第16話

また昇進したとでも言うのだろうか。まさか部長の上には行けないはずだ。何故なら経営者側に回ることはない。

あれ? 確か組合から抜けるのは課長以上。たかが課長という思いはするが、芙紗子は部長だ。そう思うとやり場に困るほどの卑屈な気持ちになる。部長は経営者側なのだろうか。全く考えたことも無い。

「何かあったの? そのハシャギ振りは?」

茂が分け入った。

「いえいえ、何もありません。今日はママが夕飯の支度をします。良美ちゃんはパパと遊んでいてください」

「いやだ、お手伝いするもん。パパと作るの」

 良美はママと踊りはしゃいでいながら芙紗子を受け入れない。芙紗子は怯んでいる。

「どうして? ママとはいやなの?」

「だってご飯はパパが作るもん」

「……」

芙紗子は絶句したままだ。

「俺はとうとう飯作りになりました。ママは満足なんじゃないの」

「そんな意地悪いわないで」

茂に向けた顔は久しぶりに見る上司の顔だった。

「これからはママとパパは時間があるほうが作るのよ。ママ一生懸命に働いたから、時間が出来るようになったの。ねえ、ママと作りましょう」

「だって、ママは作れないよ」

「つくれるわよ。良美ちゃんが小さい時はママが作っていたのよ。忘れちゃったの? 悲しいな。ママと作りましょうよ」

「良美、今日はママがいっぱい買ってきてくれたから、一緒に作ると楽しいよ。パパは久しぶりにテーブルで待っているから作ってください。お願いします、良美ちゃん」

 茂は咄嗟に、芙紗子に助け船を出した。

 良美は茂が作ったシンクにとどくようにした踏み台にあがると、

「じゃパパは良い子で待っていてね」

良美は顔を斜めに、声に抑揚を入れて言うそのしぐさに、茂は何ともこそばゆくて自然に笑いが出てしまった。芙紗子も笑いを押し殺しながら、良美と同じ様に顔を斜めに構え、見つめあっている。

二人は、同じ格好で、同じように悦に行った様子だ。楽しそうに、

「良美ちゃんありがとう」と言う。

「ママも良い子にしている?」

「はい、良い子にします。お手伝いしますね。一緒に作るのね。嬉しいな」

良美に何時もはプラスチックのおもちゃ茶碗を洗わせていた。ところが良美はシンクの隣にあるボードを開けてコップを取り出した。切子ガラスだ。クリスタルグラス。芙紗子はどうするのかと眺めていた。何のためらいもなくごく普通に扱わせている。その二人を見ていると、茂は自分の入る余地があるだろうか。二人には確りした絆が育まれている。と思うと、得も言われぬものを感じてしまう。父親が一日中接していながらママに勝るものはないと言われているに等しい。なら、芙紗子は何を感じているのか。読みとれないことはないはずだ。

「これ、パパとママのお酒」

 滅多にない三人揃って食事するときに飲むのをちゃんと覚えているのだ。

 水に潜らせただけだが、布巾で拭くと、踏み台から降りて、テーブルの前で考えている。見ていると、パパの椅子の前で一つを置いた。あと一つを手にしたまま考えているのだ。しばらく考えていたが、自分の椅子の前に置いた。良美は満足したのだろう。

「パパ、良美が洗ったからよかったね」と得意顔。

「良かったよ、大変助かりました」

「よかったですか、パパ」ちょこんと頭を下げて言う。

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