最終話 リン

 後代さんの技は実に多彩だ。

 霊体だけを切り裂く兄者の刀が発する閃光に、ご自身の『闇』を組み合わせるという独特な発想だ。

 米国の青年を消した時に使ったという技のように、小さな『闇』を閃光の内先に走らせ、霊を四散後『無』へと帰すこともあれば……今のように!

 先に巨大な『闇』を発生させ、その中に兄者の刀の閃光を潜め、撃ちだしながら爆裂させる!!

 渾身の一撃のみの必殺技だが、それはまさにビッグバンとも呼べる凶暴な力で、このすり鉢の土砂を、埋もれた岩をも削り取り吹き飛ばしてゆく。

 私の足元、十数メートルほど下に光るリンの「右腕」にその中心部は達し、すべてを一瞬のうちに消し去っていった。


 魂は不滅ゆえ、それでこの一連の光景を私も見ることができていた……はずだった。


 だが違う!

 私はまだ肉体を持っている?!

 激痛が体中を走るが、しかと今の光景を自分の目で見つめている!!


 これは?

 私の周りに!

 いや、ちょうど私を包むように、リンのあのプラズマのような光を纏った『闇』が展開されていたではないか!!


 中空に浮かんでいたそれは、すり鉢がさらに大きくえぐられた地表にまで静かに降りると、ふっと姿を消した。

 まさか?! 焦った私の背中を滝のような汗が流れ落ちた。


「リンッ!」


 叫んでも、念じても、返事はない。


『古谷さんっ!!』


 すぐに遥か上から、後代さん、頼子さん、宮前氏の声が聞こえた気がしたが……不覚にも私は、そこで意識を失ってしまった。


*************************************


 あれからちょうど一年が過ぎた。


 私は体の養生のためと、後代さんや兄者らに暇(いとま)を乞い、今はいにしえの都を見下ろす山に古い小さな一軒家を借り、一人静かに暮らしている。

 思えばこの地が私にとっても、リンにとっても、全ての始まりではないかと思えたからだ。


 N県はその中央の沢尻峠の被害が一番大きかったが、今も尚、復旧工事が続いているらしい。

 時々手紙をしたためてくれる頼子さんによると、彼女が連絡を取り合っている皆も息災……中でも雨守君は相変わらず手紙で伺うたびに違う高校で働いているようだが、きっと後代さんとともに、また人知れず許されざる者達と戦っているのだろう。


 あの時……後代さんの放った『闇』で、リンの「右腕」は消失した。

 そして同時に他の三神も消滅したと見え、「神」の怒りは長い余震程度で収まったのだった。それは列島崩壊を免れた点で言えば、安堵すべきことである。

 だが。

 私は、あの死を覚悟した時、大きな過ちに気づかなかった。


 リンは私が、生きていようと死んでいようとどちらでも構わないと言っていた。

 魂さえ、隣にいてくれれば、と。

 そのリンが、まさか私を生かすために、最後の霊力を振り絞るなどとは思ってもいなかったのだ。


 リンの『闇』は、そこに触れた外部の霊体エネルギーを瞬時に消失させるものだった。それ故、激しく襲い来る後代さんの『闇』の力も、私には届くことはなかったのだ。


 またリンは、こうも後代さんに言っていた。「自分を消せば、『四神』もきっと消える」と。だがそれは、逆もまた然り……なぜそんなことに思い至らなかったかと、悔やまれる。


 あれ以来、リンの声を聴くことはない。


 一年など瞬く間に過ぎたが、今年は冬の訪れも早いようだ。その備えとして、私は夕暮れに一人、裏庭で薪を割る。鉈の一振りごとに薪の割れる乾いた音が、すでに落葉した周囲の木々にこだまする。

 かえって辺りの静かさを感じ、否応なくあの日のことを思い出すのだ。

 リンは、なぜ私などを慕ってくれたのか。

 頼子さんの言うように、私がリンに向き合っていたからなのだろうか。あれ以来、気づけばいつも自問している。


 あの日リンの、その女子高生の清楚な姿を見たのは、ほんのわずかな時間だった。初めて彼女に見つめられた時の、ぞっとするような、身のすくむような……恐ろしいまでに深く澄んだ黒い瞳が、今は懐かしく感じられてならない。

 普段独り言など決して言わぬ私だが、不意に口をついて言葉にしていた。


「会えるものなら。

 またあの眼差しを、私に向けていただきたいものです。」


『やっと言ってくれた。』


 突然、あのリンの声が響いた。

 ぎょっとして顔を上げる。脳内であったか? いや、それとも?

 あたりを見渡すが、やはりなにもない。

 空耳か? 僅かに寂しささえ覚え、向き直ってまた新しい薪を手にしようとした、その時。


 そこに、リンは立っていた。


「リン……。」


 紺のセーラー服に届くほどの黒髪を揺らし、深く水底に引き込まれそうな黒い瞳をリンは向けていた。そして首をかしげ、私に尋ねる。


『覚えてる?

 私があなたに憑依して、全てを知ってから……最初に口にした言葉。』


 忘れはしない。

 それは……あなたが、私だけを、見つめてくれるなら……。

 あの時、なぜそんな言葉をわざわざ私の口を使って? と、不思議に感じていたのだった。


 すると、私をじっと見つめていたリンは静かに頷いた。そしてうつむき、呟いた。


『あれは、私のあなたへの思いそのもの。

 でも、あなたからはきっと言ってくれそうもない言葉。

 だけど、言って欲しくて、あなたの声で聴きたくて、つい口にした言葉。』


 さっきの私の!

 それで……今になって現れたのか。

 リンは穏やかな瞳で私を見つめる。


『この一年、あなたが何を見、そこに何を感じるか、

 あなたの中で、私も一緒に感じることができたわ。

 そんな風に四季を見つめたことなんてなかった。

 だから楽しかった。

 それにいつも、あなたは私のことを思い出していてくれたわね?

 それが嬉しかった。』


「それならば、もっと早く……。」


 困惑した私の言葉を遮り、リンは眉を寄せ、いきなり私を責める。


『だって、ずっとずっとあなたの声で、あなたの心を聞きたかったんだもの!

 それなのに全然口に出して言ってくれないんだもの!!』


 随分と焦らされていたものだと、口元が緩む。そうか……これが「ツン」ということなのだろうか?

 リンは私が苦笑いする顔を、しばし上目づかいに睨んでいた。だが、ぷっと吹き出すと、また穏やかな表情になり、周囲の木々を見渡した。 


『でも、あなたがこの地に一人来たのも……。

 もしかしたら……私があなたの中にいたことに気づいていたのかしらって。

 頼子や雨守に気づかれないようにと、考えてくれたからなのかしらって。』


 なぜか急に気持ちが軽くなったように感じ、私もふっと息を漏らした。

 確かに私は、リンがあのまま消えたのではなく……。


「そうあって欲しいと願っていました。

 一番は、兄者にその思いも知られたくなかったからですが。

 頼子さんは、手紙ではあなたのことを何も触れていません。

 あるいは、気づいていても……。」


 恐らく、そういうことであろう。リンも目を閉じ、頷いた。そして再び顔を上げ、静かに私に歩み寄る。


『私の願いは、ようやく叶ったわ。あなたが、言ってくれたから。』


「では、もう思い残すことも?」


 するとリンはまたうつむき、首を振った。


『……一度世界を消そうとした女の過ちよ?

 簡単に消せるものではないわ。』


「やはり、償いますか?」


『ええ。

 私が消えて償えるものでもないのなら、

 せめて、縁と雨守のように、目の前のことから……。』


 それはこれまで以上に辛く、苦しい選択になろう。だが、リンはまっすぐに私を見つめていた。


「では……里に下りる頃合いでしょうな。」


『一緒にいてくれる?』


 リンの瞳には、涙が浮かんでいた。


「勿論です。

 この寿命が尽きても、私はもう生まれ変わりません。

 たとえ地獄に堕ちようと、あなたのそばに、いますから。」










「県教委委託職員、古谷の事件簿。」 終

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県教委委託職員、古谷の事件簿。 紅紐 @seitakanoppo3

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