君の星。

 体育館倉庫の床に転がっている工藤に「帰らない?」と問いかけると、「いや、俺はいいや」といわれた。それはちょっと予想外だった。けど、あお向けから身体を横にした彼が「あんま心配かけたくない人もいるし、もうちょっと休憩してくわ」といったので察した。

 工藤は今、俺でいえば祖父母くらいの年代の老夫婦と暮らしている。遠縁の親戚らしい。両親は彼が幼い頃に亡くなったと聞いている。骨ばった薄い肩が咳をして震えた。


「そうか」


 応えながら、手元のスマホのボタンをひとつ押し込んだ。これでバイブも鳴らないモードになる。


「あ、よく見たらここ圏外だったわ」

「はあ?」


 ゆっくりと重たげに、ふたたび身体を俺の向きまでもってきた工藤は、怒り心頭といった様子で俺を睨み付けた。


「どっちがバカでつめが甘ぇんだよこのタコ」

「口が悪い。目付きも悪い」

「うるせえわ」


 勢いよく俺を罵ったあと、彼はまた少し咳をした。げほげほと咳き込むほど、工藤はつらそうな表情になっていく。第一ボタンが開いているシャツのあいだから、そっと彼の首筋にふれて、その熱さに危機感を覚えた。いつのまにか夕暮れだった。このままここで一夜をやり過ごすにはあまりに危うい。


「工藤、なんでセーターもコートも着てないの」

「ブレザーの上、着てんだろーが」

「それだけじゃまだ冷えるよ」


 特に夜は。「うるせえ」とまたいった工藤が、寒さから身を守るように手足を縮こまらせた。


「すぐ帰るつもりだったんだよ、補習のプリント出したら」


 あ、やっぱ補習だったのか、というのは口には出さなかった。そのあとまた絡まれたのかということも。

 工藤はなぜだかやたらと他人から突っかかられる。背は高いし目付きも口も悪いし金髪だし、まあ目立つけど。そのわりに痩せぎすで不健康そうだから、勝てそうだと思われてしまうのかもしれないと考えて、なぜだかひどく、悲しくなった。上着を脱ぐ。

 春用のコートがまだなくて、冬に着ていたチェスターコートをひっかけてきたのがこんな形で役に立つとは。丈の長い厚手のコートは、震える工藤を包み込むのに十分だった。


「いいよ、久世」

「ダメだろ。たぶん熱あるぞおまえ」

「大丈夫だよ。体調不良じゃねえんだ。心因性のもんだし、慣れてるから」


 力なく俺の手を振り払おうとする工藤の手を逆に捕まえて、握りしめた。悲しい。慣れてるなんていうな。こんなしんどそうなのに。


「久世、大丈夫なんだよ。だいたい朝までにはどうにかなってんだ、暑かろうと寒かろうと」


 俺のよりもなお冷たい指先を握り込んで、シャツのあいだからのぞく鎖骨に額をうずめた。身体の中心のほうは熱く火照っている。戸惑う工藤の声がする。


「どうしたんだよおまえ」


 彼の首の下に手を入れて、抱きかかえるようにして力を込めた。


「くっついてたほうがあったかいから。俺が」

「だからコートはいいっていっただろ」

「いいんだ」


 左耳で工藤の早まる呼吸と心臓の音を聞く。

 老夫婦の家の中、壁を隔てた彼らに咳の音が聞こえないよう、ひとり耐える姿を想像したらたまらなくなったのだ。


「そばにいたいんだ」


 夜の暗闇の中で、工藤の身体がひときわ大きく震えて、俺の手を強く握り返した。


「工藤?」

「あ、あ、」


 次の瞬間、工藤は絶叫した、が、すぐにそれを圧し殺すように自身の手を口元に当てた。何が起こったのか目をこらしていると、彼が自分の手をぐっと噛んでるのが見えて、反射的にそれを引き剥がした。軽い悲鳴があがる。


「あ、なんで、なんで」

「工藤」

「なんで、どうして」

「工藤」

「嫌だ、聞こえちゃう、知られたくない、離して、嫌だ」

「大丈夫だよ」


 とはいってみたものの、すぐ近くにあるはずの工藤の目は俺を映していなかった。抱きしめて、何度も耳元へと呼びかける。

 工藤、ここにはだれもいないんだ。おまえが迷惑をかけたくない人も、かつておまえを傷付けた人も。まあ俺はいるんだけど。


「工藤」

「やだ、やだ」

「貸してやるから、俺の肩でも噛めばいいよ。でも自分のはやめとけ。痛いだろ」


 しばらくそうして俺の肩口に押し付けておいた工藤が、すんすんと鼻を鳴らしながら「おまえ、あたまおかしーんじゃねえの」と涙声でいった。思わず笑ってしまった。


「そうかな、ぐずってるおまえはけっこうかわいいよ」

「なにそれ、きもちわるい」


 そんなことをいいながら、ためらいがちに俺の服を握りしめてくる工藤に、口の端があがる。


「久世は、俺のこと好きなの?」

「うん。好きだよ」

「どこらへんが?」

「うーん、そうだなあ」


 工藤の身体を抱きかかえたまま首を傾げた。なんていえばいいのやら。考えながら見上げた小窓の外に、桜ではなく今度は星が輝いていたので、適当なことをいった。


「金髪、好きだからかなあ。一等星みたい、だし?」

「なんだよ、それ」


 がっかりしたのかあきれたのか、工藤は気の抜けたようなため息をついた。そのあと俺の肩口で何度かポジションをさぐったあと、すうすうと穏やかな寝息をたて始めた。

 手元のスマホを立ち上げる。時刻はちょうど21時だった。


『明日の朝、迎えに来い尾沢』


 ほとんど稼働しなかったクラスグループから、目当ての人間をさがしだすのは造作もなかった。


『そしたら今日の一件は無しにする。春だし。』


 目を突き刺すような光を放つ画面を閉じて、ふうとひと息吐き出した。頬に工藤の染められた金髪が当たっている。

 金髪が似合う人が好きなのは本当。理由は自分でもよくわからない。母からの遺伝かもしれない。でももっと明確に、工藤に惹かれている理由は別にある。

 ばっくりと彼の胸のうちにひらいた、ちょうど今夜の星屑のようにまたたく、その傷口に惹かれているのだといったら君は怒るだろうか。我を失い、叫び出さずにはいられないほど深い君の傷口に、俺は惹かれている。ろくでもない話だ。

 投げ出した手のひらの中で、スマホがかすかに光りながら、新しいメッセージの到着を知らせていた。

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君の引力、君の星。 祈岡青 @butter_knife4

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