第32話

 ライはミドルクッカートレックの蓋の上に置いていたピンセットをぐつぐつと沸騰するお湯の中へと投げ込むと、血を拭うのに使った綿紗ガーゼやらなんやらを焚き火に放り込んだ――綿紗や包帯、三角巾などはこちらの世界でも用意出来るので、差し迫った状況でなければ煮沸消毒して騙し騙し使う必要は無い。

 だが医療用資材に関しては、気楽にホイホイ廃棄するわけにもいかない――現代の技術で仕立てられた医療用器具というのは貴重なのだ。

 煮沸消毒は十五分間続けなければならないので、その間じっと待っているのは時間の無駄だ。ライは医療用メディカル資材キットを手早くまとめると、火に翳したミドルクッカートレックをそのままにして立ち上がった。

 機体のそばに近づいたところで、入口の脇で機体にもたれかかっていたゲイルという名の兵士がこちらに気づいて片手を挙げる――それが癖なのか彼は顎髭を触りながら、

「用事は済んだか」

「ああ」 と返事をしたライに、ゲイルはそうかと小さくうなずいた。彼は機体内部を視線で示しながら、

「そうか――それはともかく、ガンシュー・ライ。がさっきからめそめそ言ってるんだがなんとかならんか」

「? なんのこっちゃ」

 首をかしげながら昇降口から機内に足を踏み入れて室内を覗き込むと、寒かったのかユーコン・ストーヴの前まで移動させたベッドに腰を下ろしたメルヴィアが、ぷっくりと赤くふくらんだ腕と頬と太腿をこすりながらめそめそとぐずっていた。

「あうううううう」 彼女はしばらく情けない声をあげていたが、やがてこちらに気づいて、

「ライ、かゆい」

「虫に喰われたのか」 なにしろ冬でも割と暖かく、湿気の多い環境なので、多少気温が低くても虫はいる。当然肌の露出が多ければ虫に喰われる可能性は上がるわけで、

「だからその格好やめなさいって常々言ってるでしょうが」 ライはそう返事をして溜め息をつくと、日頃の気丈さからは考えられない態度で泣きついてくるメルヴィアの姿に頭を掻いた。

「だって動きやすいんだもの。ライ、なんとかしてよう」 

「わかった、わかった」

 そう返事をしてから、ライは濡れたままだったミドルクッカートレックをユーコン・ストーヴの隣に設置した箱鞴の蓋の上に載せ――放射される熱で放っておいても水気が乾くだろう――、雑嚢の中からメッシュの巾着袋に入った別のクッカーを取り出した。ストーヴの上に置いてあるものも含めて、数種類の大きさのクッカーその他を重ねスタッキングして持ち歩いているのだ。

 その中から必要なもの――二百二十ミリリットル入りの一番小さなマグカップを取り出す。折りたたみ式の取っ手を広げ、ライは巾着袋を箱鞴の上に置いた。あとで片づければいい。

 ユーコン・ストーヴの煙突に載せた鋳鉄製の五徳の上に、チタン製のクッカーが置いてある――飲料水を確保するために汲んできたのだろう。五徳は倉庫にしている操縦室の操作パネルの上に置いてあったものだ――まだ火にかけたばかりらしく、表面についた水滴が乾いていない。

 ライが出した憶えは無いから、メルヴィアに持たせているものだろう――同じくスノーピーク製の製品で、寸胴鍋の様な縦長の深底鍋大小と大小それぞれの皿やフライパンとして使える蓋から構成されている。五徳の上に置かれているのは大型のクッカーで、残りは袋に入れてAフレームの天板の上に置いてあった。

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