第27話
蓮見の満面にほころばせた顔が、昔の彼の顔と重なってほっとする。
「すまない、待たせて。いろんな資格を調べ、坂谷に合う業種を探している途中だったのだ。痺れを切らせたか? 悪かった」
学生時代に戻ったような明るい蓮見がそこにいた。茂は何処か卑屈になっていた自分が恥ずかしかった。
「貴重な時間を割いてくれてすまない。いいのか? 朝から俺に関わってしまって」
「今日はいいのだ。それより、坂谷、決断は出来ているのか? 退職願い出せるのか? 曖昧のままでは全てが潰れるぞ」
「大丈夫だ。退職する。後戻りは出来ない、自分を追い込まないと」
「奥さんとも真剣に話し合ったのだろうな。そこも曖昧だと続けられないぞ。家庭を持ってからの転職は並大抵ではない。経済的なこともある。気を悪くするな。坂谷のところの奥さんは頑張っているものなぁ。あの楚々とした顔して、どこからそのパアーが湧いてくるのかと思うよ。家の女房なんて、のほほんと子どもと戯れているというのか、社会進出しようなどと、これっぽっちも考えていないよ」
蓮見は、指の爪の先を見せて笑った。
「このごろ思うよ。女房が出勤する後姿見ていると、生き生きしている。そこには夫婦も、家族も伴わない一人の人間が充実感を撒き散らしている。いろんな夫婦の形態があっていいと思うが、俺のところは出だしの時、ギャプが有ることに気付かなかった。結婚して直ぐにその差が現れたけど、女房が課長になった時にはそれほどの差も感じなかった。歳から言って女房が先だろうと思ってもいた。だが部長になったと女房から聞かされた時は、撹拌機に入れられたぐらいの威力に、俺は襲われた。眩暈なんていう生易しいものではない。くるくる浮遊する頭で女房に食ってかがっていた。しばらくして俺の非遇を嘆いていると感じて黙った。冷静に考えても俺が育児休暇を取らない限り家庭崩壊になる。それは避けたかった」
「お互い家庭生活には波があるさ。話を逸らせてしまった。この資格はどうかなあ」
蓮見は、テーブルに三つの資格を調べて、その資料を並べた。
司法書士。行政書士。社会保険労務士。
「司法書士は最近難関度がかなり上ってきた。一年の余裕を持って、出来たら専門学校に通った方がいい。週に三日も行けば取れる。時間の遣り繰りは結構出来るように組まれているから大丈夫だ。不動産登記や商業登記の需要は結構ある。将来開業しても食っていける。内の仕事を回すことも出来る。行政書士と社会保険労務士は司法書士と平行して独学で取れるから一緒にとっておけば開業した時に役に立つ」
一気に話した蓮見は、深く背を椅子にもたれかけて足を組んだ。一生懸命貴重な時間をとってくれた蓮見にすまないと思いながら、その態度は横柄に感じた。自分との隔たりを思う。何時になったらこの卑屈さから抜けられるのだという思いと、直ぐに挑戦したいと逸る気持ちを抑えて茂が考えていると、
「ここにも弁護士のほかに司法書士はいる。うちに入れとは言わない。あくまで開業することを考えろよ。坂谷、それとも、司法書士の資格は考えにもなかったとでも言うのか? 僕のところに来るからには、その関連性をもったところと考えたのだ」
と言われても見当が付かない。その水準が分からないのだ。これが駄目だからまた、何か違うものにチャレンジするという歳じゃないから。すまないが、無給でいいから、その司法書士の補助をさせてくれないか」
「坂谷がいやでなかったらいいぞ。全く知らない世界といっても、学生時代に少しはかじったじゃないか。おなじ法学部だ」
「もう迷うことなくまい進する。明後日が復帰申請を提出するぎりぎりのところだ。迷うこと無く退職願を提出する。よろしく頼む」
「試験はそっちのことだ。宜しく頼まれても困るからな。その代わり出来ることはする。うちにちょくちょく顔を出せよ。バイトもある。小遣いぐらい稼げよ」
「願ってもない事だ。そう出来たら何でもする。お願いしてもいいか」
蓮見はバイトの用意まで考えてくれていた。
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