第十九話 逆襲

 なぜ急に脳内ではなく、直接【声】に出してリンは言ったのだ?

 不思議な気はしたがそれはともかく、リンは初めて私の話しに応じてくれたのだ。

 ……もとよりその答えは、覚悟の上のこと。


「リン、あなたの願いは……私が死ねばよいということですね?」


 私も口に出して言うことができた。だが、リンの答えはない。まだ放心しきっているのか、リンの心は今は読めない。


 だが突然、まだ周囲の明るさに慣れない私に、外部からの霊波が襲ってきた。まともに受けてしまう直前でかわしたが、つい先刻まで運動機能を奪われていたのだ。無様にも思わず斜面に尻もちをつくように転んでしまった。


 これは、あのひろしという少年!


『じじいっ! 一人だけいつの間にこんなところまでっ!!』


 少年の怨念は近づいては離れということを繰り返し、私に何度も一点を鋭く突くように襲い掛かってきた。それも的確に頼子さんが手当てしたところを狙っている。掠める度に、痛みが走る。

 まるでナイフだ。

 転がりながら逃げるうちに、やがて土の地面から斜面に顔を出した大きな岩の上に出たと気づいた。


『まさに満身創痍ってやつだな。ゆっくりなぶり殺してやるよ。』


 彼の声に咄嗟に片膝を立てて身構える。

 彼はさも楽しげに笑うと、一度私から離れ間合いをあけたらしい。ようやく慣れてきた目に……それも右目だけだが、そこに映った彼の右手は、手首から先がまるでナイフの形になって伸びていた。


『さっきはじじいとチビだと思って油断してたからな。本気でいくぜ。』


「よくそのような姿を思い描けるものですね。」


 私の言葉に彼は顔を歪め、口元で笑って見せた。


『これか?

 散々ナイフちらつかせて俺を恐喝していた奴と同じにしただけさ。

 化けて出たら奴は泣いて命乞いしたんで、奴のように笑ってよお。

 喉をスパっと切って殺してやった。

 「先に地獄で待ってろ」ってな。

 すっげえ気持ちよかったぜ。』


 この少年、粋がっているのか……。


「では、あなたも地獄に落ちる覚悟はあると。

 それで人を殺して一人前だとでも言いたいのですか?」


『ふん、偉そうに言うなよ、じじい。てめえだってこれから死ぬんだ。

 今ならあのクソおっかねえチビもいないしな。存分にいたぶってやるぜ。』


 そしてやにわに彼は腕を振り回し、私に迫る。すかさず立ち上がり、彼の腕を右に、左にとかわしていく。彼は大振りだ。刃物を使い慣れてはいまい。だが左目が見えていないことを気取けどられてはならない。そちらに回られたら、攻撃を回避することはできない。


『ちょこまか動きやがって。めんどくせえ、これでも喰らいやがれ!』


 少年は急に後方へ間合いを開くと同時に、右腕を前にと突き出した。

 と、突然!

 その手首から先を、ナイフ状の霊波の塊として撃ちだした! 片目のために距離感が狂っていたが、後ろに飛び退き間一髪で交わす。触れなければどうということはないが、それは私を掠め先刻まで私が立っていた岩を射抜いた。


 しまった! 狙いはそれだったか!!


 激しい勢いで砕かれた岩は、破片となって飛び散り私に襲ってきた。とっさに体を小さく丸め、頭部を両手で盾を作り、守る。


『最初からてめえの足元狙ったんだ、バーカ!』


 やはり!

 動き回る私を狙うより、四方八方に石の破片を飛ばせば効率的!……などと彼の攻撃に感心してる場合ではない。拳大ほどの破片をいくつか腕に受けた私は、その場からさらに下へと斜面を転がり落ちてしまった。

 天地が激しく回転する。割れ目の底まで落ちて来たかという時、一瞬、まだ燃えている堕ちたヘリコプターと、すぐ目の前に岩場が見えた。岩場などに体を打ち当てたらひとたまりもない。

 どうにか手で土を掻き、足の先を斜面に突き刺すようにして、岩場の手前でようやく体を止めることができた。


 すると遥か頭上から、少年の笑い声が聞こえてきた。


『下で待ってろじじい。ゆっくりとどめ刺しにいってやるからよぉ!』


 すぐに来ない、ということは少年の霊力であの技を連撃するのは難しいということか。だがいずれ彼も降りてくる。周りの状況は……ここは特にすり鉢状になった場所だ。上がることは容易ではない。


 先ほどちらと見えた岩場が、すぐ近くに広がっている。そこに散らばる石の特殊な形状を見て気がついた。ここの石は鉄平石か? 3㎝程の厚さに剥離しやすいこの石の特性のために、板状の鉄平石がそこかしこに散らばっているのだ。


 だが何をするよりはまず、私の左目の機能をリンから返してもらわねば。瞼の上から左目を触れてみるに、別に潰れた様子もない。やはりリンに視覚を奪われたままなのだ。私は再び心の中で呼びかけた。


「リン、私の中にいるのでしょう? 左目を返して下さい!」


 私には兄者ほどの心眼はない。未熟と言われればそれまでだが、体がボロボロなうえに急な隻眼のままでは、あの少年の攻撃をかわし続けることはできない。


 と、その時、私は唐突に気がついた。


 今、斜面を転がり落ちてきた時……いや! 

 少年の攻撃を受けて岩の破片を両腕で受けた時、それまではあったはずの身体の【痛み】を、感じていないのではないか?!


 今も……それはつまり!


「リンッ! なぜ私の痛覚を奪ったっ?!」


 リンはきっと五体がバラバラになるような激痛に苦しんでいたに違いない。リンの苦悶に呻く声だけが聞こえてきた。

 なぜ今まで気づかなかった? 思いもよらぬリンの行動に、私の鼓動は速くなる。


「リンッ! 答えてくれッ!!」


 そしてしばらくの後のち、ようやくリンは小さく答えてくれた。


『べ……別にあなたのこと、気遣ってなんか、ないんだから……ね。』


「私から出れば彼の攻撃をあなたが受けることもなかったではないですか?

 それに第一、同志なのでしょう?」


 リンの思わぬ行動に、やや早口に問いただしてしまった。なぜここで私を庇うような行動を?

 すると私の動揺を察したのか、リンは今度は即答してくれた。


『同志といえど、ほ……他の誰にも、あなたを殺させは、しない……。』


 なるほど、そうか。そういうことであれば、合点がいく。リンは自ら私を殺したいのだ。


「とにかく、左目を返してください!」


 切羽詰まってリンに迫った。が、答えはまったく想像もしないものだった。


『……いや。……暗闇は、怖いの。』


「え?」


 暗闇が恐い? 二千年も転生を繰り返したリンが? その都度、何度も闇を味わっているはずのリンが……?

 が、またもリンは私の思考の邪魔をする。


『お黙りなさいッ……そんなことよりねえ、痛いわ?!

 私が痛いってわかってるのに、

 あなたはなぜそんな重い石の板を何枚も動かしてるの?』


 私はリンと会話しながら、足元の50㎝四方ほどの鉄平石を引きずるように、何枚も己の周りに敷き並べていた。リンが痛覚に受けていた痛みは、既に相当なものであろう。が、リンの声には、どこかその痛みを敢えて味わっているかのような印象を受けた。


「すみません。ですが、間もなく彼がここに来ます。私を殺そうと。」


 するとリンは苦痛に呻きながら、なぜか笑っているかのように呟くのが聞こえてきた。


『あなたって、本当に可笑しな人ね……。

 死ぬという覚悟がありながら、生きようとすることを忘れない……。

 いったいそれって、なんなの?』


「これも前世の因縁なのでしょうな。

 己の力量のなさ故、守るべき者を守れなかった。

 同じ過ちを繰り返さぬよう、悔いの残らぬようにしたいだけです。」


 私の言葉に、なぜかリンは息を飲んだような反応をした。が、それを何故かと考えることもせず、私はリンに告げた。


「彼に隙を作らなければ、霊力が弱くなった私が効力ある『印』を結べるのは、

 恐らくはただ一度のみ……。」


『……私が中にいるから……なのね?』


 生きた人間ならば、ごくりと唾をのむような感覚が伝わって来た。確かに強力な霊力をもつリンに憑依されていたのだ。私の霊力が吸い取られていたという、その自覚も覚悟も、私はとうに持っていた。

 だがしかし。


「今はあなたが私の痛みを全て請け負ってくれているではありませんか。

 お互い様です。」


 一瞬、リンの感情が凪いだ気がした。今のは、なんだ? だが、すぐにリンから私の思考を遮断する感情が。


『来るわ!』


 そこに彼が悠然と降りてきた。

 私は鉄平石を敷き終えた上に立ち、彼を見上げた。彼は顔を引きつらせた笑いを浮かべながら私を見おろす。


『じじい、またとんでもなくあんたにゃ気の毒な場所に落ちたもんだな?

 今度は逃げ場はないぜ。』


「どうですかな? 同じ手は二度と受けませぬ。」


『とかなんとか言いながらその老いさらばえた体で逃げ回るのは観念したか。

 じゃあッ!』


 彼は私に向かって右手を伸ばし、叫んだ。


『死になよッ!!』

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