第二話 訓練風景

  第二話 訓練風景


 アツシはレナやニコラの案内で勇者特区の訓練施設まで行くと、そこで勇者でもあり訓練教官でもある男に引き合わされ、自己紹介のあとで今後の生活の方針を説明された。

 訓練過程を卒業するまで、アツシはこの訓練施設に併設の寮で寝起きすることになる。正式な住居は卒業と同時に改めて用意されるらしい。一週間のうち五日間は訓練だが、残り二日は休日も兼ねた社会見学の日である。

 教官曰く、「実際に自分の足で王都を見て回り人と親交を深めるのが、この世界に適応する一番の近道だ」ということらしい。ちなみにその日は外泊も可能だと云う。勇者の住居は法律で勇者特区と決まっているが、やむを得ない事情での外泊は当然認められる。

「どこに泊まるんだ?」

「私の家ですよ」

 と、レナが胸を張って云った。レナの実家はこの王都でパン屋を営んでおり、使っていない部屋があってそこにアツシを迎える準備も出来ているらしい。こうした環境を持っているのも、従者に選ばれる条件の一つなのだそうだ。

「従者になるのにも色々と試験があったんですよ」

 レナはレナなりに努力して従者の座を勝ち取り、召喚の儀に臨んで自らの手で新たな勇者をこの世界に召喚したのである。アツシはこのとき、この世界において従者はエリートであり、誰にでもなれるわけではないことを初めて知った。

 ともあれ、こうして新しい生活の準備が整い、アツシの訓練の日々が始まった。

 アツシはまず基礎的な体力作りを課せられ、座学ではこの世界の法、歴史、地理、常識、その他ありとあらゆることを勉強せねばならなかった。実技では乗馬、剣、槍、弓、格闘、その他壁の外で使う道具の使い方や整備の仕方などを叩き込まれる。

 王都を出て山に入り、野外活動をすることももちろんあった。テントの張り方や料理、ナイフやロープの使い方、怪我をした場合の手当の仕方まで学ばされる。

 あるときは先任の勇者たちとの交流会があった。勇者たちは様々な時代、様々な国からやってくるが、当然ながら人が集まれば派閥が生じる。地球での祖国や人種や宗教に分かれて纏まっているグループもあったし、この世界の現地民に対して勇者はどうあるべきかという思想の違いで分かれている団体もあった。また彼らは手製のボールを作り、それでサッカーをしたりもしていた。

 そうした先輩方から洗礼を受けたかと思うと、また訓練の日々をこなす。食事は肉料理を中心に多く食べさせられた。

 教官曰く、「貴様はそもそも肉体が出来ていない。どちらかと云えばやせっぽちで、体作りの基礎から始めねばならん。恐らく訓練期間は予定の十二週間では済まないだろう。わかったか、このおちこぼれ!」

 そう云われて、アツシは少なからず落ち込んだ。さらには訓練の厳しさ、理不尽さにもうんざりさせられた。こんなの一人で持てるわけがないという丸太を無理やり背負わされ、潰れたところへ教官が腰をかけて「さっさと起き上がれ、蛆虫!」と云う。湖の真ん中まで小舟を漕がされたかと思うと、服を着たまま説明もなくいきなり水に突き落とされ、「泳いで戻ってこい、ごみ虫!」と云われる。少しでも気が緩んだところを見せれば、懲罰の腕立て伏せを五十回はやらされる。目の輝きが足りないというふざけた因縁をつけられてはスクワットを百回やらされる。

 もちろんアツシは後悔していた。

 ――くそくそくそ! 騙された騙された騙された! なんだこれ? なにが『神は乗り越えられない試練は与えない』だ! 俺は軍隊も体育会系も大っ嫌いなんだよ! ああ、もう、逃げたい!

 だがアツシはそんな本心とは裏腹に逃げなかった。レナがいたからだ。

 どんなときも、レナがアツシを支えてくれた。励ましてくれた。彼女の眼差しがあったから、アツシは逃げるわけにはゆかなかった。言葉にせずとも伝わってくる信頼を裏切りたくなかったのだ。

 またレナの家族とは親しくなり、彼女の両親や弟が、失った元の世界の家族の代わりのように感じられることさえあった。

 そんな訓練訓練また訓練の日々であったが、一度だけ本気で逃亡を考えたことがある。それはある勇者がモンスターを連れてきたときのことだ。

 その勇者は打ち負かしたモンスターを従えることのできるテイマーのマイティ・ブレイブを持つ男で、モンスターを見たことのなかったアツシに、モンスターとはこういうものだという実例を示すため、時間を作って来てくれたのである。

 事前に話を聞いていたアツシは、これでやっとモンスターについて、知識ではなく体験で知ることができると思って喜んだ。しかし、その勇者が連れてきたモンスターの実物を見た瞬間、心がくじけた。一目見ただけで本能が理解してしまったのだ。

 ――こいつは人間が戦っちゃいけないやつだ。これに戦いを挑もうとすること自体がなにかの間違いだ。

 それは身長三メートルもありそうな人型の異形で、それが目の前にいるというだけでアツシは猛獣と同じ檻に入れられたような気分だった。テイマーの勇者に服従していると頭では解っていても、本能が逃げろ逃げろと警鐘を鳴らしてくる。

「こいつは、Aランクのモンスターですか?」

 そうアツシが強張った声で訊ねると、テイマーの勇者は笑ってかぶりを振った。

「まさか。彼は獣人タイプのEランクだよ」

 ランクとは?

 モンスターには勇者たちによって決められた等級がある。外見によって種族を分類し、名前をつけ、さらに二百年以上に及ぶ戦闘経験を元に等級を分けることで、各モンスターのおおよその危険度を判断し、勝ち目があるかどうかを瞬時に判断する目安としているのだ。その等級はSからFの七段階に分かれていた。また未知のモンスターはZランクに分類されている。だからつまりEランクと云うのは、下から二番目だ。

「こいつが、下から二番目のランク? 嘘でしょう……」

「残念ながら事実だ。君もここで学んでいるなら、Bランク以上のモンスターと戦ってはいけないということはわかっているだろう。勝てないんだ、勇者でも。壁の外でB以上のモンスターと接触した場合、撤退あるのみだ。こいつはEランクだから勝てた。そして現在は僕の支配下にある」

 そのあとアツシはそのモンスターと模擬戦をしたが、まったく歯が立たなかった。生物としての基本性能が違いすぎたし、訓練を経て多少は強くなったのじゃないかという自惚れも粉砕された。

 ――このレベルでEランク。壁の外に行ったら、こんなのがごろごろしているのか。

 マイティ・ブレイブがなければどうにもならないということがよくわかった。そして未だマイティ・ブレイブに目醒めぬ自分が壁の外へ行くことが、改めて自殺行為に思えたのだ。

 ――無理だ、こんなの。

 そう悟ったアツシは、その日のうちに壁の外へ行く話を取り消すにはどうすればいいか、レナに相談しようとした。

 ……。

 その日、レナとともに訓練施設を出たアツシは、彼女を家まで送るべく、夕暮れの街を二人一緒に歩いていた。茜色の夕日がレナの横顔を照らしている。やっぱり壁の外へは行きたくない――そうレナに率直に告げようと思っていたアツシだったが、いざレナの顔を見てしまうと切り出そうにも切り出せず、迂路を巡ってこう尋ねた。

「最近思うんだけどさ、壁の外へ行く必要って、本当にあるのかな?」

「と、云いますと?」

「たしかに限られた土地だけど、半径一〇〇キロメートルってことは結構広い。壁の外に行く必要が本当にあるのか。資源の問題だって、上手くすれば解決できるんじゃないか……なにより、壁のなかは安全なんだぜ?」

「なるほど、一理ありますね。でも私は、それがなんだかとても悔しいんです」

 いつも優婉だったレナがそのとき初めて仄かに気色ばんだ。アツシにはそれが衝撃だった。心のどこかで、彼女は怒りとは無縁の人間だと思っていたのだ。だがもちろんそんなことはなく、レナも一人の人間で喜怒哀楽があり、希望と欲望があったのだ。

 レナは遠く遙かな壁を見ながら云う。

「オヴェリア様には感謝しています。あの壁があるから私たちは生きていられる。でも私は思ってしまうのです。いつか世界の在り方が全部変わって、壁なんかなくても安心して暮らせる、自由にどこへでも行ける、そんな世界になったらいいな、と」

 そこで言葉を切ったレナは、アツシに顔を振り向けると微笑んだ。

「本当は子供のころから、遠くに霞む壁を見るたびそう思っていました」

「レナ……」

「でも、もしそんな風に世界を変えることができるとしたら、それは勇者様だけ。だから私は勇者様の従者になって、勇者様にお力添えする道を選んだのです」

 思いがけずそんな話を聞かされたアツシは、ただただ茫然としてしまった。

 ――世界の在り方を変えるだって?

 アツシには、自分にそんな御大層なことができるとは露ほども思わない。マイティ・ブレイブに覚醒するどころか、卒業試験に落ちて訓練を通常の十二週間で終えることができず、四ヶ月も訓練を続けているような落ちこぼれなのだ。しかも今日、モンスターを目の当たりにして逃げたがっている。

 ――そんなことを考えていたなら、どうして君は俺みたいなのを引き当ててしまったんだ。もっと勇気と才能に溢れた勇者の手を取っていればよかったのに。

 するとアツシの表情を読んだか、レナはすまなそうに云う。

「でも、ごめんなさい。こんな私の夢を押しつけられたって、アツシ様も迷惑ですよね」

「……夢?」

「はい。勇者と従者は互いに一人、一対一の関係です。この世界に勇者は数あれど、私の勇者はあなただけ。ですから、あなたは私の夢なのです」

 そう云うと、レナはわらってアツシの胸に握り拳をちょこんとあてた。

「だからがんばってほしいんですけど、でもアツシ様がそれに付き合う義理なんてないですよね。私が勝手に夢を見ているだけなんですから」

 それはその通りだった。アツシとしては、自分の身の丈に合わぬ夢を投げかけられても困る。そんな夢は叶えてやれない。しかし。

「いや、そういう夢なら二人で見るのもいいんじゃないか」

 アツシは、そう云ってしまっていた。

 もちろん自分が世界を変えられるなどとは思わない。レナの夢は叶わないだろう。一番上等な結果でも、訓練期間終了後、壁の外でマイティ・ブレイブに覚醒し、帰還後は壁を守る任務について終わりだ。そんな未来が見える。それなのに、どうしてだろうか。

「俺と君で世界を変えてやろう」

 アツシはそうはったりを云っていた。絵にも描けぬ大嘘をぶち上げてしまっていた。

 ――馬鹿な、なにを云ってるんだ。俺ってやつは。

 馬鹿なことを云ったと思うが後悔はしてない。レナが、本当に嬉しそうに笑ったからだ。

「……アツシ様、ありがとう!」

「礼を云うのはまだ早いさ。それは夢が叶ってからにしてくれよ」

 世界を変えるなど無理だ。それでも、嘘でもいいから彼女を喜ばせたかった。大きな夢や理想を語って、笑わせてあげたかった。つまりは、可愛い女の子の前で格好をつけたいというだけの、ただの単なる男の子である。

 ――ああ、くそ。これでもう逃げられなくなっちゃった。

 なにがどうあれレナの前で見栄を張った以上、その見栄は張り通さねばならぬ。そういう理由でアツシは逃げたいという言葉を呑み込み、次の日も訓練に出かけた。次の日も次の日も、そのまた次の日も。季節は巡り、召喚当初は秋だったのが冬になり、春が来た。このころになるとアツシの次の勇者、つまり八六八番目の勇者が来て、訓練は彼と合同になった。その彼が卒業していき、八六九番目の勇者が来ても、アツシはまだ訓練過程を終えることが出来なかった。

 アツシはセンスもなければ勘も悪い、筋金入りの落ちこぼれだったのである。ただ食事だけは精のつくものをたらふく食べさせてもらっていたのと、毎日のように徹底的にしごかれていたおかげで、筋力と体力だけは厭でも身についた。

 そして三年の月日が流れた。

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