第5話 逆立つ金髪
窓の外の景色が、次第に暗くなり始めている。
佐倉胡桃に勝負を申し込んだあと、米園英梨華はいつものように黒塗りの高級外車に乗りこんで自宅へと向かっていた。英梨華は後部座席に深く腰掛け、外を眺めている。
「ねぇ飯塚」
「何でしょうか、お嬢様」
運転席の飯塚が答える。
「わたくし、今日一日ずっと考えていたんです。どうして私が1位を逃してしまったのか」
英梨華は手元の成績表に視線を移した。成績表には、それぞれの教科の点数が、分野ごとに記されている。一応進学校というだけあって、御月女子校の試験は学力向上のための支援が充実していた。
5つの科目の中で、唯一点数の低い科目があった。
「国語の点数が低すぎるんです」
これまで、ずっとこの教科が英梨華の足を引っ張ってきたのだった。
「あの女に目にものを見せてやるためには、国語の点数を伸ばさなくてはいけません」
「あの女とは、――佐倉胡桃様ですか」
ふん、と英梨華は鼻を鳴らした。
「当たり前でしょう。あの女の浮かれたあの表情、ほんとうに癪に障ります。ちょっと良い成績が取れたからと言って、調子に乗るのもいい加減にして欲しいものです」
「そうでしょうか。私には、佐倉様はいたって普通のご様子に見えましたが」
「どこがですかっ」
思わず英梨華の声に力がこもる。
「とてつもなく浮かれていましたわ。彼女、今日の朝のホームルームで成績表を配られてから、何度成績表を見返したことか」
「そうだったのですか」
そうだった。英梨華は今日、ずっと胡桃のことを見ていたのだ。本人は誰にも気づかれていないと思っているかもしれないが、授業中に小さくクスクスと思い出すように笑っていたことも、わざわざトイレの個室にカバンを持ち込んで成績表を眺めていたことも、掃除のゴミ捨てのときに焼却炉までスキップしていたのも知っている。さっきだって下駄箱で嬉しそうに鼻歌なんて歌っていた。
――分かりました。勝負します。絶対に負けません。
表向きは不安そうな顔をしておきながら、ちょとだけ覗く自信ありげな佐倉胡桃の目。これまでとはちょっと違うのだ。1位を取って、佐倉胡桃は少なからず心の中に変化があったに違いなかった。
ああもう、イライラする。
英梨華は心の中で舌打ちし、顔を上げた。
「飯塚っ」
「なんでしょうか、お嬢様」
「国語の講師を見つけてきて下さい。もうあの女に勝つだけでは気が済みません。遙かに上回る点数を取って、格が違うということを証明してやります」
「家庭教師を雇う、ということでしょうか」
「そうです」
「性別や年齢などのご希望はございますか?」
「ありません。わたくしに国語を教えてくれる人ならどんな方であろうとかまいませんわ。最終的に勉強をするのはわたくしですもの。ただ、早く来てくれる人が良いです。できるなら明日にでも」
「――明日ですか。急ですね」
「時間は限られているのです。一日でも早く教えていただきたいのですわ」
英梨華は腕時計を見る。
4月28日、18時23分。
テストには時間的にきちんとした期限が決められている。5月14日。その日が来たら、泣こうが喚こうが試験は実施される。けれどスタートを切るのに限度はない。試験勉強を始めるのに、みんなが横並びになって「よーいどん」のピストルを鳴らすことも、フライングで失格になったりすることもない。
だから、早ければ早いほうがいい。
こうして試験を挑んだ以上、あの女はさらに調子に乗るのだろう。いまごろ「米園英梨華に勝負を挑まれちゃったうふふ」などと言って舞い上がっているに違いない。そして必死になって勉強するのだろう。この米園英梨華に勝つつもりで。
気に入らない。
伸びた鼻をへし折ってやらなくてはいけない。
全教科満点の解答用紙を手にしている自分の姿が英梨華の頭に思い浮かぶ。担任の大貫の「あなたは私の最高の教え子よ」という言葉と共に校内順位1位の成績表を受け取り、周りのクラスメイトの羨望のまなざしを浴びながら席につく自分。チャイムが鳴り、自分に群がるクラスメイト達。さすが英梨華様、私にも勉強教えて、ちょっと押さないで次私の番でしょ――。「まぁまぁ、そんなに慌てなくてもわたくしは逃げませんわよ」そう言って微笑む自分。
そして視界の端に、唇を噛みしめて悔しがる佐倉胡桃。
その手元には、グシャグシャにされた校内順位2位の成績表。
「……見せつけてやりますわ」
自分の顔に歪んだ笑みが浮かんでいることに英梨華はまだ気付かない。
その顔をバックミラーでちらりと見て、飯塚は答えた。
「了解しました」
車は一直線に家へと向かう。太陽が完全に山に隠れ、辺りは闇に包まれていく。
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