第五話 検証と叛逆
第五話 検証と叛逆
「――それで、どうなったのだ?」
アツシとレナとジュリアン、それにアツシのマイティ・ブレイブ覚醒に同行した勇者たちは今、東龍門に接する壁内の広間に集められていた。既に魔王との遭遇から丸二日が経過している。
部屋の一隅には踏み台が置かれ、その上には王都からオヴェリアの名代としてやってきた勇者シーリーンが立っていた。オヴェリアの護衛の一人で、アツシとは三年前にも一度会っている、あのシーリーンである。
ここには東龍門を預かる勇者ゲオルグの姿もあったが、この場は王都から早馬を飛ばしてやってきたシーリーンに事情を説明する場であるため、彼女が踏み台に立ち、その彼女に一同を代表して年長の勇者が事の顛末を話しているという状況だった。
「魔王と遭遇した我々は最初の一撃でジュリアンの従者ポールを失いました。その直後、トロイ隊長のマイティ・ブレイブで壁内の東龍門前に転移。その後、我々はただちに勇者ゲオルグに謁見し、状況を伝えたわけです」
「それでゲオルグが壁を介してオヴェリア様と連絡を取り、私はオヴェリア様たっての頼みで状況を詳しく知るためここへ派遣されてきたわけだ。そして今、こうしておまえたちの口から、じかに話を聞いている」
先にアツシが聞いた話では、シーリーンがオヴェリアの傍を離れるのは異例のことだという。それほどの理由があるとしたら、それはアツシだ。彼女たちは三年前のあの予言を忘れていなかったのだ。
シーリーンはアツシを見据えて云った。
「Sランクのモンスターを倒した、か……予言を掴んだのだな」
「どうでしょう……」
誇るのもおかしい気がして、アツシはそのように言葉を濁した。
「マイティ・ブレイブの検証はしているか?」
「いいえ」
「それでは駄目だ。急げ。自分のマイティ・ブレイブを自分の手のひらのごとくに知れ。おまえがそのマイティ・ブレイブを完全にものにしないと、この先みんなが困る」
――死体で実験しろって云うのかよ。
アツシはそう吐き捨てたかったが、いざこざを嫌って言葉にはしなかった。だが内心の不満が表情に出たのか、シーリーンの目が鋭く細められる。
「おまえが自分の力について忌まわしく思う気持ちも、わからなくはない。だがそれでも務めを果たしてほしい。壁の外へ行く自由と、壁がなくても生きいける平和のために」
そう率直に云われて、アツシも心を揺さぶられた。だがいくら自由と平和のためだからといって、一度死んだ人間をこちらの都合で使役するような行為が正当化されるだろうか?
「……天使といっても、元人間なわけですよ。それを犬みたいに、こっちの都合で敵にけしかけるっていうのは、どうなんですか?」
「たしかにそうだな。だがそれでも、私はおまえのマイティ・ブレイブが持つ可能性に期待してしまうよ」
シーリーンはそこで言葉を切ると、片手を腰にあてて一同を見回し、気を取り直したように云った。
「さて、話はだいたいわかった。Sランクモンスター、そして魔王と遭遇して、よくも生きて帰ったものだ。おまえたちは豪運だ。だがわからないのは……トロイだ!」
それには全員が沈黙した。そのだんまりが気に入らなかったのか、シーリーンが雷を落とすように云う。
「トロイのマイティ・ブレイブで壁の内側への転移に成功したので、魔王から逃げられた。それはいい。だがどうして、肝心のトロイが一緒にテレポートしてこなかったのだ?」
そう、そうなのだ。あのときアツシたちは壁内の東龍門前に飛ばされたが、そこにトロイの姿はなかった。他の全員がいたのに、トロイだけが不在だったのだ。
これはアツシにも、他の誰にも、さっぱりわけのわからないことだった。
年長の勇者が困り果てたように云う。
「ですからその件は何度も申しましたように、トロイさんはなんらかの理由で魔王と戦う選択をし、俺たちだけをマイティ・ブレイブで逃がしてくれたのだとしか思えません。ほかに代償となる血の絶対量が足りなくて自分だけ犠牲になったという可能性もありますが――」
「そんなことはありえん。その場合は従者を置いていく。トロイも勇者なのだから従者より勇者の自分を優先するはず。それはわかりきっていることだし、従者にも異論ある者はいないだろう。だからつまり、トロイは自分の意思で一人だけ魔王の前に残った? なぜ?」
それが誰にもわからない。アツシにしても、一切の心当たりがなかった。
「誰か食事の折にでも、トロイの考えを聞いていた者はいないのか?」
それにもやはり、答えはない。長い沈黙の末にシーリーンが諦めたようにため息をついたところで、勇者の一人が彼女に尋ねた。
「あの、このままだと、トロイさんは……?」
「生死不明ということになるな。魔王が現れたのだ。探しにいくのは危険すぎる。私としても不本意だが、トロイのことは諦めるしかあるまい」
そう云ったことで、シーリーンのなかでも区切りがついたようだった。彼女は顔つきを改めると、全員を改めて見回す。
「よし、わかった。皆、任務御苦労だった。勇者アツシのマイティ・ブレイブ覚醒には成功、死者は勇者一名、従者一名、行方不明者は勇者一名……以上で本作戦を終了する。昼飯を食べたら荷物を纏めて全員騎乗、王都へ向かって出発するぞ。そうすれば明後日の夜までには王都に着く。王都に着いたらアツシ、おまえにはマイティ・ブレイブの検証が、ほかの者たちには休息のあとで次の任務が待っている。さあ、動け動け! 帰還だ、帰還!」
シーリーンがそう号令を張り上げるので、アツシたちは集まっていたこの部屋から追い出されるようにして出ていった。
そのあと、勇者たちがこぞって食堂へ向かうなか、アツシはレナを伴って廊下でジュリアンを捕まえていた。
「ジュリアン」
「あん?」
ジュリアンは面倒くさそうに振り返ると、鋭い目でアツシを切りつけてくる。アツシはちょっと息を呑んだが、前もって考えていた通り、その場で勢いよく頭を下げた。
「ポールのことは、すまなかった。俺を庇ったせいで……」
「私からもお詫びします。アツシ様のために死ぬのであれば、それは私の役割でした」
そんなアツシとレナとジュリアンはしばらくじっと見ていたが、やがてつとそっぽを向いて云った。
「いいよ。あのデブがクソみたいな判断をしたんだ。どうせ死ぬなら俺のために死ねってんだ、クソが」
「そ、そんな云い方……」
少しばかり眉をひそめたレナを尻目に、ジュリアンはアツシを指差してきた。
「だがな、アツシ。これだけは云っておくぜ。おまえのマイティ・ブレイブがどれだけ強力でも、あの魔王は俺が殺す」
「ま、魔王を、殺す?」
「そうだ。最後まで使えない無能なデブだったが、俺の従者であることには変わりねえ。それを殺しやがったんだから、主人としては仇くらい討ってやらなくちゃならんだろう」
「ジュリアン……」
アツシはジュリアンにこれ以上なんと云ってよいのかわからなかった。一緒に戦おうなどとは口が裂けても云えなかった。ジュリアンは戦うつもりらしいが、アツシとしてはもう魔王になど会いたくないのだ。先刻の遭遇も不幸な遭遇として早く忘れたかった。
「ふん」
話は終わりだとばかり、ジュリアンが踵を返して歩いていく。だが五歩と行かないうちに彼は足を止め、肩越しにアツシを振り返った。
「逃げるなよ、アツシ」
その短い言葉が楔となってアツシの心に打ち込まれた。
ポールはアツシを庇って死んだ。なぜそんなことになったのか。なぜ一人の人間の命を引き替えにしてまで、自分が生かされることになったのか。
「……俺が、勇者だから? あのマイティ・ブレイブで人類を救えと?」
アツシは声に出してそう云ったが、ジュリアンはなにも答えず前を向いて行ってしまった。壁内の廊下には、アツシとレナの二人だけがぽつんと取り残されてしまった。
――俺は巻き込まれただけだ。自分ではなにも決めていない。
昔云った言葉は、実のところアツシの胸の奥に今もしっかり残っていた。心のどこかでまだそう思っているのだ。しかしもう、それではすまなくなってきた。
「アツシ様」
突然レナに名を呼ばれ、思案顔をしていたアツシははっとして顔を上げた。レナがアツシの前に回り込んで立っていた。彼女は僅かに胸を張り、威儀を正すと云った。
「私もいつだって、アツシ様のためなら命を捨てますからね」
「やめてくれよ、レナ。君まで……俺は、君に死んでほしくない」
「ありがとうございます、アツシ様。でもあなたのために、世界のために、人類の未来のために死ねるのであれば、私は本望なのです」
アツシはなおも云い募ろうとしたが、すぐに無駄だと悟って諦めた。伊達に三年の付き合いがあるわけではない。レナの性格はわかっている。彼女が従者として勇者に身命を捧げるという信念を捨てないのも、わかりきっていた。
「行こう。早く食べて、荷物を纏めないと」
「はい!」
こうしてアツシはレナとともに王都へ帰投する準備にかかった。
◇
東龍門を出発して二日後、無事王都へ到着するとチームは解散し、アツシのマイティ・ブレイブ覚醒に付き合ってくれた勇者たちには新しい任務なり休暇なりが与えられた。
アツシはと云うと、あまり気乗りしなかったが、自分の天使召喚マイティ・ブレイブを知るため、多角的な検証作業に従事することになった。当初は人間の死を踏み台にするマイティ・ブレイブの検証など断ろうと思っていたが、ポールへの償いの気持ちもあってやることにしたのである。そして施療院を訪れて病気や老衰などで自然死した、老若男女さまざまな人間の死体の前で天使召喚のマイティ・ブレイブを使ってみた。が、一度たりとて成功しない。
検証を始めてから三日目の夕方、今日の報告を終えたアツシは肩を落としながら、レナとともに勇者特区のペンタゴン2から出てきたところだった。
ペンタゴン2とは、勇者特区にあってこの世界における勇者の活動すべてを執り仕切る勇者たちの総司令部である。どうも設立にあたってアメリカ出身の勇者が関わったらしく、このような名前がついている。名前だけでなく建物も五階建ての五角形をしており、アメリカのペンタゴンをモデルとしているらしい。
そのペンタゴン2で、一日に一度、担当の勇者にマイティ・ブレイブの検証作業について進捗を報告するのが、アツシに課せられた義務の一つだった。
今日の報告を終えたアツシは、レナを彼女の家に送り届ける道の途中、ふと立ち止まって地面に伸びる自分の長い影を見た。
「あれは……まぐれだったのかな」
ハリーを召喚できたときはレナを助けようと無我夢中だったが、王都に戻って五日間、天使召喚には一度も成功しない。これは気が滅入ることだった。季節は冬へと向かっており、日に日に冷たくなってくる風と短くなっていく昼が、気分を一層、陰鬱にさせる。
そんなアツシにレナが云った。
「そもそもアツシ様のマイティ・ブレイブは、人間の死体を天使に転化するわけではないですよね。肉体の蘇生ではなく魂の転変なわけです」
「うん……」
ハリーのときも、ハリーの無残な死体は大地に転がったままだった。だから死体は関係ない。戦闘天使として転生し、召喚されてきたのはハリーの魂だったはずである。
となると、アツシが語りかけるのはむしろあの世の魂であるべきで、死体の前であれこれするのは本質からずれているのだろうか。
「――でも、あの世の魂へのアプローチってどうやるんだ?」
「それは私にもわかりませんが……あの天使を幽霊と
「未練か……そういえばハリーさん、俺はある意味で死霊使いだって云ってたな」
死者の復活ではなく、幽霊を使役するという方向で考えるべきなのか。だとすると、天寿をまっとうするような老人では駄目なのかもしれない。病気になって死ぬ人も、心がそれを受容する段階に来ていたのでは、やはり未練と云うほどの未練はないだろう。
「……ハリーさんも未練があったのかな?」
「それはそうでしょう。ああいうかたちで、いきなり殺されてしまったのですから、やり残したことがあったとしても不思議ではありません」
「ふむ……じゃあ、無念の死を遂げた人でなくては駄目ってことか」
これはいよいよ
ところでポールと云えば、彼も天使召喚の対象になってよさそうなものである。だがアツシにはその勇気がなかった。ただでさえ彼は自分を庇って死んだのだ。そのうえもう一度この世に呼び戻し、こちらの都合で生死をもてあそぶようなことは、とても出来ない。
――あいつはもう一度ジュリアンの役に立てるなら喜ぶかもしれないけど。
そう苦悩するアツシの横顔を見て、レナが小首を傾げた。
「アツシ様?」
そう声をかけられ、アツシは我に返るとかぶりを振った。
「……いや、なんでもない。とにかくこのことは今すぐペンタゴン2に報告しよう」
アツシはそう云うと回れ右してその足でふたたびペンタゴン2に乗り込み、担当官に話をして方針の転換を迫った。プランの変更には、彼らの協力が必要だった。条件に合う人物を探してもらわねばならなかったからだ。
ペンタゴン2の行動は素早く、翌日、アツシは王都で起こった殺人事件の被害者の葬式が行われている教会堂に向かわされた。
被害者は通り魔によって殺された三十代の男性で、まだ若い妻と幼い娘を残してこの世を去った。この世に未練があるに決まっており、厭になるほどアツシの求める条件を満たしていた。
ペンタゴン2から派遣されてきた担当官が未亡人に事情を話すと、彼女は夫の死が人類のためになるならと云って、鷹揚に検証作業の許しをくれた。その未亡人の態度にもアツシは心打たれたが、なにより胸に刺さったのは、母親の手を握ったままアツシをじっと見ていた幼い少女の眼差しであった。この子供は、いきなり父親の葬式に乗り込んできてあれこれ要求するアツシたちを、いったいどんな思いで見ていたのだろう。その辺りを考えるとアツシはすべてを取り止めにしたくなるのだが、今さらそうはいかない。
「では、アツシ様……」
「ああ」
男性の死体は棺に収められ、教会堂の祭壇に安置されている。葬式のために集まった男性の遺族や友人たち、そしてレナやペンタゴン2の職員も、アツシを一人にするため、次々に教会堂を出ていった。まもなく教会堂のなかは静謐に満たされた。
一人になると、アツシは棺の前に立って静かに祈りを捧げた。
――ヒックスさん。
それが通り魔によって命を落とした男性の名前だった。アツシは彼に心で呼びかけ、魂に
――ご家族にお別れの機会を与えて差し上げます。その代わり、しばらくのあいだ俺に仕える天使となって働いてはもらえませんか。
そう心で求めてみたけれど、これでよいのか、アツシにはわからなかった。
だがしかし、突如、教会堂の屋根を刺し貫いて、祭壇に安置された棺の上に一条の光りが降り注いできた。最初、太い柱のようだったその光りは、だんだんと細くなり、最後には糸のようになって切れてしまった。そのとき、そこには白い細身の天使が機械仕掛けの翼を
アツシはその天使を食い入るように見たあと、震える声で尋ねた。
「ヒックスさんですか」
――はい、勇者様。
男の声が頭に直接響いて、アツシは頭が痺れたようになった。成功である。これが正解だったのだ。ついに自分のマイティ・ブレイブを掴んでしまった。
「マジか……」
思わずそう呟いたアツシの頭に、ふたたびヒックスの声がした。
――事情はすべて把握しております。私などが勇者様のお役に立てるとは思いませんでした。喜んでお仕えさせていただきます。
「ああ、そう、いや、こちらこそ……なんというか、安らかな眠りを妨げてしまって申し訳ない」
――安らかなどではありませんでした。私はこのままでは、死んでも死にきれないと思いながら死んだのです。だから今は本当に感謝しているのです。
そう云われてアツシは救われたような気がした。そしてヒックスを妻と娘に再会させたときの光景を見て、こういう使い方ならこのマイティ・ブレイブも悪くはないと思ったのだ。
◇
それから数日、アツシはヒックスを使役してその戦闘力について検証していた。その傍ら、王都で悲劇的な死が起こるとそこへ行き、新たな天使の召喚を試みた。これはペンタゴン2がそうしろと要請してきたのである。王都の人口はそれなりだったから、毎日誰かが死んでおり、なかには事件や事故で不慮の死を遂げる者もあったのだ。
そうしてアツシの使役する天使は一体また一体と増えていき、何体同時に召喚できるか、召喚を何日継続できるかについては、その記録を毎日更新していった。天使同士の模擬戦を行い、その戦闘力が高いレベルで統一されていることなども確認された。
そして天使の総数が十体に達したとき、アツシはそれらを一斉に天に還した。死者をこちらの都合で地上に呼び戻し、お互いに戦わせたりするような行為が、ほとほと厭になったのだ。ヒックスのように非業の死を遂げた人を地上に呼び戻し、家族と別れの機会を与えたり、殺人事件の真相を解明したりなど良い面もあったが、やはり死者を弄んでいるような印象が強く、感情面で限界が来たのである。ペンタゴン2の職員が、人の訃報をまるで吉報のように持ってくるのにもうんざりしていた。
だから誰にも相談せずアツシの独断で一人一人の天使と話をし、彼らを天に還した。天使たちは誰一人として逆らわず、従容として天に昇っていった。
「もう十分検証しただろう。これで終わりだよ」
アツシはそう云って自分のマイティ・ブレイブの検証作業を一方的に終わらせたのである。もちろん問題になった。ペンタゴン2側としてはアツシのマイティ・ブレイブの限界を測りたいらしく、アツシに検証作業の再開を迫り、アツシがそれを拒んだから、揉めに揉めたのだ。
そんなある日、アツシはレナとともにペンタゴン2を訪れていた。もう一度冷静に話をしようと云う担当官の求めに応じてのことだった。
ところがいざ建物のなかに入ってみると、内部の人間がどうもばたばたしている。そこで職員の一人を捕まえて訊いてみると、思わぬ答えが返ってきた。
「トロイさんが帰ってきたんだ!」
「な――!」
アツシが驚きと喜びに打たれたとき、建物の奥から他ならぬトロイが姿を現わした。彼はアツシを見つけると大股で詰め寄ってきた。アツシの方が先に口を切った。
「トロイさん、無事だったんですか! 今までどこでどうしてたんです!」
「その辺りの報告は既に総司令に済ませた。俺はこれからオヴェリアに会いにいく。その途中でよければ話を聞かせてやるが、どうする? 一緒に来るか?」
「行きます」
マイティ・ブレイブの検証作業の再開などもう望んでいないアツシは、そう即答していた。
アツシとレナとトロイは、三人で勇者特区にあるオヴェリア邸へ向かっていた。その道すがらトロイから聞いた話によると、トロイは単身魔王に戦いを挑んだが、やはり勝てなかったこと。そのあと脱出を試みたが慌てて転移したため、転移先の選定を誤り、そこにはテレポートに必要な血もなかったため、戻るのに時間がかかったということだ。
「……テレポートで壁を超えた時点でオヴェリアは俺の生存を感知しているはずだから、彼女が気を利かせて皆に俺のことを伝えてくれていると思ったんが、ペンタゴン2に顔を出したら騒ぎになってな。どうやら、あいつにそんな気遣いは無理だったようだ」
その言葉はなにやら取り繕ったような感じがしたが、アツシにはそれよりもっと気になることがあった。
「そもそも、どうして一人で魔王に挑むなんて無茶を?」
「俺がそうしたかったからさ。昔、あいつに目の前で多くの仲間を殺されたのでな。だが勝ち目が薄いことはわかっていたし、俺のわがままに皆を巻き込むわけにはいかないと思ったので、おまえたちを転移させて一人で残った」
そう云われては、アツシもレナもそれ以上なにも云えない。
「それより俺からも質問がある。アツシ、マイティ・ブレイブの検証は進んでいるか?」
「もう終わりましたよ」
その言葉に目を丸くしたトロイに、アツシは自分のマイティ・ブレイブについて知り得たことや、検証作業を一方的に終わらせたことでペンタゴン2と揉めたことなどを話して聞かせた。
トロイは何度も相槌を打ちながら、熱心にアツシの話を聞いていた。
「……そうか、この世に強い未練のある者、やり残したことがある者でないと駄目か」
「はい。だいたい不慮の死を遂げた人ばかりで、寿命で亡くなった人は無理ですね」
「そして死んでからの時間は関係ない。死体は不要。召喚した天使は、元の人間がどうであったかに拘わらず、全員が強大な戦闘力を持っている。最初に召喚したヒックスはおまえが天に還すまで二週間ものあいだ地上に留まり続け、また天使は少なくとも十体までは同時召喚できる、と」
アツシの話を繰り返すトロイは、すっかり顔を輝かせていた。それがアツシにはなんとも居心地が悪い。彼が自分のマイティ・ブレイブを利用しようと考えているのが手に取るようにわかる。そこへ、トロイがさらに訊ねてきた。
「天使の戦闘力について、もっと詳しく聞きたい」
「……訓練時代に世話になったテイマーの勇者さんのモンスターと模擬戦をやったんですけど、みんな強すぎてEランクモンスターだとひとひねりでした。天使同士で戦わせると、非常に高レベルの戦いをします。ただ女性より男性の方が強いみたいでした」
「それはなぜ?」
「武装の差です。男性の天使と女性の天使だと見た目が違うんですよ。男性の天使は外見がいかにも機械仕掛けって感じでプロテクターみたいなのを着けてるんですけど、女性の天使はすごく人間的なんです。生前の姿そのまま、背中に白い羽根が生えてるだけで……あと男性天使には発声器官がないんですけど、女性天使は普通に話すことができます」
「ほう、なるほどな。で、なぜそこで検証作業を中断しているのだ?」
「中断しているんじゃなくて、もう終わったんです。ポールへの償いの気持ちもあって今まで検証作業に取り組んできましたけど、俺はもう十分やったと判断しました」
アツシは断乎たる口調でそう云うと、トロイを思い切り睨みつけた。トロイもまたアツシを睨み返してくる。
「……アツシ、自分のマイティ・ブレイブの限界を知るまで、検証作業は終わらない。そうでなくてはおまえをいつまで経っても実戦に投入できない。今日もペンタゴン2の担当官とその件で話をする予定があったと知っていれば、『一緒に来るか?』などとは誘わなかった。速やかに検証作業を再開して、最大何体の天使を何日連続で使役していられるかを探るのだ。ことによると、おまえは天使の軍勢を組織できるのかもしれない」
――天使の軍勢だって?
なるほど、そんなものが実現可能なら、今の状況を一気に覆せるのかもしれない。だがアツシとしては、冗談ではなかった。とても耐えられない。
「トロイさん。今、実戦に投入って云いましたけど、それは俺のマイティ・ブレイブを能動的に使うってことですよね。でもそれって、遠回しに誰かに死んでくれって願うようなものじゃないですか。俺はもうそういうの耐えられないんですよ。人が死ぬことを自分の力にするような、そんな呪われたマイティ・ブレイブ、もう使いたくない」
するとトロイの目がたちまち鋭く細められた。
「そういう下らない感情は捨てろ。人類全体を救済することを第一に考えるのだ」
「下らない感情?」
アツシは思わず足を止めて、そう声をあげていた。トロイも立ち止まり、こちらは居丈高にアツシを見下ろして云う。
「そうだ。おまえの考えは一見して優しく、良心的に思える。だが人々が真に望んでいるのは魔王とモンスターの脅威からの解放だ。それなのに『死者を弄ぶようでつらい』などと戯言を云って自分の力を封印するのは、人類全体に対する裏切りだ。死後、おまえに使役される天使たちですら、魔王を倒せるとあらば自分が死んだことを神に感謝し、おまえに喜んで仕えるだろう」
「馬鹿な! 自分が死んだことを喜ぶ人間などいるはずがない! あんたは人間の心や生死を、まるで数字の計算でもするかのように扱っている。そんな考え、俺には到底受け容れられない!」
そのまま二人は睨み合いに入った。アツシの心ではトロイへの不満が分厚くなっていき、二人のあいだの空気がどんどん険悪になっていく。と、そこへしばらく黙っていたレナが取り成すように云った。
「お二人とも落ち着いてください。トロイ様も、アツシ様に無理強いしないで下さい」
するとトロイはレナを一睨みしたが、その目はすぐに宙をさまよい始め、思索に耽り出したようだった。
「……いいだろう。検証を再開しないと云うのなら、リスクは増すが、逆に云えばそれだけだ。アツシ、おまえにはこれからも戦ってもらう。なにがどうあろうとな」
俺の未来を勝手に決めるな――と云う激しい言葉が、アツシの口をついて出かけた。言葉だけでなく体ごとトロイに突っかかろうとして、思わず前のめりになった。
しかしそんなアツシの動きを予想していたかのように、レナがアツシの左手首を掴んでくる。それで少しばかり冷静になったアツシは、一つ大きく息をするとどうにか怒りを散らして黙りこくった。
それからアツシたちは歩みを再開し、しばらくして目的地に到着した。オヴェリアの屋敷だ。アツシにとって、ここまで来るのは三年ぶりになる。別に近づくことを禁止されていたわけではないのだが、なんとなく足が向かなかった。
トロイは門前で足を止めるとアツシに向き直った。
「ではアツシ、おまえはここまでだ」
「ですよね」
オヴェリアは要人であり、簡単に会わせてもらえる人ではない。三年前は向こうから呼び出されたわけで、つまり特例だったのだ。
「じゃあ俺たちはこれで」
ここに来るまでのあいだにトロイとはもう十分に話をした。アツシが聞きたかったことも、トロイが聞きたかったことも、もうお互い話し終えている。このあとはペンタゴン2に戻って担当官と話をせねばならない。どいつもこいつもしつこいと思うのだが、これ以上マイティ・ブレイブ検証云々で煩わされないようにきっちり話をつけねばならぬ。
「行こう、レナ」
「いや、待て。レナ、すまないが君は俺と一緒に来てくれ。ちょっと頼みたいことがある」
「えっ?」と、アツシとレナの声が重なった。
アツシはたちまち目に角を立て、トロイに一歩詰め寄った。
「どういうことです? どうしてレナを?」
「俺には従者がいない。二百年前に召喚された当時は従者制度などなかったし、従者制度が出来てからも特別な一人を作ろうとは思わなかった。だからちょっとした使いを頼みたいときに、適当な者に声をかける。それがレナというだけだ。アツシ、ペンタゴン2で担当官と話をするくらい、一人でも出来るだろう?」
それはそうだが、お使いなら別の者に頼めばよいではないか。どうしてよりによってレナを使うのだ? アツシの胸に、不満が雲のように広がっていく。しかし。
「わかりました、トロイ様。どうすればよろしいですか?」
自分の頭越しに了承してしまったレナを、アツシは軽く睨みつけた。そこに不快の念を感じ取ってか、レナは少しおどおどとして云う。
「だってたとえ専属でなくとも、勇者様に頼みがあると云われては、そうそう断れるものではありません。それがちょっとしたお使い程度のことであればなおさらです。もちろん私はアツシ様が最優先ですが、アツシ様は今、私になにか御用命がおありでしょうか?」
「いや、それはないけど……」
自分以外の者がレナを顎で使うのは気分の悪いことだった。そこへトロイが云う。
「そんなに長くは借りない。おまえがペンタゴン2での話を終えるころには、レナもおまえの許へ帰るだろう」
「……わかった」
納得したわけではないが、ここで云い合いになってもレナが困るだけだろうと思ってアツシはそう返事をしていた。
そうしてアツシはその場でレナたちと別れ、一人ペンタゴン2へ引き返し、そこで自分の担当官と会ってマイティ・ブレイブの検証作業についてまたしても押し問答をした。向こうはどうしてもアツシに検証を継続してほしいらしく、色々な好条件や報酬をつけてきたが、そんなものでアツシの心は動かされなかった。
――おまえの考えは一見して優しく、良心的に思える。だが人々が真に望んでいるのは魔王とモンスターの脅威からの解放だ。
トロイの言葉が頭をちらついたが、アツシは自分のマイティ・ブレイブが呪わしく、またもうこれ以上人の死を見たくなかったのだ。
結局話は決裂した。そのころにはもう夕方になっていて、アツシはくたくたになりながらもペンタゴン2のロビーや玄関を見て回ったが、レナの姿がない。
おかしいと思っていると、日が完全に暮れてからレナがアツシの前までやってきた。
「遅かったじゃないか」
アツシが憤然と云ったが、レナは反応しなかった。ただじっとアツシを見つめている。
「レナ?」
アツシが訝しんでそう名前を呼ぶと、レナは寂しげに微笑んだ。
「アツシ様、ただいま戻りました。遅くなりまして申し訳ありません」
「いや、いいけど……なにかあったのか?」
「いえ、別に。それより夕食はどういたしますか?」
そこからレナはいつものレナに戻ったのだが、それがどうにも演じているように感じられて、アツシには釈然としなかった。
◇
その数日後、アツシは手土産の御菓子を手にニコラの屋敷を訪れていた。憶えているだろうか? 新米勇者のマイティ・ブレイブを鑑定する瞳を持つ、あのニコラだ。
ハリーと同じく召喚初日に知り合った勇者ということもあり、アツシはこの三年間ニコラと懇意にしていた。たびたび一緒に食事をし、訓練の愚痴や悩みを聞いてもらったりしていたのである。友人と呼ぶには年齢が離れすぎていたが、それでもアツシはひそかに友人だと思っていた。
そんなニコラにアツシが今日持ち掛けた相談は、ほかでもない、レナのことだ。どうもここ数日、レナの様子がおかしい。考え事をしていて返事が遅れたり、ときどき遠くを見るような目をしているのは、今までになかったことだ。
屋敷の応接間でアツシの話を聞いたニコラは、しばしの沈黙を挟んで云った。
「なら、気晴らしにどこかへ遊びに連れて行ってはどうだね? つまりデートだ」
「デートって……」
頬に朱を散らすアツシに、ニコラは笑って云う。
「好きなのだろう? 別に構わないと思うよ、勇者と従者が恋人になっても」
アツシは赧然とすると、しばらくの沈黙を挟んで云った。
「ニコラさん、実は俺、このあいだの戦いでどさくさに紛れてついうっかりレナのこと、好きって云っちゃったんですよ」
「ほう。それで?」
「でもそのあと俺のマイティ・ブレイブが覚醒するわ魔王は出てくるわ……俺のためにポールが死んでしまうし。王都に戻ったらマイティ・ブレイブの検証作業で忙しいわで、すっかりそんな雰囲気でもなくなってしまって」
そこでアツシは、思い詰めた目をしてニコラを見た。
「レナは、俺がレナのこと好きだって云ったこと、どう思ってるんでしょうか?」
「それは私に聞かれても困る。勇気を出して、自分で確かめるしかあるまい」
「……ですよね」
当たり前の答えにアツシは苦笑いをした。
その日から、アツシはレナについて考える時間が多くなっていった。
いつからレナのことを好きになったのか、はっきりとはわからない。それこそ初めて会ったときから好きだったのかもしれない。だがアツシはそんな自分の気持ちについて、この三年間、あまり考えないようにしてきた。訓練が厳しすぎたせいもあるし、未来が暗礁に乗り上げていたせいもある。しかしマイティ・ブレイブに覚醒した今、アツシは自分のこれからについてじっくり考える時間を持てるようになっていた。
――この先、俺はどうするか。
たとえ誰になにを求められようが、ポールがアツシのために死んだのだとしても、アツシには自分の生き方を自分で決める権利があるはずだ。たとえば壁の外へは行かず、街で安定した仕事を持ち、恋人、引いては伴侶を持つことだって、夢ではない。
そんな気になったアツシは、ある日、勇気を奮い起こしてレナを遊びに誘ってみた。するとレナは嬉しげに
「私もそう思っていました。たまにはいいですよね、そういうのも……」
こういう次第で、ある一日、アツシとレナは王都の繁華街に繰り出して遊び倒した。そのあとレナが夕焼けを見たいと云って、アツシたちは王都の外れにある丘の上までやってきた。アツシが丘の上から夕日をうっとりと眺めていると、出し抜けにレナが云った。
「アツシ様。アツシ様は今でも、私と同じ夢を見てくださっていますか? あの壁がなくとも、誰もが安心して自由に暮らせる世界にしたいという、あの夢を……」
アツシは急に喉元へ刃物を擬せられたような気持ちになった。
「レナ、それは、その答えは……」
「ごまかさずに答えて下さい」
まっすぐな眼差しとともにそう云われて、アツシは正直になる覚悟を決めた。
「わかった。なら云うよ。たしかに俺はマイティ・ブレイブで天使を召喚してSランクモンスターを倒した。でもそれがなんだって云うんだ? SランクだのAランクだのは所詮俺たちが勝手に決めた分類で、俺が召喚する天使より強いモンスターなんてごろごろいるかもしれないじゃないか。そんなのに遭遇したら終わりだろう。それにそもそも俺は自分のマイティ・ブレイブが好きじゃない。君の夢を叶えられるものなら叶えてやりたいけど、死んだ人をこっちの都合で使役して戦わせるなんて出来ない相談だ。俺のマイティ・ブレイブはハズレだった。そしてもっとはっきり云うと、俺はもう世界を変えるどうこうの予言なんかどうでもよくなっている。そんなことより、この壁のなかで君と幸せを掴みたい。君とだ、レナ」
そこでアツシはつんのめるように絶句した。ここまで云うつもりはなかったのだ。しかし、言葉が口から出てしまったものは仕方がない。アツシは腹を括ると続けた。
「君のことが好きだ。俺と結婚してくれないか」
そう云ってしまってから、アツシは自分の顔をどこかに思い切り叩きつけたくなった。いきなりそれを云ってどうするのか。だが、ほかにどうすればよかったのか。もうわからない。心は火の玉のようになっていて、どこへ飛んでいくかわからない。
そしてレナは驚きに目を瞠ったあと、嬉しげに
永遠にも思えるその時間が終わったあとで、レナが云う。
「ごめんなさい」
「……なぜ?」
「私もアツシ様のこと、好きです。しかしそれでも、私は夢を見てしまうのです。魔王の脅威がなくなってあの壁が取り払われ、私たちの前に無限の地平線が姿を現わす瞬間をです。そしてあなたならそれが出来ると思ってしまう。なぜなら、あなたは私の選んだ、私の勇者様だからです。私があなたを崇拝していると知っていましたか? この信仰のために、私は命を投げ出すことも構わない」
自分の腕のなかにいるレナが、自分の知らない顔を見せたことに、アツシは背中がぞくりとした。レナが怖くなって、いつもの彼女に戻ってほしいと思った。
「どうしたんだ、レナ。なにを云ってる?」
しかしレナはもうアツシには微笑まず、アツシから身を離すとあらぬ
「ジュリアン様」
思わぬ名前にアツシが驚きながらレナの見ている方を見ると、いつの間にか、そこに二人の人物が立っていた。片方はたしかにジュリアンだ。
ジュリアンはアツシたちの方へ近づいてくると云った。
「おい、レナ。もういいのか?」
「はい。ありがとうございました」
その短いやりとりで、アツシはレナとジュリアンのあいだになんらかの話が出来ていたことを悟った。
「おい、なんだ、レナ? どういうことだ? ジュリアン、いったいどうしてここにいる。隣の奴は誰だ?」
「そういっぺんに尋ねるなよ。まず自己紹介からしておこうか」
ジュリアンはそう云うと、自分の隣に立っていた男を親指で示して云った。
「こいつはハムバ。勇者の一人だ。マイティ・ブレイブは睡眠……つまり対象を眠らせることだな」
「強めのモンスターが相手だと滅多に成功しない、つまらないマイティ・ブレイブだよ」
そう謙遜したハムバの尾についてジュリアンが云う。
「だが人間には覿面に効くぜ。なあ、ハムバ?」
「ああ。スリーピング・コフィン」
そう云ってハムバが右手を挙げると、猛烈な睡魔がアツシを襲った。同時に足下から半透明をしたピンク色の棺のようなものが現れて自分を閉じ込める。もう立っていられなかったが、その棺がアツシを倒れないように支えてくれた。
――なにが。
必死に目を開けようとするアツシにジュリアンが云う。
「ハムバのマイティ・ブレイブは分類すると結界系でな、棺という結界に閉じ込めた相手を眠らせるのさ。その棺のなかにいるあいだは決して目醒めない。次に目が醒めたときには、全部終わってるだろうよ」
――ジュリアンはなにを云ってるんだ。どうしてこいつが俺にこんなこと。それにレナ。
レナは、ジュリアンやハムバとともに立ってアツシを悲しげに見ている。誰が敵に回っても彼女だけは味方だと信じていた。その彼女がジュリアンとなにか図って、アツシにこのようなことをしたのだ。
――なにか、意味のあることだよな、レナ。
そう信じて願いをかけたとき、アツシの意識は闇に落ちた。
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