第十五話 会敵
「宮前さん、すみません。かなり車に傷をつけてしまいましたね。」
「なぁに。この車は凹もうが穴が開こうが、それが勲章のようなものですから。」
そう笑って宮前氏は横目でちらと私に応えた。
途中、道が崩れたり岩だらけであったり、川のように膝の深さまで水がついた場所もあったが、宮前氏は時にドア周りを斜面に擦らせ、あるいは車両下面を岩に滑らせ、川のようになった所も難なく渡りながら沢尻峠の入口まで走らせ続けてきた。
私はやや興奮していたが後席の頼子さんは、とうに言葉もなく、ぐったりとしていた。
「頼子さん、大丈夫ですか?」
振り向くと二点式シートベルトだけで体を支えていた頼子さんは、やや目を回しながらではあるが、気丈にも明瞭な声で答えようとする。
「お尻が痛いっていうか……ちょっと気持ち悪いです……うぷ。」
「ごめんな、少し休もう!」
吐き気を催したらしい頼子さんの反応に慌てた宮前氏は、すぐに緩やかなカーブで道幅が広くなった場所に車を停めた。
「ここから峠への見晴らしがよくなります。」
もう目と鼻の先か。峠のあの裂け目まで1キロもないだろう。
2ドアのため先に降りて助手席を倒し、後席の頼子さんを受け止めるように下ろしていた、その時。
すぐ頭の上をヘリコプターが通過した。
「やけに低く飛んでるなぁ。
あ! こんなとこに居るから救助待ちかと思われちゃったかな?」
そう言う宮前氏とともに見上げる。機体に描かれた文字を見るにテレビ局の取材だろうか……おやもう一機増えた。その二機、白と赤い機体が我々の上を旋回している。
そのうち白い一機は我々に気づいたらしく、窓からこちらにカメラらしきものを向けている人物が見える距離にまで近づいていた。
だが突然、背後に回っていた赤いヘリコプターが我々の頭上を爆音で越えたかと思うと、一直線に白い機体に急接近した。
何事かと目を見張った次の瞬間、接触した二機はともに、この先の峠の裂けた斜面にむかって墜落したのだ。
爆発音とともに大きな火柱が上がった。あれでは……助かった者はおるまい。
「えええッ! 一体……何が?」
呆然と立ち昇る煙を見つめる宮前氏に、私は低く唸った。
「……赤いほうのパイロットが憑依されたのでしょうな。」
まさかリン?
あなたは一体、どれだけ人を殺めるつもりなのですか?!
するとカーブの先から誰か近づいてきた。
「お巡りさんだ!
今の事故、生きてる人がいるかも知れない! 助けに行かないと!!」
宮前氏はそう呼びかけながら警官に近づいて行く。
だがこのタイミング……今の事故のために現れたとは思えない。それに、その警官の服はやけに汚れており顔には相当疲れた色が伺えた。
「宮前さんっ!!」
「先生! その人お巡りさんじゃないっ!!」
私と頼子さんの叫びはほとんど同時だった。驚いた宮前氏は一度こちらを振り向いたが、再びその警官に向き直った時、その体は硬直していた。
警官は腰のホルスターから抜いた拳銃を宮前氏に向けていたのだ。
「私たちの邪魔をしないでくれますか?」
警官は震える両腕で銃を構えながら言う。中の霊は女か?
思い留まるように説得しなければ。
「リンのお仲間ですね? あなたのお名前は?」
「……私たちに、名前なんて関係ない!」
「いいえ、生前あなたもリンと同じように名前があったはずだ。
そんな真似をしなければならない前世をもった人だったのでしょう?
それをお話し下さい。どうか銃を下ろして。」
手をゆっくり上下させて促すが、見るに警官の頬が痙攣をおこしたように震えている。
そして銃口を私に移して叫んだ。
「あなたが! リンさんがおかしくなったのは、あなたのせいねっ?!」
リンが、おかしくなった?
が、私が考える暇もなく、真っ直ぐ伸ばした腕の先で『彼女』は引き金にかけた指に力を入れる。
しかし、何も起こらない。
「え? どうして?」
驚いたように『彼女』は銃口を見つめた。
「ご存知ないようですね。拳銃には安全装置というものがあるらしいですよ。」
あるらしい、としか私も知らなかったが、きっとそういうことであろう。
「ど、どれ?」
慌てた『彼女』が拳銃を持つ手を捻りながら、まだそれを見つめている隙に、私はポケットに入れていたネクタイを取り出し足下の拳大の石をくるむと、端を掴んで素早く振り回し、警官めがけて投げつけた。そして走り出す。
「ガッ!」
石は狙い通り警官の右肩をとらえた。その手を離れた拳銃はホルスターに繋がれた紐の先で、大きく弧を描いてまだ揺れている。
肩を押さえうずくまった警官の背後に回り込むと、私はその首筋に手刀を振り下ろした。
小さくうめき声を漏らし、警官はその場に崩れ落ちた。
「す……すごい。ほとんど一瞬ですよ?
古谷さん、あなた一体何者なんですか?」
「……語る程の者ではありません。」
呆気にとられた宮前氏の視線を避け、ゆっくりと身を起こしながら答えた。
「中の子も、一緒に気絶させたんですか?」
「ええ。乱暴でしたが警官も、憑依していた霊も一緒に。」
少々上がってしまった息を整えながら、車によりかかっていた頼子さんに答えた。
この警官がここに現れた時の疲れ切った様子から、憑依した後、麓からここまで山の中を歩いてきたのだとわかった。
それにこの霊は人の体を乗っ取る際に、痛みや疲労を切り離せるほどの力はないと見えた。しばらくはこの体の中に留まっていてもらわねば。
と、頼子さんが叫んだ。
「古谷さん!!」
直後に私も感じたが、振り向くと堕ちたヘリの方角から一人の高校生らしき少年の霊が、私を目がけて憎悪の念を噴出させながら襲い掛かろうと迫っていた。
『くそじじい!! かおりに何をしたっ!!』
「この子は『かおり』さんと言うのですか。彼女は眠っているだけです!
ところであなたのお名前はっ?!」
応えながら私は胸の前で「悪霊退散」の「印」を指で空を切りながら次々に繰り出す。「護符」や「印」とは、それそのものが一つの霊体エネルギーだ。それ自体は通常人畜無害ではあるが、祓うべき対象には嵐の海のように、灼熱の太陽のように波動となって反応する。
少年の霊は彼と私の間に聳える見えない壁に衝突したように歪み、弾き返された。
が、反動は私にも容赦なく襲いかかった。「印」の霊体エネルギーとはすなわち、術者のものであるからだ。
意に反して私の身体は悲鳴を上げ続けていた。そして、ついに両膝を地に付けてしまった。
「古谷さんッ!」
頼子さんが私に声をかけたが、それをかき消すほどの絶叫を上げた彼は、一度四散しかけた霊体をようやく一つにまとめながら私を睨む。
『ふ……ふざ……けんな? じじい。 何者だよ? てめえ。』
加減はした、つもりだ。兄者に言わせれば「ぬるい」と、また叱責されよう。
だが、まだ終わりではない。
「どうやらあなたも、お名前をお教え下さらぬか。
だが先ほどのヘリを落としたのは、あなたですね?」
よほど警戒しているのか彼は今度は間合いを詰めることなく、私の周りを浮遊する。
『へっ。あんたの真上に墜とすつもりだったんだがな。
どうせ素人の俺にゃ操縦なんか、できやしないさ。
でもあんたはどうやら、その筋の素人って感じじゃ……ないよな。』
彼は今度は宮前氏か頼子さんを狙う気だ。
だが、今は一度にお二人を守るための「印」は繰り出せぬ!
私は咄嗟に【この場で一番に守るべき宮前氏】の前に倒れ込むように飛び出した。
彼はほぼ同時に嘲笑した。
『じじいッ! ボケてんじゃねえのかッ?』
そして彼は私の読みどおり、頼子さんに向かって行く!
私はすかさず先の「印」を結んだ。
少年の霊を、頼子さんの間に挟むように。
「頼子さんッ!!」
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