第二十二話 逆転

 すうっと、意識が遠のいた。こんな時に、なんというざまだ。


『古谷? しっかりしてっ!』


 リンの声が脳内に響く。


「お恥ずかしいことに老いぼれはとうとう、限界のようです。」


『私が痛がって転げまわったから?』


 リンの慌てたような口調に、なぜか可笑しくなって吹き出してしまった。そんなことを気にしていたとは。


『何が可笑しいの?』


「いえ。

 むしろ痛覚を奪ってくれていた、あなたのほうが耐え難かったでしょう。

 それに、折れた肋骨が肺に刺さらぬよう、ずっとお気遣いいただきましたな?」


『べ、別に気遣ってなんか……。』


 つんと澄ました口調が……一変した。


『そうよッ!

 こんな痛み、生きてる人間に耐えられるわけないじゃない?

 自分で自分の怪我を軽く見てるなんて、あなたバカ?

 骨折だって、内臓の損傷だって、たくさんあるじゃない?

 あなた無茶しすぎなのよ!』


 突如、リンは堰を切ったようにまくし立て始めていた。まさか……泣いてはいまいな?


「そのお気遣いでこの数十分、生かされていたようなものです。」


 だがリンはさらに怒ったように言う。


『バカ言わないでよ?

 だいたい何? 

 今だって私が憑依を解こうとしているの、

 繋ぎとめているのは古谷じゃない?!』


 やはり、ばれていましたか。


「あなたは渾身の『闇』を放ったばかりだ。

 今あなたが私から出たら、上の彼らにやられてしまう前に、

 『右腕』にすべて吸い取られてしまうでしょうからな。

 それに無我夢中で走っていたつもりでしたが、どうやら私も引っ張られていた。

 ……『右腕』は、ここなのですね?」


 そう言って私は足元の地面を踏みしめた。

 既に「右腕」の実体などあるはずはないが、私でさえ引き込まれそうな強い霊波を感じる。弱っているとはいえ、リンの四神は絶大な力を持っていたのだ。


 だが、すぐ足元にあるのなら……。


『あなた……まだあきらめていないのね?』


「ええ、それに。」


 脳内でリンと話しながら上空を伺うに、いよいよ一斉に攻撃してくるか……と思いきや、なにやら様子がおかしい。かおりさんが今、北の方角からやって来たばかりの霊達に向かって怒鳴っていた。


「そんなに大勢で一度に話さないでよっ?!」


 かおりさんに詰め寄るその二百人ほどの霊は、恐怖に顔を歪め、かおりさんに助けを……。いや、ほとんどの者は非難の目を向け、叫び続けているのだ。


「どういうことだ?」


 と、すり鉢状になったこの場所の上部の縁に、頼子さんがひょっこりと顔を覗かせた。すぐ隣には上を警戒する宮前氏の姿もあった。二人とも、道なき道をここまでやってきたのだろう、服も顔も酷く汚れていた。


〈古谷さん?! やっぱりリンさんに憑依されてたんですね?!〉


 脳内に響いた頼子さんの声に、リンの驚きが伝わる。


『この子は朝の! どういうこと? 直接私に話しかけてきているなんて!』


「あなたと波長が合うようですからな。」


 頼子さんはリンに呼び掛ける。


〈リンさん、今朝私に入った時、私に全然気づかなかったでしょう?

 でも私、あなたのことわかってたもの。

 今だって、きっと、話せるって思ってた。〉


『……そういうこと。』 


頼子さんの声は、どこか明るくさえ感じられた。


〈古谷さん、玄武のことなら心配ありません!

 あの人達、五百人くらいでそれを壊しに行って、

 逆に大半が雨守先生の『闇』に飲まれてしまったから、

 怖くなってここに逃げてきたんです。〉


「雨守君が? なぜ、そこに?!」


〈話は後で! 来ましたッ!!〉


 その時、先に集まっていた半数以上の霊が業を煮やしたのか、一斉に私達に襲い掛かってきた。

 が、同時に!

 彼らの中心に見慣れた光の尾が煌いた。兄者の刀だ! 姿は見えぬが後代さんが来てくれた!!


 だが、この技は……やはり私は見たことがない。兄者であればあの閃光は刀そのものの光のはず。兄者の神速の刀捌き故、通常でもその光は無数に見えるが、後代さんのこれは太刀筋などというものではない!

 恐らく後代さんは刀の一振りごとに閃光だけを無数に飛ばしている。それも彗星の如く!

 その軌跡はありえない弧を描き、霊達を何体も何体も悉く貫いていく。彼らは逃げることも叶わず高速で回転する彗星の尾に引き裂かれ、消えていく。


 瞬時に移動しながら後代さんは続けざまに放っているのだろう。そこはまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。その光景に恐怖した残りの数百の霊は、蜘蛛の子を散らしたようにこの場から逃げ去っていく。

 そうだ。去ってくれればよい。相手が減ることを期待し、気を緩めてしまったその時だ。


「いけないっ! 宮前せ……」


 すり鉢の縁で頼子さんが叫ぶ声がした。そこには頼子さんの首を絞めている宮前氏の姿が。


〈うっ……宮前先生に、かおりって子がいきなり憑依して……。〉


 再び脳内に聞こえた頼子さんの声は、またしてもそこで途切れた。頼子さんは抗おうと宮前氏の腕をつかむが、宮前氏の腕にはますます力が込められていく。


「どこまでも汚い女ッ!」


 リンの叫びに宮前氏は、無表情なその顔をゆっくりとこちらに向け、見下ろしてきた。


「あなたに言われたくないわ? リン!」


「かおり、あなただって、なかなかいいおじさんの声じゃなくて?」


 いったいなんの言い合いを……いや、リンはかおりさんの気を引いている。かおりさんは怒鳴り返してきた。


「うるさいわねっ! この男も娘も人質よ!!

 いったい誰なのあれは? 止めさせてっ!!」


「その人質が、縁に通用すればいいけどね?

 あの子にはためらいがない。縁はもう、私以上に鬼よ!」


 リンが私の口で言い終わらぬうちに、上空から一筋の彗星が堕ちて宮前氏の体を背中から貫いた。瞬時にかおりさんの霊体だけをからめとり、すぐさま急上昇していく。

 何が起きたかわからない、という顔のかおりさんは空中で彗星の尾に翻弄されたまま四散した。彼女には悲鳴を上げる暇すらなかった。

 そして、既に上空を覆っていた霊達の姿はとうに全て消え失せていた。


 憑依を解かれた宮前氏は、その場に膝をつき、頭を振る。

 と。

 微かに咳き込みながら倒れた頼子さんの隣に、刀を鞘に納めた後代さんが姿を現した。髪をかき上げた手を額に当てたまま、私を……リンを射抜くように見据える。


『誰が鬼よ?』


 リンは私の口を使ったまま、どこかあざ笑うように答えた。


「褒めたのよ。

 あなた達の玄武を守ったのが、あの雨守という男ですって?

 まだ入院しているんじゃなかったの?

 あなた、その男を守ってるんじゃなかったの?」


 後代さんは目をむいて睨みつけてきた。


『誰のせいで?

 見くびらないで。

 どんなに離れていても私と先生は、心は繋がっているわ!』


 なぜかツンと澄まして胸を張って見せる後代さんに、今、リンがしたのは舌打ちだっただろうか?


「……それにしても随分いいタイミングじゃない? 

 玄武で待ち構えているなんて。」


『先生は夕べ、古谷さんと別れてから玄武が心配だって、

 いつもより早く、渡瀬さんと病院を出ただけよ。』


 そうか。

 それでN県の交通が南北に分断される前、それも朝の地震の影響も受けずに、玄武までたどり着けていたのであろう。

 後代さんと雨守君は、遠く離れていても互いの声が聞こえるまでになっていたというのだ。今朝桜が丘高校で別れた時、後代さんが落ち着いていたのはそれも知ってのことだったのだろう。


 後代さんは一度目をつぶると、今度は穏やかな表情を浮かべた。だが言葉だけは力強い。


『私達にだって、仲間はいるわ。リン!

 あなたは知らないでしょうけど、

 横道さん、本間さん、立花先生、他にも大勢!

 この世界を消したくないと願う仲間達が!

 みんなが玄武を守るために集まってくれていたんだもの!!』

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