諄々として語る。

「死者を天使として召喚するのは、見方によっては一度死んだ人間を生き返らせるようなものではないか。しかも女性型天使の外見はほとんど人間と変わらないというのだから、おまえとレナは生前とまったく変わらぬ交流ができる。それにおまえが人の命を犠牲にするマイティ・ブレイブに抵抗を持っていることは気づいていたが、愛する人なら生き返らせたいと思うはずだ。おまえはためらわずマイティ・ブレイブを使う。レナもそれに応じる。召喚は一〇〇パーセント成功する。どうだ?」

「どうって……そんな考えでレナを殺したのか」

「そうだ。だがアツシ、おまえのマイティ・ブレイブで彼女は生き返るんだ」

 トロイが大真面目に云うので、アツシは笑ってしまった。

「一度死んでも、生き返るから問題ない? 完璧だな。完璧な理論だ。でもあんた、俺がどう思うかわかってないな」

 そう云ってアツシは剣を抜き、

「ぶっ殺してやる!」

 電光石火にトロイに切りつけた。そこへ、その動きを読んでいたように割って入ったジュリアンが、アツシの剣をがっきと受け止めた。

「そう来るんじゃないかと思ったぜ!」

「どけ、ジュリアン! どかないんなら、おまえからだ!」

 そこからアツシはジュリアンに猛攻を仕掛けた。元より剣術のセンスではジュリアンの方が遥かに勝っていたが、今のアツシは気魄が違う。もはや守るものもなく、目の前の相手を殺すために身を捨ててかかっているのだから、さしものジュリアンも後手に回った。しかもジュリアンは守りに徹しており、反撃する気配がない。

 そんなアツシを前にして、トロイは歯ぎしりしながら云った。

「聞け、アツシ! これはすべてレナの望んだこと、彼女もすべて承知の上で自分の命を捧げると、自ら云い出したのだぞ!」

「だったら止めろや!」

 アツシはジュリアンとともに剣の竜巻のなかにいながらトロイに叫ぶ。トロイはなおも辛抱強く云う。

「誰かが犠牲になる必要があった! おまえのマイティ・ブレイブはそういう力だ!」

「だから俺もこんな力は使いたくなかった! それなのにおまえらは、魔王殺しに目が眩んでレナを……おまえらはよってたかってレナを殺したんだ! 許さない! 絶対! おまえらみんな、ぶっ殺してやる!」

 アツシとジュリアンの剣が斜め十字に噛み合って火花を散らす。そろそろ心に火がついてきたのか、ジュリアンは大立ち回りを演じながら笑っていた。

「だから云ったろ、トロイの旦那! 人間は理屈じゃないってよ!」

 そこからアツシとジュリアンは、いっそう激しく斬り結んだ。


        ◇


 こうした状況を目の当たりにした魔王は、裏切られた腹も少し癒えてきた。どうやら勇者たちは、この自分を前にして仲間割れを始めたらしい。なんと愚かで見苦しい連中だろう。だが今回はそれに救われた。

 ――私を倒せるのはあのアツシという勇者のみ。その勇者がどうやらトロイに反発している様子。となれば、この囲みは食い破れる。ここさえ突破してしまえば、私は人間世界を自由に闊歩できるのだ。これは危機を好機に変えるとき!

 魔王はそう考えると、騎乗している魔獣に進撃の号令をかけた。


        ◇


 ぎゃああああっ! と凄まじい叫びが起こった。

 これまで状況を静観していた魔王がついに動き出したらしい。勇者の一人が殺され、さらにもう一人に襲いかかる。が、アツシはそれよりなにより目の前のジュリアンを斬り伏せるために必死だった。そこへグレイスが叫ぶ。

「魔王が逃げますわ! なんとかなさい、トロイ! ここであいつを野放しにしては――」

「わかっている!」

 そう叫んだトロイが、ジュリアンとの激しい剣戟の渦のなかにいるアツシに云う。

「アツシ! ここで魔王を逃がせばやつはきっと街や村を襲う! 無辜の民が大勢死ぬぞ! 仲間ももう一人、いや二人殺された!」

「そんなの知るか! 壁のなかに魔王を入れたのはおまえらだ! おまえらが責任を取れ!」

 それには、アツシの目の前でジュリアンが燃え立った。

「アツシ、てめえ、いい加減にしろよ!」

「おまえこそレナを殺しておいて、生きていられると思うな」

 そして二人は鍔迫り合い、アツシは剣を介してジュリアンを思い切り押した。ジュリアンはそれに抵抗せず、むしろ自分から後ろへ大きく跳んでアツシから距離を取る。

 そんなジュリアンを、アツシは悔しげに睨みつけた。

「……あのとき、魔王への手土産としておまえに殺されると思ったとき、俺は本当に怖かった。レナはどんな気持ちだっただろうな?」

 そう考えただけで、アツシは思わず泣きそうになってしまうほどだった。

「なぜおまえは、そんなことが出来てしまったんだ……!」

「……可哀想だと思ったよ。今でも思ってる。トロイの旦那の目論見通り、俺には罪悪感ってやつが植えつけられちまった。でも、それでも、俺は魔王をぶち殺したかったんだ」

「……ポールのために?」

「そうだ。だがそれ以上に、俺は人類がこの壁で作られた箱庭に閉じ込められてるのが気に入らなかった。半径一〇〇キロメートルぽっちのクソ狭い世界で、老いもせず魔王にびびって長生きするなんて冗談じゃねえ。魔王を倒して、壁の外の広い世界を冒険するんだ。だから……おまえがやるって云うなら、俺はおまえの天使になってやってもいいと思ってる。さっき『俺を殺して天使にしな』って云ったのは嘘じゃない。二人で魔王を倒して、壁の外になにがあるのか確かめにいこうぜ」

「お断りだね。そういう夢なら俺に頼らず、自分の力だけで叶えるんだな」

「……そうか」

 するとあれほども激しく斬り結んでいた二人が、一転、静かに睨み合った。次に動いたときはどちらかの死ぬときだ。それがトロイにもわかったのだろう、彼はジュリアンを庇うように立ち、アツシの前に立ちはだかった。

「……アツシ」

 仇敵を前にして、アツシは全身の血が沸き立つ思いだった。

「うるせえ! いくら御託を並べたって無駄だ! 俺が殺すのは魔王じゃない! おまえだ、トロイ!」

「……俺を殺せば気が済むか? 恨みは晴れるか? そうしたら魔王を殺すと誓えるか! だったら俺は喜んでこの首をくれてやろう!」

 そう雄々しく叫ぶトロイに、アツシは紫電の宿る目をして斬りかかった。

「上等だ、そこに直れ!」

 アツシの剣が迫っても、トロイは微動だにしない。そんなトロイの首を切り落とすべくアツシが剣を振り下ろしたそのとき、目の端に見覚えのある勇者が立った。そして。

「スリーピング・コフィン!」

 ――またこれかよ。

 猛烈な睡魔に襲われ、アツシはそのまま意識を手放した。

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