第18話
たった半日前に敗れ去った仕事。今は次に向かう段取りすら浮かばない。
順序を考えたいが、その余裕もない。次を考えられるほどの才覚もない。どうすればいいのだ。自棄を起こしふて腐れても、自分の始末は自分で片付けない限り付きまとう。
茂はコーヒーをサイフォンで沸かしながら、ぶつぶつ吸いあがっていく液体を見詰めていると、自分がその中でもがいているようだと思った。茂はもがき続けているが、コーヒーは香りと癒しを運んでくる。今日は精神的なダメージが大きすぎて、話し合いをするのは延ばしたい気持ちになった。
ますます自信喪失していく茂は、一度意欲を失った元の職場に戻るには、気持ちを吹っ切るしかない。それが出来るか、俺は挫折を何回食らえばいいのだ。
何か新しいものに挑戦するために考えるには、今は最悪の状態だ。
今日は人生の中で一番窮屈な時という思いがする。
サイフォンをじっと眺めている茂の後ろから、芙紗子が問いかけてきた。
「あなた復帰申請を出す時期が来たのよ。忘れてしまっているのかと思って」
「忘れてしまっただと。どうしてそんなことが言えるのだ。俺が昼間どんな気持ちで、なにをしていたかも知らないだろう」
茂は大きくため息を突きながら、押し殺した呻きにも似た声をあげた。
芙紗子が一瞬怯んだのだろう。静かに後ずさりしたように黙り込んだ。しばらくして、
「知っているわ、良美に上手に絵本の読み聞かせしながら寝かしつけていたでしょう。勉強の成果だって知っていたわ。だけど、あなたが思っているほど保育士の仕事はたやすいものではないわ」
「そうさ、その保育士を俺は遣っていたのだ。ただ良美のためだから続けていた」
「それで、託児所を開きたいっていうの? 出来るはずないでしょう」
「俺は開設するなんてお前に言ってないぞ。何を探ったのだ? それとも、誰かがお前にそそのかしを入れて来たのか」
茂は山田の顔が浮かんだ。どういうルートで山田を知ったのだろうか? 山田があまりに淡々と夢を捨てたことが信じられなかった。
芙紗子が手を回した。と思うと、むらむらしてきた。すると芙紗子が、
「そそのかされたですって? 勘違いするなと言うの。わたしは誰にも話したこともないわ。あなたのいろいろな状況を見ていてそう思っただけよ。まさか開くための準備に入ったの? お願いやめて、容易くはないわ。第一その資金もないし、人材も集まるの。経験もない、まして経営実績もないあなたに待っているのは、苦痛だけよ。もっと冷静に考えて。お願い」
「あー、部長さんの考えは最も正しいことで、間違えのない立派なお考えです。人を観察しながら間違えなく理解する力、第一人者。俺なんか足元にも及ばない」
そこで茂は言葉を切った。
「どうしてそんな荒んだこと言うの? あなた変わってしまったわ。もっと建設的な考えを持っていたじゃない。それに積極的だったし」
「それ、俺に説教しているつもり?」
「そんな気持ちないわ。夫婦でしょう。話し合わないと解決しないじゃないの」
「その話をさせず、一方的に家に俺を押し込んだのは何方でしだ」
「二人で出した結論でしょう。もうそのことは過ぎたことだから、あなたの職場復帰のことを考えましょうよ」
「で、俺は戻って元の職場が用意されているとでも言うの。確約できるのかよ」
「人事のことは分からないけど」
「ほら、言っている側から、それだ」
芙紗子が何か言い澱んで黙った。
「言いたいことを言えよ」
言い澱む芙紗子を見詰めていた茂は、自分の思いを吐き出した。
「一応出勤して様子を見るという訳には行かないだろう。出勤してから俺は惨めな思いするのは嫌だ。お前だって、そこが窓際だったらどうする。そこしか場所はないのだろう。
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