第6話

「今日はママが泊まることにして、明日から昼夜俺が付き添う。その支度をしてくる。明日は朝六時までに来る。風呂を沸かしておくから、一度家に帰って風呂に入ってから出勤しろよ」

「ありがとう。申し訳ない」

 芙紗子が安堵したように言う。

 茂は良美に、

「今日はママと一緒、よかったね。明日からはパパと一緒」と告げるとどう理解したのかママに顔を向けて顔をほころばせたように見えた。

良美にとってママに勝るものはいないのだ。

芙紗子は、良美がママを求めているのを知りながら目を逸らそうとしている。

何という虚しいことだ。


茂は良美が退院出来るまでの期間を自分が担う事になった。芙紗子がどう考えているかなどと画策するのも良美に申し訳なく思い、付き添い夫に徹することにした。

 入院生活八日間が過ぎようとしている時、茂と同年輩の医師が、

「坂谷さん、明日退院出来ますけど、少しの間家庭療養が必要です」

「どのくらいの期間ですか」

「それは良美ちゃんの体力が以前と変わらないだけ活発に身体を使う事が出来ているかその行動を見ていてください。すぐに保育園に預けるのは良美ちゃんにとって体力の消耗になり快復が遅れます。……お互いに亭主は大変ですね。私の処も妻が違う病院で医師をしているのですが、子供が一歳半の時、おたふくかぜにかかって、家庭療養出来るのですが、病理的に完治しても子の体力は元に戻っていない。保育園に預けられない。妻と交互に休みを取ったのですが、二人とも休暇には限度があって、田舎から僕のお袋に来てもらったのです。二週間した時、お袋が「お父さんを一人にしておけない、そろそろ帰ってもいいかしら」そう切り出された時、僕は右往左往してしまいましてね。親父のことを忘れていたわけではないが、親父に、あと一週間お袋に手伝ってもらっていいかと聞いたら「大丈夫。孫の世話は母さんの生きがいだから良くなるまでいいと言ってくれた。気を使ってくれたのは分かるが、甘えることにしたら、お袋が孫を連れて田舎へ帰ると言われて、気付いたのです。両親の家庭を忘れて、自分達のことしか考えていなかった。そこで僕が休暇をとりました。坂谷さんの処のご両親は……」

 茂は返事に詰まった。お袋はいるが姉の家族と暮らしている。その二人の孫の面倒を見ている。内に来てとは言えない事情があった。思い出すことすら封印しなければならない。当時若かったし、芙紗子との結婚が迫っていた。お袋と同居など考えにも及ばなかった。

「失礼したしました。………。良美ちゃん元気出すんだよ」

 医師は良美に小さく手を振ると病室を出で行った。

翌日の退院、良美と二人でナースステーションに挨拶に行くと、看護師さん達が良美に、退院するのね、良かったわね。良かったわね。と言うついでが何か分からないが、パパと一緒で良かったこと。と付け加えるのだ。俺に同情しているのだと、卑下している自分が居た。入院中、良美が寝ている日中の何時間かを家に帰って、良美と自分の洗濯物を洗濯機に入れ風呂に入る。冷蔵庫を開けると、温めれば食える弁当が入っている。芙紗子は相変わらず家で食事をした形跡がない。メールは良く入ってくるが、仕事の合間だろう。何を考えているのだ。玄関には前日の洗濯物をバックに入れて置いてある。忘れないようにと気を使っているのだろうが、八日間の間に良美の顔を見に来たのは二度。これ母親? という気がする。仕事に手を抜けないことは分かるが、坂谷家はどう考えても、主従が逆転している。複雑この上ない心情。良美に理解してもらうのも悲しい定め。

ああ、あーと溜息つきながら、良美と手をつなぎ廊下を歩いていると、坂谷さん、と呼ぶ声に振り向くと、看護師長が、手招きしている。ナースステーションに戻ると、

「先程、医師が余計なこと言ったと気にしていらっしゃって、失礼しましたと言っております。でも本当に良美ちゃんの身体を心配したのです。分ってくださいね」

「ご心配かけました。良美の健康が第一です。先生にお伝えください。頑張ります」

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