第5話 新しい時代へ
博物館の南棟には小さなレストランがあった。さすが歴史館のレストランということもあって、時代劇のお茶処のような外装をしていた。
胡桃と小町は店内奥の座敷テーブルについた。
「私は、勉強することが好きだ」
抹茶を2人分注文すると、向かい側に座る小町が言った。
「学歴とか、受験とか、そういう社会の仕組みを別にして、知らないことを一つ一つ知っていくのは、とてもおもしろいと私は思う。それに、こうやって悩んだり立ち止まってしまったときに、その成り立ちを知ることは、問題解決に向けての一つの糸口にもなる。理科や数学で世界のことを知れば判断基準の一つになるし、英語や国語のように言語を身につければ他人との意思疎通することも簡単になる。そう考えると、全部、自分自身のためになると思うしな」
「初めてかも」
胡桃は言った。
「そうやって、勉強のことが好きだって言う人。嫌いだけど将来の生活のためにするって言う人が多かったから」
「そりゃ、もちろんそういう考えだってある。たくさんお金を稼ぐため、安定した生活のため、人よりも優れているという自尊心を得るため、——それは、人の数だけあるのだと思う。どれが正しい、なんてこともない」
「まあ、確かにね」
ウェイターが抹茶と団子を持ってきた。胡桃は礼を言って受け取り、団子を一つ食べた。朝から何も食べていない胡桃の口には、とても甘く感じた。
「けれど、社会の仕組みなんて、非常に曖昧なものだ」と小町は言った。「時代というのは、必ず変わる。それは歴史を勉強していたらすぐに分かる。どれほど安定した時代だって、いつしか
胡桃は首をかしげた。
「そうかな。——歴史の教科書に出てくるような昔の話だったらまだ分かるけど、こんなに発展し尽くした今の時代が、今後そんなに変わるようには思えないよ」
「そんなことはない」
小町は首を横に振った。
「今のこの現代だって、過去の延長線上で、そして未来からみた『歴史の一部』なんだから。いつしか、今の常識が『時代遅れ』になる日が来る。今の最先端技術が、過去の遺産になる日も来る。この先、今のままであり続けることは、絶対にない。100年後、私たちの世界はどうなっていると思う?」
「100年後……」
胡桃は近未来SF映画のようなシーンを思い浮かべた。100年後の学校の教室。窓の外には空飛ぶ車が行き交っていて、当たり前のようにお掃除用アンドロイドが廊下を歩いている。教室では歴史の授業中で、先生が半透明のディスプレイを黒板に見立てて歴史の授業をしている。面倒くさそうに肘をつきながら授業を聞く未来の子供たち。机の上には電子化された歴史の教科書があって、「平成時代」の風習や社会背景の欄にマーカーで下線を引いている——
小町が抹茶を飲んだ。
「明治維新のときもそうだが、私たちは変化に対応する力をつけなくてはいけない。これまでの常識とは全く違う世の中になったときに、『私の育った時代とは違う』と言って駄々をこねても何も始まらない。私たちは、めまぐるしく変化するこれからの時代も、ずっと生きていかなくてはいけない。これまでの常識が通用しなくなったとき、そんなときに自分を支えてくれるのは、これまで蓄えてきた知識と、そして考える力だ」
胡桃は団子を咀嚼しながら、小町の言うことを考えた。ごくんと飲み込んで、
「——やっぱり、変わっていくの?」
「変わっていくさ。それが歴史だ」
「……でも、変わるのは怖いよ。今のままがずっと続けばいいのに」
「そうか? 私たちの生活がよりよくなっていくところを、人類がさらに進化していく姿を、見てみたくないか?」
「そりゃ、いい方向に進化していくならいいけど……。小町ちゃんは、これからの未来はよくなっていくって思うの?」
「あたりまえじゃないか」
平然と小町は言い切った。
「私たちの未来はもっとよくなっていくさ」
小町の目の中に、未来への羨望の色が浮かんでいた。先ほど歴史館で見た、よりよい未来のために必死になって行動した幕末の偉人たちの肖像画が、小町の顔を通して見えたような気が胡桃はした。
「いつの時代がいいか、それを測る客観的な物差しなんてこの世には存在しない。けれど少なくとも私は、変化につれて時代は良くなってきていると思う。もしも百年前、千年前にタイムスリップして生活しろなんて言われても、私は絶対に断る。なぜならそこには、残酷なほど自然的な環境と、目もくらむほど理不尽で不平等な生活があるからだ」
「それは、——たしかに」
「これからもたくさん変化はある。私たちが常識だと思っている今の制度だって、私たちが生きるこの先何十年のあいだにめまぐるしく変化していくだろう。それは、人類をもっと、もっとよくしていく変化だ。だから、私はもっと勉強をして、世界のことをもっと知って、考える力を身につけて、そして、その新しい時代についていくつもりだ。——いや、ついて行くだけじゃあ私は満足できない。私がその新しい時代を切り開いていきたい。これからの未来を作るのは、私たち若い世代の人間なのだから」
「——私たちが?」
「ああ。私たち人類は、まだ成長の途中なんだ」
小町が笑った。それは、サムライのように意志の強い、笑顔だった。
——私たちは、成長の途中。
その言葉は、どんよりとした雨模様の景色に、一線の日の光が差し込むように、やわらかく、あたたかく、胡桃の体を包み込んだ。心のなかの閉塞感が、途端に開けたような気がした。
「ふふ、——ふふっ」
胡桃は笑った。体の芯からわき上がってくるような笑いだった。
「小町ちゃん、なんか時代劇の登場人物みたい」
「望むところだ」
にやりと笑って、小町が言う。
「100年後の時代劇で、私が主役になってみせる」
「そっか。——そうだよね。これからも歴史は続くんだよね。これからの時代を、私たちが作っていくんだよね」
「ああ」
さ、と言って小町が立ち上がった。どちらの皿も、空っぽになっていた。
「胡桃、一緒にサボってくれてありがとう。私は学校に戻るよ。胡桃はどうする?」
「——私は、」
胡桃は自分の腕時計を確認する。11時32分。
「私も学校に行く。今なら午後の授業に間に合うから」
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