第12話
茂は、芙紗子の心中を思い計った。
芙紗子はそっとしていれば今の状態を続けられそうだと思っているのか、静かに職場復帰のことに触れなければ押し通せると考えているのだろうか。芙紗子は俺の事を考えたことあるのだろうか。何も言わずにいる茂に安堵しているのだろう。そう思うとたまらなく茂は惨めさを感じ、心が苛まれてくる。
育児書や実技実習した時の体験で、子ども達と取った写真が机に置かれていても、見た気配もない。見ても良美の通っている保育園の子ども達と勘違いしているのだろうか。
こんなことばかり考えている自分が女々しく感じてくる。
託児所の開設を夢見るだけではなく現実へ奔走することだ。スクーリング仲間の栄養士の資格を持っている杉田洋子に電話をすると、のりきでぜひ参加させてという。洋子は結婚に失敗して、高校一年生と小学生の二人の女の子の母親だと言った。
山田に声をかけるのを躊躇していると、山田の方から電話があって、T市駅前喫茶で会うことにした。十一時開店を待って入った。ウェートレスの目が素早く動いた。二人の足元から頭へ行くのが分かった。二人とも夏用のしゃがれたジャンパーにサンダル履きだった。茂はこの一年ネクタイを締めることもなかった。良美の送り迎をする格好だ。そのままT市駅に来た。開店時間を待つ男二人は異様に写ったのだろう『悪者ではなりませんね』とも言わなかった代わりに、ウェートレスは無表情のまま『いらっしゃいませ』と言った。
茂は情けなかった。若者に奇異な目を向けられることに腹立たしさえ覚えた。山田は何の反応も見せない。人間が一皮剥けて拘らないのか、しゃがれたジャンバーの身を鷹揚に構えて、威風堂々と胸を張って席に着いた。ここに一時間いただろうか。茂は落ち着かなくて、昼食に行こうと誘った。二人は喫茶店から、居酒屋に移動し、軽い昼食を挟んで延々と五時間を費やすほどの話が進んだ。
「ちょっと小耳に挟んだのだけど、託児所を開くのだって。僕も仲間に入れてくれないか」
「いいのか、奥さんと保育園を開のじゃなかったのか?」
「もっと先の話だって。今は教師を辞める状況じゃないと言うのさ…。いろいろなことが整ってないというのだ。女ってシビアな考え方するよな。始めて知る女房の本性に自分は戸惑いすら覚えたよ。こんなものなのか夫婦とは……。そりゃ、夫婦といえども一心同体とは行かないことぐらい知ってはいるけど、それにしても女は強いよ。即答するものなぁ。僕は女房の同情に惑わされたっていうところかなぁ」
山田が胸中を開いたのだ。茂も思いを話しだした。
「僕のところは職場が一緒だったのだ。女房が出世して部長だ。係長ぐらいの亭主が目障りだったのかなぁ。娘が一歳になって風邪をこじらせたのが原因でこうなってしまった。丁度、亭主にも育児休暇が取れるから、取ってくれと言われて、まあ、いろいろあったけど今は休暇中。来月、十月半ばで終わるのだ。女房は逃げの一手で、僕が育児休暇を取ることになった状況が、また一年経って同じように巡ってくることを知りながら、そこのところをお互いに避けてしまった。女房のやつは一年の間に何か良い考えが浮かぶとでも思ったのだろうが、何も変わらなかった」
二人は愚痴りあって、自分の情けなさをさらけ出した。山田が笑った。茂が笑って暗黙のうちに、今の話はお終いと目で言い合って苦笑した。それぞれの心に閉じてお互い聞かなかった事だ、と茂は考えた。
二人は託児所のことに話が集中すると、仲間をあと三人集めないと無理だろうということになった。
茂の心積もりの杉田洋子は勿論仲間になる。あと二人と思った時、山田が、
「人を集めても資金と場所のこともある。平等に出資できないと話はこじれるぞ。誘いかけるにはそこのところをクリアーしておいた方がいいと思うが」
「それはそうですね。で、山田さんには何か心積もりでもありますか?」
山田が考え込んでいる。
茂は以前から目論んでいた庭の一角を使おうと思っていることを今言うべきか迷っている。芙紗子が嫌がれば、二人で買った家だから、庭の方を自分が取ると言えばいいのだ。しばらく間を置いたが、心がむずむずしてきて話したい衝動に駆られた。
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