第2話 不条理のわけ

 昨晩から僕は一睡も出来ず、心の臓が締め付けられるような夜を過ごし精神が摩耗してしまっている。鏡はまだ見ていないが、ひどい顔をしているだろう。あのあと飯島は何かを感じ取ったのか、おじやをタッパに詰めそそくさと帰っていった。彼にとっても僕にとっても何とも歯切れの悪い最後の晩餐となってしまった。


 徹夜明けの手先は痺れるように不自由だが、私には何を以ても行かなければならない場所があった。正直食欲はなかったが、パンを牛乳でねじ込み、身なりを整える。案の定ひどい顔をしている。その手紙で何を言い渡されたのか、一目瞭然である。僕はコートを羽織り、大学へと、教授のもとへと急ぐ。


 まだ、昼前だというのにすでに周囲は温かく、すぐに羽織ったものを脱いでしまいたくなった。が、僕の心は別の思考に支配され、バサバサと陽気の中を歩いて行った。卒業見込棄却とは、僕の通う大学にあるある種の恐ろしい制度である。その名の通り卒業単位を修めているが、卒業に能わないと判断されると判を押されるいわば死刑宣告のようなものである。これは教授会で決定されるものなので、教授一人にどうこう出来るものではない。出来るものではないと理解はしているものの、僕は行かざるを得なかった。

 

 心境一つでいつもの通学路は全く別の存在になるのだと、僕は身を以て知った。異様に遠く、異様に険しい。何ともつらく、吐いてしまいたくなるような時間だ。だが、物理的に距離が変わるわけではないので、僕はすぐに大学へ着いた。

 

 構内は休みであるにも関わらず、多くの学生たちがいた。皆、何とも自由に過ごしているのだろう。どうしても卑屈になってしまう。そういう引け目を感じたのだろうか、僕は隅を、研究室への最短距離を、ひたすら歩いた。

 

 電気がついているのは、在室のサインである。僕は三度ノックをした。しばらくしてから、間延びした、何とも緊張感の無い返事が返ってきた。あぁ、再び心の臓が締め付けられる。卒業研究発表でも、僕はここまで緊張しなかったというのに。

 

 「失礼します。」

 

 扉を開けて一礼する。面を上げると、僕が訪ねてくるのが分かっていた、というふうに教授が佇んでいた。教授はゆっくりと僕の顔を見て、手招きした。ふらふらと教授の部屋の中へと入っていき、促されるままに着席する。教授はあらかじめ用意していたかのような言葉をつらつらと並べた。

 

 「此度の件は非常に残念だと思っている。私も君をかばったのだがね・・・。」

 

 僕はくわっと教授の顔を睨みつけようとする。しかし、それすらも彼にとっては想定内のことの様で、まるで制止するかのように言葉を繋げる。

 

 「だが、私も彼らの意見に賛成であった。だが、あまりにも。そう、あまりにも救いがなさすぎると思ってね。私は特例で1週間の猶予を貰ったのだよ。」

 

 まるで意味が分からなかった。教授の言葉を噛み砕けていなかった。何とも呆けたような顔をしていたのだろう。なけなしの覇気すらも、どこかへ行ってしまったような、そんな僕の顔を見て、もう一度彼は言った。

 

 

 「1週間だ。1週間で君は私たちの望む"成果"を見つけてきなさい。」

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