第52話

 もともとライの持ち物ではなくライと同じ飛行機に乗り合わせていた登山家の持ち物で、イベントなどの即売会でのみ工房の社長や関係者が直接販売している大型のものだ――ブレードを伸ばしたときの全長は実に三百ミリ近く、ブレードは青鋼あおこうを左右からがねではさみ込んだ三枚と呼ばれる構造のもので、青紙割込と刻印が施されている。

 この五年間でずいぶんとべりしてしまったブレードは刃が折り取れるカッターナイフをちょっと反らせた様なスタンダードな形状のものではなく、柳の葉の様な先細りの形状をしている――大ぶりの刃を持つこの肥後守は工房の社長いわく、キャンプブームで人気が出てきたらしい。

 ライは真鍮製の鞘からブレードを引っ張り出すと、鋭利な刃先を先ほど割り取った細い薪にあてがった――肥後守はブレードをふたつ折りにした真鍮の板ではさみ込んだだけの非常にシンプルな構造で、素手で力の要る作業をすると指に真鍮板のエッジが喰い込んで痛い。否それは別にどうでもいいのだが、力の要る作業をするときには手袋をしていたほうがやりやすい――ライが今着けている様な、親指から中指までが剥き出しになった手袋ではたいして役に立たないが。

 そんなことを考えながら、ライは牛蒡のささきを作るときの様に薪に対して斜めにあてがった肥後守を強く押し込んだ。

 最初は荒れた表面を削り取るために、強く分厚く――最初から割り箸の様に表面が整えられているなら、軽い力で削ればいい。

 ある程度刃を当てる面が整ったところで、ライは立てた右膝に載せる様にして腕を固定した。刃先を当てる角度は三十度から四十五度、個人の好みによっては直角に当てる人もいるだろう。

 薪に刃先を軽く当てて、薪を保持した左手を軽く引く――あくまでも軽く触れさせるのが大切だ。強く当てると分厚くなり、火のつきが悪くなる――は数本作るので、ある程度火が大きくなってきてからであれば分厚いほうが都合は良くなるのだが。

 ファイアスティックとかフェザースティックと呼ばれるもので、焚きつけキンドリングとして使ったり火口ティンダーに使うための削り屑を取るやり方だ――焚きつけとして使う場合は、削り屑が薪から切り離されない様に適当なところで止める。

 削り屑といっても、くちに使うものは長さ十数センチの細い糸状の削り屑――荷物の緩衝材として用いられている一ミリ幅くらいの紙テープの様なものを作る。細く長く薄いものを大量に作って、そこに火花を飛ばせば容易に火を熾せる。

 熟練すると鉋で削り取った様な薄い削り屑を得ることが出来、油の含有量の多い針葉樹のものが特に火口ティンダーに向いている――油分が多いぶん燃焼速度が速く、枯れ草などを併用して焚きつけキンドリングに素早く火を移さないとすぐに燃え尽きてしまうのだが。

 肥後守の工房の社長が言うには、キャンプブームでフェザースティックを作るキャンパーが増えたことで大型の肥後守の売れ行きが良くなっているらしい(※)――さもありなん。


※……

https://www.higonokami.jp/index.html

 クラウドファンディングサイトMakuakeからのご縁でしたが、兵庫県三木市での古式鍛錬実演や高島屋の展示即売会でお目にかかったときに肥後守の工房、つまり永尾かね駒製作所の永尾光雄社長に窺ったお話はとても為になっております。この場を借りて御礼申し上げます。

 なんかもうMakuake以外にもCAMPFIREにKICKSTARTERといろんなクラファンに製品供給するために過剰労働状態の様で、正直体調が心配ですが。

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