失恋ぐらいで大袈裟な

失恋ぐらいで大袈裟な


「世界の終わりだよ」



「失恋ぐらいで大袈裟な」


 目の淵に涙をいっぱいに溜めた友人の顔をしばし見つめて、私はふっと溜息を吐いた。昼休みの教室は皆がそれぞれのお喋りに夢中になっていて騒がしいけれど、お陰で誰かが涙でぐしゃぐしゃになった凛子の顔を見てぎょっとすることがないのはありがたい。

「わたしにとってはそれぐらいの問題なんだよ」

 まるで本当に世界滅亡のお告げでも受けたかのように悲壮な声色を、けれど私は「はいはい」と軽く聞き流した。他の子が失恋で落ち込んでいたならそれなりに慰めるだろうけれど、彼女に関してだけは話が別だ。

「だって、今年度だけで三人目の彼氏でしょ。あ、もう元彼氏か」

「それでもやさしくしてよ、冷たいなあ」

「中学の時から数えたら十五回目のスピード破局だし」


 凛子は(彼女自身の自称する所によれば)いわゆる恋愛体質の女の子だった。実態はただ人より少し交際相手が入れ替わるサイクルが速いだけだから、そう大仰に称するようなシロモノでもないと思うけれど。

 小作りで可愛らしい外見に惹かれて告白してきた男子とお試し気分で付き合って、しばらくはお姫様のようにちやほやされて夢見心地になるのだけれど、いつも最後には相手に振られて泣いている。中学の入学式で出会った頃から高校二年生の今に至るまで、彼女の恋愛話に付き合わされ続けている私の分析によると、少し親しくなると調子に乗っていらないことまで喋りすぎる所がよくないのだと思う。付け加えるなら失敗から学ぼうという姿勢もあまりなくて、とにかく行動に慎重さが足りない。

「今度こそはって思ったんだよ。初デートの時優しかったし、バスケうまいし」

「顔はそんなにカッコよくなかったよ」

「愛があれば見た目は関係ないもん」

「一か月でふられたくせに」

 事実を指摘すると、凛子は「うう」と呻いて机に突っ伏した。頭を覆うようにして組んだ腕の下から「世界の終わりだあ」とくぐもった泣き声が聞こえてくる。彼氏なんてどうせまたすぐに出来るんだろうに、毎度毎度よくここまで落ち込めるものだ。

 ほんとうに、彼女は懲りない。

「世界も女子高生の失恋なんかでいちいち滅んでられないよ」

「みんなのじゃなくて、わたしの世界の話だからいいの」

「なにそれ」

 要領を得ない話に思わず聞き返すと、凛子は机からばっと勢いよく顔を上げた。リスのように大きい瞳が涙の膜できらきら光っている。

「わたしの世界にはわたししか住んでないから、他のことは関係ないんだよ。戦争も宇宙人も何にもなくても、わたしが悲しくなったら終わりなの。どんがらがっしゃん、で、崩れておしまい」

「どんがらがっしゃん?」

「どんがらがっしゃん」

 真顔で繰り返す様子がおかしくて思わず噴き出すと、じろりと不満そうな目線が此方を向いた。今のは仕方ないでしょ、不可抗力だよ。

「千秋はまだ世界、終わったことないんだね」

「うん」 

 凛子の話は正直よくわからなかったけれど、よくわからなかったからこそ、私に関してはきっとその通りなんだろう。嫌なことやいらいらすることは沢山あるけれど、世界が終わるような大袈裟なスケールで悲しみを覚えたことはない。私は自分が凛子のように「恋愛体質」でなくて良かったと思った。一か月ちょっとの付き合いの彼氏と別れる度に世界が終わっていたら大変だ。

「よかったね」

「凛子は……ご苦労さま?」

「そう、苦労してるの。大変なんだよ」

 ふふ、と凛子はなぜか得意げに笑った。くだらないことを話して気が紛れたのか、もう涙は止まっているようだ。指で拭ったせいか目の周りは少し赤くなっているけれど、それも暫く放っておけば収まるだろう。

「ねえ。今日の帰り、アイス食べにいこうよ」

「世界の終わりはもういいわけ?」

「いま新しいのが始まったの。新世界の創造」

 知恵の実の代わりにアイスを食べよう。すっかり明るくなった顔でそんなふうに適当に嘯くものだから、私は何だかばかばかしくなって笑ってしまった。

 放課後、約束通り立ち寄ったアイススタンドで、私はチョコレート味のジェラートを、凛子は期間限定の枝豆味を注文した。案の定あまり口に合わなかったようで、しきりに交換しようとせがんでくる彼女の額を指で軽く小突いたりしながら、二人で薄いオレンジに染まる街をじゃれあいながら歩いた。



「どう?」

「いいんじゃない、結構」

「すごくいいって言ってよ!」

 真っ白なドレスもアップにした髪型も、本当は結構どころじゃなく似合っている。この日のためにエステに通っていたと聞いたけれど、そんなことはしなくても何の問題もなかっただろうと思う。凛子は出会ったときから気紛れで、お調子者で、よくわからない女の子だけれど、いつだって何もしなくてもきらきらしている。

「ねえ」

 今日、彼女は結婚する。何か月も前から知っていたはずなのに、実感した瞬間に足元の地面が全て崩れていくような心地がした。


「いま、どういう気持ち」

 此方を見上げる大きな瞳の中に寂しさとも憐みともつかないものを見て、私は自覚すらないままに何もかもを悟られていたことを知った。


「世界の終わりみたい」

 

 



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