第4話

一生懸命に自力呼吸をしながら頑張っている良美。熱があると気付いた時点で、母親だったら取るべきことがあったはずだ。

手配してくれた総合病院へ、救急車で向う車中、熱で顔が真っ赤になりぐったりしている良美を見るに忍びなかった。

診察した医師が、

「今朝はどんな状態でしたか」

 茂は怯んでしまった。また嘘をつくことになるのか、躊躇っていると、

「保育園に来るまでは元気と親からの報告とありますが?」

「すいません。何となく何時もと違って元気なく、ちょっと熱っぽかったのですが、蒸し暑さからかと思いまして……。出勤してしまいました」

「幼児は進行が早いですから、おかしいなと思った時には、もう少し気配りしてください。お母さんも居るのでしょう」

 親としての自覚のない様を、まざまざと指し示された思いがした。特に母親の芙紗子に聞かせたかった。 

小児病棟の窓際のベッドに移ってから、茂は片時も離れずに、良美の枕元に置かれた吸入器から霧状の蒸気が良美の口元に流れているのを確かめながら、

「頑張れよ。パパも頑張るからな」と言いつづけた。

 すると同室の比較的元気な五、六才の女の子が覗きに来て、

「おじさん、赤ちゃんのママはいないの? かわいそうね。わたしも頑張ってあげる」

 茂は返事に窮しながら、

「ありがとう。大丈夫だから、お嬢ちゃんもはやくよくなってね」

 女の子に同情されたのは良美だろうか。

ママの代わりをしている茂だろうか。

 茂は、芙紗子に電話しようとは思わなかった。意地でも良美を元気にさせる。一週間は出勤できないだろう。腹をくくった茂は、看護師に付き添いしたい旨を言うと、そのための一式があるという。それを頼んだ。

簡易ベッドが用意され、夜、良美のベッドの下に置くのだと言う。            

「奥さんは? ……。パパで大丈夫ですか」

 看護師は簡易ベッドを窓際に置きながらそれとなくささやくように言う。同情ともとれていたく心が沈んだ。恥ずかしい思いもある。一呼吸すると、茂は決意が固くなった。

「慣れていますから。後何か用意するものあります?」

「良美ちゃんの下着とかが要りますが……。病院でもレンタルすることが出来ます。そうなさいます?」

「お願いします」

「お父さんの物はどうなさいます? 一階に売店がありますけど」

「売店で買え揃えます」

 良美は注射が効いてきたのか、蒸気が胸を潤したのか眠り始めた。

 向かいのベッドに付き添っている若い母親に売店に行ってくる事を告げてエレベーターで一階に降りた。さっきから鳴り続ける携帯電話を見ると芙紗子からメールが幾通も入っている。腕時計を見ると、二時をとっくに回っていた。メールを開けることはせずに、総合病院に入院したことと、自分が付き添いで泊まる旨をメールした。後は芙紗子の判断に任せることにして、来いとも、大丈夫ともメールしなかった。

 売店の横にある立食いそばを食った。食事をしている感覚はなかった。流し込んだのだ。

病室に戻ると母親同士のひそひそ話の真只中だった。茂のことに違いないことは分かる。一斉に口を閉ざし、曖昧な笑みを浮かべた。

どうでも良かった。

良美は眠り続けている。素人判断は危ないと思うが顔色は元気な時より少し赤みを帯びているが、病状は落ち着いているように感じて、一安心と思った。そう思った自分に課することを怠らなかった。医師が言った言葉を反芻する。

「幼児は、あっという間に病状が進みますよ。覚えておくべきです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る