第2話

茂は芙紗子に噛みついた。

「何かあったらって、どういう事。今さら保育園からの連絡を変えることがあるのだ。俺は自分の分担は確り遣っているぜ。今までママのほうで確り連絡を取っていたのだから変える必要もないだろう。それをわざわざ取り替えるって言うのかよ。どうするのだ。俺、何もわかんない。保母さんの顔だって一度会っただけだぜ。分からないよ」

「お願い。あとで話し合うは、今日はお願い」 

芙紗子は朝食もとらずに出勤しようとしている。

支度を終えた芙紗子は、玄関で振り返り、

「熱が出たりしたら迎に行かないといけないこと知っているでしょう。お願いするわ。ごめんなさい。パパの携帯電話の番号、忘れずに保母さんに教えてね。今日は時間がないの、お願い」

 この言葉を残して、あっという間に消えてしまった芙紗子。むらむらっと怒りがこみ上げてくる。待ったをかける暇もなかった。俺を何と思っているのか芙紗子の奴。置き去りにされた良美は茂の手からずり落ちるように身体をくねらせ、ママを追うように玄関の方に身体を反らす。茂は良美を抱えながら玄関に行ったがもうママの姿はなかった。この幼い良美と一緒に泣きたい感情を抑えて良美を抱き締めると、良美は悟ったのか、パパの俺にしがみ付いた。その力に言いようがない愛おしさがこみ上げて来て頬ずりしながら、芙紗子への決別にも似た感情を抱く。その自分に驚きと、不安が交錯して胸苦しくなる。

 愚図る良美に哺乳瓶にリンゴジュースを入れて与えると、むしゃぶるように飲み干す。あれっという不可解な気もしたが、喉が渇ききっていた? 違う気もした。理不尽だろうがそれ以上考えることを避けた。茂はやることがいっぱいあって、立ったまま牛乳を飲み朝食を済ませた。く。

 茂はだらしない程落ち着かない気持ちで良美を保育園に連れて行く。

園に入ると保母の方から、

「今日はパパと一緒。良美ちゃん、良かったこと、ママは?」

「今日は出張なので代わりに……」

 妻は会議で、その代わりと言うのを何故か言い澱んでしまった。

「パパにも慣れていただかないとね。パパが連れてこられる方のほうが多いですよ。そう、そう、ママが出張なら、何かあった時にパパに連絡しましょうね。携帯電話の番号を此処に記入してください」

 保母の方から先に言われてしまう。用意万端全てに網羅されたアンテナを園の方も張っているのだ。ヨチヨチ歩き出した良美だが、肩にしがみ付いて離れない。保母が元気良く良美の名を呼ぶと、反射的に保母に抱かれた。その良美を抱えて、保母が言う。

「今日はご機嫌がよくないわね。良美ちゃん如何したのかしら?」

茂は記入しながら、良美が熱を出すような予感がしていた。


 茂はポケットの中に手を突っ込み、携帯電話を手で握り締めた。振動と音がもっと小さくなるように、朝礼が終わったばかりだ。派遣社員がいっぱいいる。すると、みんな、素知らぬ顔でそれぞれの売り場に散っていく。トイレにでも行くように、そっと抜け出し携帯電話を見ると案の定保育園からだった。こんなに早く掛かって来るからには、やっぱり熱が出たのだ。良美に熱が出るのは、芙紗子には分かっていたはずだ「それで母親かよ」と胸の中で毒ついた。ムカッとした気持ちを抑えながら、

「坂谷です」と言うと、

「良美ちゃん、今朝からお熱があったのじゃありません?」

「いや、何時ものように元気でしたが」

茂は胸が疼いて全身に冷や汗がでた。

「ぐったりしているので熱を測ったら、もう三十九度もありました。これから保育園医のとこへ連れて行きますから、直ぐ迎に来てください。どのくらいでこられますか」

「直ぐ参ります」

 そうは言ったが、すぐ行けるかも分からない。

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