第32話

 その当時のライの苦労を脳裏で思い描いて、康太郎は顔を顰めた。狩猟に出て狩ってきた獲物を解体し、残渣を使って肥料を作り、肉をなんらかの方法で保存処理して、それが終わったら、あるいは作業の合間に畑を開墾して土を作る――それはもう大変だっただろう。

「長期保存のために燻製にしてたから、その煙の成分を結露させて木竹酢液もくちくさくえきとして取り出せた。だからまあ、普通に草土と一緒に混ぜるだけよりは多少条件はましだったと思うが」

「木竹酢液? 園芸で使うあれか?」 ガーデニングが趣味だった母の園芸用具の棚に木酢液や竹酢液のボトルが並んでいたのを思い出し、康太郎はそう尋ね返した。

「ああ――木酢液や竹酢液に含まれる有機酸には土壌細菌を活性化させて、発酵を促進する作用がある。米糠があればもっと早くなるが、まあそのときはまだ無理だった」

「米糠か」

「ああ――どちらも狩猟残渣や生ごみの発酵には有用だ。車の両輪というやつだな」 そんなふうに続けてくる。そのときはまだ無理だったという言葉から察するに、今は出来るということか――米糠が確保出来る、つまり稲作が出来るということだが。

「しばらくしてから、出かけてる最中に過労でぶっ倒れてな。ガラ――あの一番最後についてきてる、彼の妹に発見された」

 ライはそう言ってからちょっと考えて、

「ガラが俺を家まで運んでいってくれたんだが――どうも俺の家、当時はまあひとり住まいの小屋だったが、とにかく家に着いたらなんか驚いててな」 という口ぶりからすると、今はひとり住まいではないのだろうか――とも思ったが、勘繰るのも無粋というものだろう。昨夜気安い様子で肩に触れたりしていた様子から察するに、あの褐色の肌の少女と一緒なのかもしれない。

「そのあと、彼らの村に引き返していろいろまくし立てられた――当時の俺にはなに言ってるのかわからなかったが」 ライはそこで苦笑して、

「まあどうやったらあんなに芽が出るんだ?とか聞かれてたんだと、今ならわかる。一日世話になってわかったが、彼らの農村の作物の出来はまったくもってよくなかった――食事が酷かったからな」 地味に失礼なことを言っているが、ライは嘲るでもなく淡々とした口調だった――、そう言いたいのだろう。

「正確に言うなら、彼らの村だけが悪かったわけじゃない――が酷い飢饉だったんだ」

 ライが言うには十数年前、この国――アーランド王国と、それに北東に位置するエルディアという王国は酷い旱魃が原因の飢饉に襲われた。

 もちろん被害をこうむったのはその二ヶ国だけではないが――ダメージを受けたのはどこも似たり寄ったりだろう。ただし人間の生活圏としては大陸南端部に位置するアーランドと東北東に位置するエルディアは赤道に近いぶん日照が強く、そのぶんダメージが深刻だった。

 それをなんとかしようと当時の農政大臣が無茶な植えつけや連作を強要し、結果として土地ががりがりに痩せる結果になったらしい。

「話を聞く限りだとかなりひどかったぞ――トロフィム・ルイセンコと同レベルだ」

「……誰だ、それ?」

「知らないのか? 旧ソ連のへぼ農学者だ」 康太郎の質問に、ライがそんな返事をしてくる。

 いわく、トロフィム・ルイセンコというのは旧ソ連の生物学・農学者で、環境因子が形質の変化を引き起こし、それが次世代に遺伝するという主張を唱えた人物であるらしい。メンデルの発見した遺伝の法則を否定し、獲得形質の遺伝性を支持した似非科学者として名高い――そうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る