第十八話 憑依

 お二方は無事なのか?


 どうやら私一人だけ飲み込まれたこの「闇」は、後代さんの繰り出す『闇』とは違うようだ。後代さんのそれは例えるなら嵐と聞く。それも「無」に吸い込まれ、消えゆくしかない激しい世界だ。

 だがここはどうだ? あまりにも流れるもののない……むしろ混沌。


 にもかかわらず、この「闇」の中で体中を突き抜ける激痛はどうしたことだ? 

 周りの状況もつかめず、自分の意志で体を動かしているという自覚もないのに、ただ痛みだけが全身を襲う。まるで今朝、火の山の中を駆け抜けた時と同じような……。


 すると突然、リンの声が頭に響いた。


『どう? 痛い? あなた今、朝みたいに獣のような走り方をしてるからよ?』


「私が走っている? まさか……憑依されたっ?!」


『そう。あなたの意識を殺さぬ程度にね。

 今朝、あんなはしたない走り方をするなんてって笑っちゃったけど、

 こうしてると思いのほか楽しいわね?』


 リンは笑っている?


「こんなことが楽しいのですか?」


『ええ。だって、こんなことしたことないもの。

 視覚と聴覚、運動機能は奪ったわ。

 でも生きていることは実感できるように、痛覚だけは残してあげたのよ?

 感謝なさい。』


「そう言わず、私の意識も命もすべて奪えばよかったのでは?」


 リンはクスっと笑った。


『勿論……いずれ全てもらうわ。』


 それはそうだろう。

 しかし、いつの間に私に近づき憑依を……いや、それは愚問だ。


『そうよ? あなたが瞬きをする間に、私は縦横に動けるもの。』


 何? 思考が読まれている?!


『違うわ。今あなたの意識は私の中にあるもの。

 あなたが何を考え、何を思うのか、手に取るようにわかるわ。』


 なるほど。

 通常どおり口を開けて話さずともよい、ということか。体はもちろん口も乗っ取られているのだからな。


『ダメ! きちんと自分で言葉にして話しなさいよ!!』


 これは異なことを。


『さっきみたいに普通にしゃべろうとすればいいのよ。

 頭の中でいっぺんに思ってることから、きちんと言葉にして!

 それとも建て前と本音、あなたも他の大人と同じように使い分けるのかしら?』


 なるほど……これはどうやら私の腹黒さを試されているな。


『言った先からなによ? ちゃんと言葉にしなさいってば!』


「口を開いてるという自覚なしに、うまくできているのかわかりませんが。」


『大丈夫、上手よ。……それよりなによ、あなた。腹黒いの?』


「ええ、こうしている間にも、あなたの隙を伺っています。」


 が、リンはせせら笑うように応じる。


『嘘よ。言うほどあなた、他の大人みたいにずるくなれないじゃない。

 それなのに自分をそんな風に言うのは……。

 前世の悲しい死に方のせいなのかしら?』


 なに?

 今、私はそんなことなど何も意識しなかったはずだ。

 だがなんだ?

 この、心をえぐられるような鈍い痛みが胸に走る感覚は?!


『あら? 説明が足りなかったわね。

 あなたの深層心理……無意識の記憶をたどっているのよ。

 そこにある前世の記憶をね。

 そう……あなた、病弱だったの……辛かったのね。

 それなのにあんなに激しく城の兵と立ち回って……苦しかったでしょうに。

 ふうん、好きあっていた娘が城主に……可哀そうにね。』


 リンの言葉に沿うように、忘れていたはずの……忘れようとしていた光景が蘇える。

 あの時。

 死霊の憑依によって狂った城主は籠城し、壁の中で守るべき領民を虐殺し始めた。

 その娘とは、その村人の一人だ。私が十四で娘は十三。

 城主は城が焼け落ちるという最中(さなか)、その娘を手籠めにかけた。仲間の死霊を増やす苗床とするために。

 凌辱され自らの意識も冒されようとする中、娘は私の名を呼び、こう言った。

 どうかあなたの手で殺してください、と。

 燃え盛る炎の中で、私は手にした刀の刃を娘の首に……


「もういいっ! やめろっ!!」


 初めて止まらぬ怒りを込めて叫んでいた。リンはそれ以上に私をなじるように叫ぶ。


『そうよ! その怒りがあなたの本性じゃなくて?

 言葉遣いまで変わっちゃって。』


 いや!……怒りに任せては、ならぬ。


『自分に素直になりなさいよ!』


 リンが怒鳴ったが、私は努めて普段の自分を取り戻した。


「声を荒げてすまない。どうかやめてくれ。」


 そうか。

 まさにリンは私の心をえぐっていたのだ。

 リンはこうしてこれまでも出会った者たちの過去を読み、時の世を憎む心を動かしたのに違いない。


 するとリンも、先とは違う穏やかな声色となっていた。


『そのとおりよ。相手の傷みを知り、同じ目的を持っていると気づくこと。

 ……それが同志じゃなくて?』


「だが、私には憎しみはない!」


『う……嘘。』


「私は嘘をついていますか? あなたは私の心を読んでいるのでしょう?」


 だが、かえって来た声には、どこかうろたえたような響きが。


『本当になんなの? 古谷。

 城主への憎しみがないだけじゃなく、

 誰も恨んでいないなんて、そんなはずないじゃない?

 あなたは心からあの娘を助けたかったはずじゃない?』


「ええ。

 だからこそ、私は娘を守り切れなかった己の至らなさが悔しいだけだ。

 それよりはっきり言ったらどうですか?

 その城主を狂わせた死霊を操っていたのは、

 その時その世にいた【あなた】だと!

 あなたは……あなたほどの人が!

 自分に私の憎しみが向かうことは恐れているのですかッ?」


『べっ!

 別に古谷から憎まれたって平気なんだからねッ?!

 あなたにはっ……』


 突然リンは押し黙った。一体、何を言おうとしたのだ?

 気がつくとほぼ同時に腕や足、体の痛みは突然止まっていた。これはリンが立ち止まったということに違いない。だが代わりに胸に言いようのない鋭い痛みが走った。

 これは……リンの心の痛み?

 もしやリンの意識の中にいる私にも、リンの心がわかるのか?


 が。すぐにリンの声が私の思考を遮った。


『余計な詮索はやめてっ! そう……古谷……やはり気づいてたのね。』


「どうやら因縁が深いようですな。」


『……そうよ。その娘が殺されるきっかけは、ずっと前の私が……。

 また愛した男に殺され、転生を待っていた霊体の私が作ったことだわ。』


「我らが『朱雀』を、城主を操り破壊させるためであったのでしょう?」


『ええ、ええ! そうよッ!!

 それでどれだけ人死(ひとじ)にが出ても構わないと思ってた。

 それであなたの愛した娘も死んだ。

 そうでしょ?

 だから私が憎いんでしょう?!』


 なぜ急に捨て鉢な物言いになるのだ?


「わかりませぬか! 私はあなたを憎んではおりませぬ!!」


 一瞬、顔など見えぬのにリンは顔を上げた気がした。これは……安堵?

 だがリンは言葉では正反対の感情を剥き出しにしてきた。


『何を言ってるの?

 憎いはずでしょう?

 あなたが愛した娘が殺されたのよ?

 憎みなさいよ! 私を!!』


「我らは戦に私怨を挟みませぬ。」


『そんな綺麗ごとはやめさいよっ!

 誰も憎くないなら私だけを憎めばいいじゃないっ!!』


「それは同情ですか?」


『違うわよっ! バカッ!!』


 なぜ私は急に怒られているのだろう? これは所謂「逆ギレ」というものなのか?


「あなたから見れば馬鹿な男でしょう。

 それに、巫女であった時のあなたの前世を知ってしまえば……。

 私にはあなたを憎むことなど、できないのです。」


『私が巫女だった時の……前世?』


 急にリンはしおらしくなってしまった。


「我らがあの城主を暗殺したは、時の『帝』の命によるものです。」


『そんな?

 私を愛した「帝」の血を引く者が、

 私の「四神」を封じるはずがないじゃない?!』


「いえ。あなたが愛した帝の血筋は、断たれました。」


 今、リンは私の潜在意識を遡り、我を忘れて読み漁っている。


「もう私の前世の記憶から、わかりましたね?」


 リンが、愕然とした様子だけが伝わってくる。


『……あなた達が、「帝」の子を殺した?』


「ええ。それ故、むしろあなたの方が、私を憎むべきではないのですか?」


『そんなことするわけないじゃない。』


 聞き間違えたか? いや、【そんなこと】だと? ど……どういうことだ?


『そんなことどうでもいいの!

 でも……私を……私だけだと言った「帝」が……お子を?

 誰が……私以外に誰が……「帝」の寵愛を……?』


「我らが葬った『帝』がどのように生まれたか、あなたはご存知ないでしょう。

 これは私も昨夜兄から聞いた話です。

 でもどうか、おやめください!

 これ以上、私の心を覗くのは!!」


 が。私にはリンが全てを知ってしまうことを止めることはできなかった。それは、始めから如何ともしようがないことであった。


『そんな、嘘……。あの後そんな……。』


 リンが腹部に手をあてる感覚が伝わってきた。

 魂が離れた後の四肢を無くした体に、自らは知らぬ子を宿らされていたとは。


「惨いことです。」


『私を……利用していただけ……だったなんて……。』


「ええ。後の世の男達も、変わらなかったのではないでしょうか?」


 リンは放心してしまっているのだろう。私にも、リンの記憶が怒涛のように流れ込み、見える。

 前世で出会ったどの男の顔も、リンを見つめようとしていない。その表情には愛情など微塵も感じられない。ささやかな、いたわりの言葉さえも。

 むしろ暴力でリンを支配していた……そんな光景がうかがえた。

 いつも。いつも。……いつも。


 それを愛だ、などと!


「リン。どうかもう、おやめくださらぬか?」


 長い沈黙の後、リンはぽつりと口にした。


『いいわ……古谷。』


 いきなり私の体の機能が半分近く自分のものに戻ってきた。薄く目を開けると急に光の中に立たされたように、眩暈を覚える。


 だがリンはまだ私の中にいる。


 リンはなぜか私の口を使って、こう言った。


『あなたが、私だけを見つめてくれるなら。』

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