第十話 掌内頼子(しょうない よりこ)
頼子さんを抱きかかえ、再び私は朝日の差し込む社の中へと戻った。いずれ下も騒がしくなるであろうが、時にここに身を寄せるしかない。
疲れ切った様子ではあったが、心配そうに頼子さんの顔を覗き込む後代さんに、気を失ってるだけだと告げ、そっとその小さな体を下ろす。
そのまま頼子さんの前に腰を下ろした私に、兄者は低く響く声で問う。
『お主、あやつを逃したな?』
「ええ。ですが、この子の体にずっと閉じ込めては、この子にとって危険です。」
そう答えたが、兄者の声音に表れていた不服はもっともだ。
『……然り。されど
『私は!』
兄者の言葉を後代さんは遮った。そして苦し気に眉を寄せた。
『リンのしていることは、間違ってると思う。
でも、あんなになっちゃった気持ちって、
どんなだったかなって思うと……わかる気もして。
できればリンとは、戦いたくはないです。』
それは、私も同じ思いだ。まずは止めさせることを考えたい。
が、兄者は尚も戒める。
『後代、敵に情けは無用じゃ。
聞く耳を持たぬリンにとっては余計なお世話じゃ。
利いた風な口をきくな、とな。』
『そうですね……安っぽい同情だって、リンは怒るでしょうから。
でも、だったらなおのこと、
あの子を止めるために、私はもっと強くならなくちゃ……。』
後代さんが俯いて呟いたその時、寝かせていた頼子さんが静かに目を開けた。いきなりこのような場所にいたら、動揺するに違いない。
どう話したものかと一瞬迷った時、彼女はごく自然に後代さんに声をかけた。
「あ。後代さん……。」
『頼子さん、大丈夫?
あ、こちらは古谷さん。私の知り合いだから安心して。』
後代さんの紹介に小さく頷くと、彼女は会釈した私の顔をまじまじと見上げた。
「あの、さっきはありがとうございました。」
「え?! リンに憑依されていながら、意識があったのですか?」
なんということだ。あの強力な霊力を持ったリンに憑依されたら、意識など完全に飛ぶはずだ。
「ん……そういうのかどうか、よくわからないんですけど。
紗枝さんの桜に行こうとしてたら、いきなり裏山に炎が上がって……。
びっくりしちゃってたら、突然あの子が目の前にいて……。
でもその時、紗枝さんの声が聞こえた気がしたんです。
『じっとしていな』って。
それで。」
頼子さんに続き、後代さんは私に説明を加える。
『紗枝さんって、頼子さんを守っていた幽霊なんです。
今はあの桜で眠っています。
でも声が聞こえたっていうのは……。』
少し眉を寄せ疑念を表した後代さんに、兄者は即答した。
『気のせいではあるまい。
この娘、毎日のようにあの桜に飲まれた霊に語りかけていたとすれば、
心は通っておるのかも知れぬ。』
すると頼子さんは後代さんを見つめ、尋ねた。
「あの……後代さんの横の、その大きな方は?」
「『え?!』」
『儂が……いや、儂、本来の姿が見えておるのか?』
なんといういことだ。私と後代さんには兄者は刀としてしか見えておらぬのに!
三人して驚きの声を漏らしてしまったが、一人頼子さんは不思議そうに小首をかしげる。
「目をつぶって、なんで刀に乗ってるのかなって……変なおじさんだなって。」
『誰が変なおじさんかっ!! 儂の名は幻宗じゃっ!!』
「うわあああッ! す、すみませんっ!!」
兄者の叫びに、半泣きになって怯えた頼子さんは私の背後に隠れた。
「兄者、怖がらせないでください。」
『むううううッ。』
心外そうに唸る兄者はそのままに、振り向き彼女をなだめる。
「心配せずとも大丈夫です。
しかし驚きましたね。
あなたは鋭い霊視能力をお持ちのようだ。」
『それも私達以上の……。』
旧知らしい後代さんまでも、ため息を漏らした。
すぐに落ち着いた頼子さんは、私の隣に並んで正座し、後代さんとその横の刀に向き合った。座ったことでさらに小さく感じる彼女は、我々の顔を見渡すように言う。
「あの……それで私。
どういう子かわからないけど、体を取られていた時、
あの子の心、覗いちゃったんです。
そういうの、なんだかわかっちゃって。」
「なんですと?!」
「あの子、リンさん……ですか?
ん……こんなこと言っていいのかな……。」
急に戸惑ったように、彼女は後代さんの顔を上目遣いに見上げた。
『大丈夫よ。
今はあの子のこと、どんなことでもいいから知りたいの。
教えて? 頼子さん!』
「ん……。はい。
あの……後代さんのこと、
妬んでるっていうか、羨ましがってる感じで。」
『はああ?』
「あ、違うかな……やきもちかな?」
『えええ?』
頼子さんが言葉を選ぶ度、後代さんは驚きの声を上げる。少し、間を置き、頼子さんは言葉を整理するように目を閉じていたが、すぐにまた我々を見上げた。
「あの子、気持ちがすごくごちゃごちゃ入り混じってたんです。
なるべくあの子が最近感じてたこと、順番に話しますけど……。
あの……雨守先生、また入院してるんですか?」
『またって……うん、まあ、うん。今もね。』
苦笑いをしながら後代さんは答えた。
「それにはなんだか、意地悪く思ってる感じでした。
せせら笑うような……うん、いじわる。」
一瞬、後代さんは凄まじい形相になり舌打ちをしたが、すぐ気持ちを鎮めたようだ。
『ふぬぬ……それで?』
「後代さん、今、あの子と戦ってるんですよね?
なんだか、それを楽しんでた感じ……だったんだけど。」
『どうしたの?』
不意に彼女は隣の私を見上げた。
「古谷さん、ばっかり。」
「え?」
「あの子とどこかのお寺で会いましたか?
それからずっと、古谷さんのこと、ばっかりです。
古谷さんがここに、後代さんに会いに来るって、それでやきもち、かな?
あ、やっぱり……です! これ!」
「どういうことですか?!」
突然名を上げられ狼狽したまま問う私を、頼子さんは落ち着いた表情で、まっすぐ見つめる。
「古谷さん、いつも真剣な目で見つめてたんですね。
それにとても丁寧な言葉で。
多分あの子……リンさん。
古谷さんのような人に出会ったの、初めてだったんじゃないかな。
古谷さんと会うの、楽しみにしてたみたい。
だから……私から出ていくとき、泣いてました。」
私にはどういうことかわからずにいると、唐突に後代さんは、まるで気が抜けたように言った。
『古谷さん……。私、リンのそれ、わかっちゃった。』
「なんですか? 後代さん!」
すると後代さんはポツリと一言だけ答えた。
『ツンデレ。』
「どっちかっていうと……ヤンデレ?」
頼子さんは言い換えたが、二人は澄ましてそんな言葉を口にする。
「一体なんなのですかっ?!」
わけがわからず大きな声を出してしまった私に、兄者は抑揚もない声をかけた。
『お主も後代やその頼子殿とともに居る時間が長くなれば嫌でもわかろう。
どうやらやっかいな女に、お主は見込まれたようじゃ。』
「はああ?」
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