第4話 実感


「蛍の光」が自習室に流れ出した。


 数学の文章問題を解いていた胡桃は、ふと我に返るようにして顔を上げた。腕時計を確認すると、いつの間にか自習室が閉まる10分前になっている。


 胡桃は椅子の背もたれに体重をかけ、大きく伸びをした。固くなった背骨がボキボキと鳴る。


 自習室に残っていた数人の生徒は帰り支度を始めているので、それに倣って机の上のものを片付け始めた。帰りが遅くなると家に連絡しておくべきだろうか、などと考えながらカバンに荷物を入れていると、クリアファイルに挟まれた成績表が目に入った。


 1位。


 ――佐倉胡桃さん、私と次の試験で勝負しなさい。


 さきほどの英梨華の言葉が頭によみがえってきた。


 胡桃の顔に笑みが浮かぶ。


 姉の合格発表から1年とちょっと、コツコツと勉強してきて本当に良かったと思う。


 これまで真面目になにかに取り組むこともなく、取り柄と呼べるものがなかった自分が、こうして生徒会長に勝負を挑まれるようになったのだから。


 勉強していた場所が試験の問題とどんぴしゃに当たったというのは偶然に過ぎない。全ての科目が選択問題だったので運良く正解だった問題もあるだろうし、春休み明けでクラスメイトの気が緩んでいて平均点がとても低かったのも幸いした。


 完全に実力で手に入れた、と言えないのは胡桃が一番分かっている。


「……でも、1位だもんね」


 運も実力のうち、である。


 自習室から昇降口へと向かっている途中、職員室横の掲示板に、学力試験の上位三名の名前が張り出されていた。自習室に行く前にはなかったと思うので、おそらく自習室で勉強をしているうちに張り出されたのだろう。


 胡桃はさりげなさをつくろって、『3年文系クラス』の箇所を探し、そして見つけた。



 ―――――――――――――――――

 第1回、学力テスト 成績優秀者

 ・3年文系クラス

   1位、佐倉 胡桃   (A組)

   2位、米園 英梨華  (A組)

   3位、社城 小町   (C組)

 ―――――――――――――――――



 ――んふふ、


 数ヶ月前までは、この掲示板を見ながら「すごいなあ」と漠然と思っていたのだ。そんな順位表の中に、自分の名前が入っている。それがとても嬉しかった。掲載期間が過ぎたら、この順位表をどうにかして譲ってほしいと半ば本気で思う。もし貰えたなら、額縁に入れて家のリビングに飾る。朝起きたら一礼し、寝る前には手を合わせる。それを佐倉家の義務にする。父と母も巻き込んでやる。


 にやにやしながらそんなことを考えていると、職員室のドアががらりと開いた。


「あら、佐倉ちゃん。丁度良かった」


 担任の大貫だった。若くて美人ということで、生徒内では人気の先生だ。


 大貫は腰まである長い髪を揺らして胡桃に近づき、


「明日の放課後、佐倉ちゃん時間ある? 校長室に来て欲しいんだけど」

「はい、時間はありますけど」


 ――校長室?


「よかった」大貫はにこっと笑って、「じゃあ、明日、帰りのホームルームが終わったら、ちょっと教室で待ってて。一緒に行きましょう」


 それじゃあ気をつけて帰りなさいね、と言って大貫は去っていった。


 ――なんだろう。


 考えてみたら、この学校に入学してから一度も校長室に訪れたことがない。


 まあいいか、と思う。明日になったらわかることだ。胡桃はそのままきびすを返して、昇降口へと向かった。はやく成績表を親に見せたかった。

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