第二十一話 絶体絶命
「これは……。
皆一様に私に殺意を向けている以上、逃げ道はありませんな。」
上空には早くも大勢の若い霊達が集まり始めていた。すでにその数、二百を超えたか。
かおりさんの彼らへの説明がどうであったかはわからぬが、私を見下ろす彼らの目は憎悪に満ちていた。
リンに対しても、これまで指導者として崇めていた者による背信に、戸惑いと絶望、中には私へ向ける感情と同じ色の目を向けている者までもいる。
さらに今、玄武の破壊にまで向かわれたとなっては、もはや打つ手はない。リンが私に応じてくれようとも、大蛇は暴れ、彼女の「四神」は発動してしまう。
するとリンがかおりさんを見上げ、意外なことを叫んだ。
『かおり、よく考えなさい?』
「今更なに? これだけ大勢集まれば、あなただって怖くないわ?」
『そうね、今の私には敵わないでしょうね。
でも私のことを言ってるんじゃない。
この男を殺せばあなたの気は済むでしょうけど、
それは一時的な自己満足に終わるわよ?』
「どういうこと?」
『そこのヘリコプターで死んだ幽霊達を見なさい。』
リンが顔を向けた方向へ、上の皆も同じく視線を向ける。そこには二機に乗っていた六名の霊が、呆然と炎上したままの残骸を眺めていた。
『彼らはまだ自分の死が受け入れられていない。
でも、古谷は違う。
肉体を殺しても、
それは怪我だらけの彼が全身に感じている苦痛から解放されるだけよ?
古谷が霊的存在になったら、あなた達など束になっても相手にならないわ?
ひろしが消されたのを、見ていたでしょう?
それだけはよく、考えるのね。』
「リン、いったい何を言うのですか?!」
驚いて私も叫んでしまったが、リンは私を殺させまいと言ったのであろう。
確かに死ねば痛みからも、この大地から離れられぬ重力に囚われた不自由さからも解放されよう。さすれば道はまだあるかに見える。だがリンの言葉は単に、はったりにしかすぎない。
『印』を結ぼうにも霊力が衰えている今、私には防御のための手段すら……。
だが上空の者達は、明らかに動揺した。リンは続けて叫ぶ。
『少しはわかったようね。
さっきも言ったように、この男はあなた達には殺させない!』
「じゃあ、リンさん! 潔白を証明してよ?
あなたがその男の魂を消してみせてよっ!!」
髪を振り乱し、まだリンを信頼したいという思いもあるのか、かおりさんは顔を歪めた。
だがリンは、無表情なまでに冷ややかに答えただけだった。
『そうやってあなたは相変わらず人に委ねる。
自分からはなにもしようともしないで。
だから友達ができなかったのよ。
私はずっとこの男を殺すつもりだって、言っていたじゃない?』
突然リンは背後から再び私に憑依してきた。
一瞬、意識が遠のく。痛覚まで奪ったリンは頭を掻きむしるようにしながら私の体を暴れさせ、地に倒れてのたうちまわる。口からは獣のような叫び声をあげて。それが私に聞こえて……外界が見えている……視覚聴覚は片方しか奪っていない?
なぜだ?!
『勘違いしないで。』
脳内にリンの声が響いた。
『お願い、言う通りにして。かおりに悟られる。』
「そのために憑依を?」
再び脳内で会話を始めたが、同時にこんなに暴れながら……いや、これは彼らを欺くためか?
さらにリンは驚くべきことを口にした。
『私の霊力が落ちたのは、古谷、あなたに憑依していたからではないわ。』
「どういうことです?」
『私も「右腕」に呼ばれてここに来たの。
はじめはそれであなたの「玄武」を壊さなくとも、
この世界を消す願いが叶うとわかった。
でもその時、あなたをそばに置いておきたいって、そう思ったの。』
「それで私に憑依してここまで?」
『そうよ。世界の消えるさまを一緒に見せたくて。
でも「右腕」が私を何故呼んだのか、考えもしなかった。
私から霊力を奪い続けているのは、その「右腕」よ。』
「なんですと?! 『右腕』があなたの霊力を吸い取る理由はなんなのです?」
リンの「右腕」を弱体化させている【何か】が別に存在するということだろうか? リンは気づいているらしい。だがほんの少し、リンは言葉に上げるのをためらった気がした。
『それは……「神」よ。』
「神?!
あなたを殺した帝が、あなたの四肢で封じ込めた「神」のことですか?」
『そう。
よりによって私と一番深い因縁のね。だから私にはわかる。
今朝の地震で「神」は私の「四神」がまだ生きていることに気づいた。
一度封じられたんだもの。だから「神」は怒っているわ。』
最初に生贄になった時、リンは神に『生きたい』と願ってしまったという。それ以来の因縁ということか……これまでのすべての転生も。
「では『神』によって弱体化されつつある『右腕』が、
それでも自身を維持しようとあなたから霊力を?」
『そういうことみたい。
ただでさえ【あなた達の四神】が干渉していた「右腕」は、
さらに神の怒りに触れて弱体化が激しいわ。
だから私から……。
そして【私の四神】は今、発動しようとしている。
でもきっとその前に、「神」の怒りはそのまま形になって現れる!』
なんということだ!
余震が起きるだろうとは予測していたが、もはやそんなレベルではあるまい。それ以上の何か大きな災いが起きてしまうというのか。まさにそれは列島崩壊?!
『だから私達でなんとかしましょう。』
「え? 今、なんと申された?」
思いもよらぬリンの言葉に、私は聞き返してしまった。その時、ふと、リンが寂しげな笑みを浮かべた気がした。
『帝が私に何をしたのかわかってしまった今、二千年の恋も覚めたわ。
他の男達も同じ。
よく考えれば、同じ過ちを繰り返す私がいけないんだけど。』
「その都度、殺される一月前に記憶が蘇えるのでは、無理もありません。」
するとリンは少し、黙った。その間もかおりさん達を欺くために激しく体を暴れさせながら。
そして再びリンの声が響いた。
『もう私の「四肢」を帝……あの男の思いのままにはしたくない。
「神」の怒りを鎮めるには、人の手で置いた【私の四神】を、
人の手で効力をなくすしかない。』
「それではますます【あなたの四神】を発動させたくて仕方のない、
かおりさん達の恨みを買いましょうな。」
『そうでしょうね。
別に二千年の間、私がしてきたことを悔やみはしないけど、
私が多くの人を消してきた事実を、消すことはできない。』
「償い、ですか?」
その問いにリンは答えなかった。代わりに私は続けた。
「多くの人を殺めたこと、それは私も前世において同類です。
いかなる理由をつけようとも。我らはただの人殺し。
あなただけではない。」
しばし後、小さな声でようやくリンは答えた。
『……優しいのね。
私の力が「右腕」に奪われていると分かれば、その流れも読めたわ。
わずかだけど、力を取り戻せた。』
そう言うと突然リンは私の顔を上空に向け、かおりさん達を睨んだ。と、同時にすぐ横で炎上していた二機のヘリコプターの機体が地を離れ、彼ら目がけて尋常ならぬ速度で一気に飛んで行く。一瞬驚いたようだが物理的な物体など意に介さない彼らは、それを嘲笑した。
だがリンは機体の中に仕込んでいたのだ。彼女の『闇』を。
彼らの中央でその『闇』は、まるでプラズマのような光をほとばしらせながら炎上する機体を包み、さらに大きく膨張した。上空にいた霊達の大部分はその『闇』に触れた途端、飲まれる前に瞬時に四散していく。
後代さんや雨守君の使う『闇』とは、その特性が明らかに違う。お二人の『闇』は全てを瞬時に内に吸収するが、リンのそれはまるで激しい怒りを周囲にぶちまけるようであった。
一瞬の出来事が終わった時、リンが憑依した私は膝をついてしまった。
『……まだ少し、足りなかったみたい。』
私の痛覚も奪ったままなのだ。リンは呻くように声を漏らしたが、まだ上空を睨んだままだ。そこには、かおりさんが残った数名の仲間とともに、ただ呆然と、収束して消えたリンの『闇』があった中空を見つめていた。
恐らくかおりさんは機体を投げる寸前のリンの殺気を察知したのだろう。僅かな間に難を逃れたようであった。
ゆっくりと首を回し、かおりさんは叫んだ。
「この卑怯者……。どこまで私達を裏切れば気がすむの……。リンッ!」
そして彼女の周りの霊達が、容赦なく霊波弾を撃ち込んで来る。
『古谷、運動機能を返すわ。
逃げ続けて。
その間にまた力を「右腕」から取り返す!』
そう言いながらリンは霊波を張って彼らの攻撃を防御し、口と痛覚以外をすべて返してきた。
「すまないリン! 今しばらく耐えてください!!」
そう念じて走り出した私には答えず、リンは私の口を使って上空に向かって叫んだ。
「また仲間を呼んだわね? 卑怯者はどっちよ?!」
『あらなによ? おじさんの声音で気持ち悪い。』
かおりさんがあざ笑うように言うと、彼らの攻撃が突然やんだ。既に勝ち誇った顔のかおりさんの周りには、再びその仲間が集まりだしていた。
その数、千人は超えていよう。
『……あれだけ消すには、まだ力が足りない。』
リンの呟くような声が、頭の中に響いた。
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