第19話

茂は自分の後任に誰かが来たはず、それが誰なのかは知らない。

芙紗子はこの一年外商第二グループの人事異動も、配置換えも一言も俺には言わなかった。もっとも、俺自身が怖くて聞くことを躊躇っていた。聞いても言葉を濁すだろう。濁されるこっちの気持ちなど眼中にない。芙紗子を傲慢な女性と思う気持ちの片方で、今の状況では、お互いに触らない方がいいと暗黙のうちに感じているとも思う。俺ってどうしてこんなに複雑怪奇な気持ちになってしまったのだ。

茂は口火を切った。

「あんたは俺の後釜に着いた奴はあんたの知らないところ、すなわち人事課から通達された人間と言いたいのだろうが、そうは言えないだろう。何らかの接触があったはずだ。それとも積極的にあんたが任命した。その奴のことに就いて一言も俺に知らせない。俺は全く度外視された課員。奴のことを指名したのはあんた。自分の部下になるものね」

「あの時のままだわ」

「じゃ俺の処は空席だと言うのか」

「そうじゃなくて、一つずつ繰り上がっただけよ」

「ほら、言ったことか。俺のポジションは弾き飛ばされた。何処にも復帰する場所はないと言う事だよ。そこに戻れないことぐらいあんたが一番わかっているはずじゃないか。それともあんたが言っていたことがある。茂の能力は誰もが認めているって。そこであんたの権限で用意万端部長の椅子を整えておいてくれたとか言うのですか。だから復職出来ます。それだったら、復帰するぜ。ところでどの椅子を取ってくれたって言うの、教えてください」

「貴方荒みすぎているわ」

 茂にとって芙紗子から荒んでいると言われて黙ってはいられない。その一方、このまま丁丁発止と飛ばし続ければ、男勝りの芙紗子の決断が怖かった。その雰囲気が芙紗子の全身から発している。

 離婚。と、どちらかが口走ればあっけないほど成立してしまいそうだ。

 茂の心臓ははち切れそうに波打つ。その茂に向かって、芙紗子が発した。

「これ以上話しあっても二人の結論はみえているはずです。そうなさいます。私は一向にかまいません」

「離婚と言う事か」

と、茂は発してしまった。

茂は、芙紗子にじっと見詰められている。

万事休す。

「貴方は極端すぎるわ。私は離婚なんて考えたこともないわ。そうじゃなくて、貴方が退職したいと言うから、それならそれで一向に構いませんと言う事なの。貴方が離婚を考えているなどと思いもよらないことだったわ。どんなことがあっても私は離婚しません。それだけは覚えて置いてください」

 茂は腰砕けて、声すら出で来なかった。頭の中で、良美を渡さないぞと繰り返していた。芙紗子は育児を放棄したのだ。育てる資格はない。芙紗子どうすると、詰め寄ることばかり考えていた。

「今まで、会社のこと一言も俺に話してはくれなかった。退職したと同じ事だと言っていることだ」          

「貴方が、保育士の勉強をしていると知った時、口出ししない方がいいと思って黙っていたのです。いろんなこと噴き来ないな方がいいと思ったのよ。まさか託児所を持ちたいなんて知らなかった。今日たまたま幼稚園に電話したら、丁度園長先生が電話に出られて、今良美ちゃんはパパと帰りました。そこで園長先生が、何か躊躇っているような気がした。何かしらと思っていたら、園長先生のほうから、ご存知ですかと言われ、想像も出来なかったことを聞かされた。あなたと園長先生の話を聞いて、びっくりした事より、頭に入ってこなかった。幾度も聞き返して、やっと貴方の考えを知ることが出来たけど、とても私たちには託児所は無理よ。ごめんなさい。力になれなくて。どう考えても無理よ」

 芙紗子は捲くし立てるように言うと、床に座り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る