君の引力、君の星。

祈岡青

君の引力、

 もうすぐ新学期でクラス替えもあって、こいつらともおさらばだってときに、クラスメイトと喧嘩をした。たいして強くもないうちのラグビー部のエースとかいうやつ。無駄に子分を引き連れやがって、ぼこぼこに殴られて蹴られて、体育館横の倉庫にぶち込まれた。

 乱暴に突き倒されて痛む身体をなんとかあお向けにしたあと、積まれたマットに背を預けて、「あー!」と大きく声を出した。


「体育館倉庫とか、あいつらほんとまじでくそ、くそみたいにセンスねーわ」


 十数人もいてこんなありきたりなとこに閉じ込めやがって、どいつもこいつも頭悪くて嫌になるし、そんなやつらにどうにかこうにかされてる自分にも腹が立つしで、重く湿ってるマットを一発殴り付けた。すると少し、げほげほと咳が出た。

 壁を隔てた向こう側では、春休みの自主練に励むやつらの元気なかけ声や笑い声がしている。


「くそみてーなのは俺もそうか」


 羨んだところで自分が向こう側の人間でないことは、自分が一番よくわかっている。こんなふうに他人からよく絡まれるのは中学の時からで、背がばかでかいとか目付きが悪いとか金髪にしてるだとかとはまた別に、たぶん、育ちの悪さがにじみ出てるんだろーなと思う。

 見上げた倉庫の天井にはなにもない。暗くてせまくて雑然としていて、汗とカビの臭いがする。こんな似ても似つかないとこで些細な類似点を拾って、どうしようもなく身体が震え出す。

 思い出すのは夏の日、暗い部屋に一筋射し込む眩しい太陽、エアコンの止まっている部屋、あの人の着ていたワンピース。そのすそがふわりと風に舞う。片手で大きな麦わら帽子を押さえながら、もう片方の手では珍しく俺の手を引いていた。彼女はこのあと線路に飛び出す。

 呼吸の間隔がだんだんとせまくなって、めくるめく回想に意識が飲み込まれそうだったとき。ガラガラと引き戸が開いて、間抜けな顔がひょっこりと現れた。


「あ」

「あ?」


 春先なのにコート着てニットとジーンズをはいてる、完全私服姿のクラスメイト。


「おまえ、なにしてんだ久世」

「遊びに来ただけだけど、おまえこそなにしてんの工藤。補習?」


 制服姿の俺に首を傾げた瞳がぱちりとまばたきをした。かと思うと、久世は突然よろめいて床に手をついた。その後ろにいた、怯えきったやつと目が合う。


「てめえ!」


 身体を起こしきる前に、戸はふたたび閉められてしまった。「くそが」と俺が悪態をつくのと同時に、「はあ」と俺じゃないため息がした。ゆっくりと顔をあげた久世が、目をまるくしながら俺を見た。


「びっくりした」

「この間抜けめ」


 思わず天井をあおぐ。まさか人間が増えるとは。


「どーすんだよこれ」

「まあ新学期まであと三日でしょ。死にはしないさ」

「……あ、そう」


 立ち上がってぱんぱんと手のひらやジーンズのひざを払っている久世に緊張感はなく、その顔を見ていたら全身の力が抜けていった。そしたらまた少し咳が出た。


「工藤、花粉症?」

「ちげーよバカ」


 なんでそうなるんだよというつづきは咳でいえなかった。胸のあたりが苦しい。フラッシュバックの影響は、ちょっとやそっとの驚きでは打ち消せなかったらしい。

 頭が痛んで目を閉じた俺のとなりに、人が座る気配がした。冷たい手が、断りもなく額に乗っかってくる。

 他人に勝手に触られるのは嫌いだったが、今は振り払う体力がない。それに久世の手は温度がないから、むしろ少し、心地がいい。


「んだよ」

「いや、熱でもあるのかと思って。でもよくわからないな。俺、もともと体温が低いから、だいたいの人間は俺より熱い」

「どアホ」


 まぶたを上げると、久世の柔らかいブラウンが俺を見下ろしていた。目の色と同じ髪の色も生まれついてなのだという彼は、明るい色合いとは裏腹に、滅多に笑うことをしないし怒ることもしない、無機物みたいなやつだった。

 そんな久世の前髪がふわりと揺れて、明るい瞳がどこからか吹いてきた風をさがすように視線をあげて、珍しく、本当に珍しく、ふっと微笑んだ。


「なあ見ろよ、桜がきれいだ」


 久世の視線の先には格子の嵌まった小窓があって、そこからわずかに、校内に植えられている桜の木が見えるらしかった。風にちらちらと散る花びらを見てそんなことをいった穏やかな横顔に、聞かずにはいられなかった。


「久世、おまえは、どっかさ」

「ん?」


 こんな状況の中で無駄にリラックスしてる久世に、おまえどっかおかしいんじゃないのかと聞こうとして、いうのをやめた。なんなら壊れているのは俺のほうだ。全身が気だるい。


「なんでもない」

「そう」

「ん。それより桜きれいなんだろ。今年の桜は四月までもたないって、聞いて、る」

「うん。あ、」


 あきらめて花見でもしようかと見上げた小窓に影が差した。それから、ぼとぼととコンパクトな鞄とその中身らしきものが落ちてきた。


「俺のだ」


 そういって久世が立ち上がったあと、第二弾が乱暴に格子の隙間から押し込まれて落ちた。その指定鞄は俺のだ。


「尾沢」


 壁際まで近付いていった久世が、外に立っているだろう人物へと呼びかける。


「おまえなんだろ」

「ごめん、ごめん久世、巻き込むつもりはなかったんだ、ごめんよ」


 なんの役にも立たない言葉だけを残して、足音が遠くへと走り去っていった。完全に気配が消えるだけの時間を待ってから、久世は散らばった荷物を集め始めた。


「馬鹿だなあいつ」


 そう冷めた一言を呟いてから振り向いた久世の手には、スマホが握られていた。


「あー」

「詰めが甘い」


 あまりに小粒な同級生を一刀両断して、戻ってきた久世が未だに倒れたままの俺の横にしゃがみ込む。


「工藤、そろそろ帰らない?」


 ニッと口角をあげる久世を見上げながら、どうしてだろうなと思った。どうしておまえはこうやっていつもいつも、幸運を引き寄せるんだろう。降りかかった問題を、どうしてか簡単に覆す。きっとおまえはこの世界に愛されているんだ。俺とは違う星のもとに生まれてんだろうなと、思う。その幸運に、俺も惹かれている。

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