第8話
「もっと真剣に考えて。茶化さないで」
「茶化してなんていない。自分の夫を馬鹿にするのもいい加減にしてくれよ。屈辱に耐えるのも限界があるってこと。あなたが言っていることはすべて見下した行為なんだぜ。この結婚間違っていたった。そうかもしれない」
「私はそんな風に思ったこともないし、幸せな結婚で、かわいい良美まで授かったのよ。お願い。良美の気持ちも組んで」
乳母車から立ち上がっている良美は二人を見詰めている。芙紗子は抱き上げると良美の身体に顔を伏せた。嗚咽している。動揺する茂に良美が身体を反らせて茂の腕をつかんだ。
部長の話は、茂にとって衝撃が大きすぎ、立ち直れないぐらいの打撃だった。通常だったら、昇進を喜び合うのが家族であろう。我が家の構成は同じ職場という事と、夫と妻の主従関係が逆転している。二人の職場が全く関係のない会社であったらこんな気持ちにもならずにすんだであろう。付き合い始めた当初は、芙紗子が課長付係長で、茂も係長になったばかりであったが同等だった。その直後、芙紗子は課長に昇進した。年上だから順調な昇進としか思わなかった。当初、芙紗子が名立たる仕事女史である事は聞き及んでいたが、当時は気にもかけず、むしろ俺の魅力に惚れた芙紗子だと一人ほほ笑んでいた。いつの間にか格差に翻弄され始めたのか。言わずと知れた、降格の辞令が下りた時からだ。何時しか忘れてしまっていた。それは表面的に繕っているだけであって心底忘れられるものではない。くすぶり続けていた。
芙紗子との付き合が始まったのは、酒の席で、酔っ払ってしまった茂を、芙紗子が介抱してくれた時からだ。眼が覚めたら側にいた。どうして芙紗子がという経過も聞かなかったし、一応年上だ。バリバリ仕事ウーマンの気持ちを損なわないように平に、頭を下げて謝った。すると、
「謝ることないわ。わたしがしてあげたかったの、うふふふ」と笑った。
茂はその時、キャリアーウーマンも女なのだと思った。それを切掛けに二人は良く飲みに行くようになった。男と女が自然に行き着くところは何かという事を二人は知っていた。芙紗子は二人で飲みに行くのを望んだと茂は思っている。始めて入るいかがわしいホテルの前で躊躇した茂を身体で押したのは芙紗子だった。リードしたのは僕だと思うけど、いや、反対だった気もする。
いろんなことが頭を過ぎり、正常な会話は無理と思った。黙りこくった二人に、良美が芙紗子の腕の中から、
「あー、うまうま」
と言って指さす方を見ると、公園の売店から、とうもろこしを焼く、香ばしい匂いが漂っている。何となく和んできた。売店で良美にジュウスを買うと、それも手に取ったが、とうもろこしを指さして、芙紗子の腕から身体をのけ反らす。まだ食べられないと言っても通じない。茂も匂いに勝てず二本買って二人は歩きなが食べ、二粒ほど潰して良美の口に入れてあげる。上手に食べた。もっととせがむ良美に、今までの全てが流れ去るような気がした。可愛い女の子の瞳にほだされて、一時間ほどの散歩だったが、何事もなかったように家路についた。
その夜、良美が寝ると二人は向き合った。どの角度から考えても、茂が育児休暇を取り、家事をしないことには、この家は成り立たないと言うことだ。芙紗子が部長になると、今までの給料の差から、一段とその差の開きが大きくなる。その分芙紗子には全ての時間が束縛されてしまう。
その時間の穴埋めを、芙紗子は、茂に補わそうと考えたに違いない。
そう思うと、また茂の頭に血が上った。二人の空間にピリピリした空気を感じながら、芙紗子の顔を見た。激しい形相で茂の目を捉えて離さない。なんと強い女なのか。訳も無く女子の様な自分に奮起をかけるが、何の思考も浮かばず、ただ気持ちが昂って来て、今にも頭上から血が噴出すように熱くなる。
何故、茂が主夫に徹しなくてはいけないのか。解せない。その気持ちを落ち着かせるのにどのくらいの時間が掛かったのか分からない。
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