第九話 爆風
少女は確かに私の名を呼んだ。やはりリンが憑依している。一瞬、笑った気がしたが、この状況でそんなはずがあるものか。
地を蹴った勢いのまま少女に覆いかぶさり地に伏せる。
「目を閉じ口を開けてッ!」
次の瞬間、私の背中の上を猛烈な勢いの風が吹き抜ける。正に爆風であった。
どうやら後代さんは私達への直撃を避けてくれたようだが、それでも私の体を掠めながら、粉砕された木々の破片が轟音を上げ、嵐のように飛んでいく。
が、それは一瞬のことであった。しばし後、体は伏せたままゆっくりと顔だけ上げ、辺りを見渡す。
まるで何事もなかったかのように……いや。
すぐ目の前にあった桜が丘高校の校舎は、裏山に面した窓ガラスは全て割れ、一部壁が崩れ堕ちていた。さらに私の周りは辺り一面地肌が剥き出しになり、聳え立っていた木々も参道もなくなっていた。
まだ焦げ臭く、熱い空気が立ち込めていたが、振り向くと遠く小さな社が見えるだけになっていた。
まさか、後代さんは結界の中からこれだけの破壊力を発揮したというのか。改めて驚き……というよりは恐ろしささえ覚える。
しかし、後代さんの姿は見えない。とすると今は社の中……体を休めてるということか。後代さんも、相当な霊力を振り絞ったのだろう。
少女はと、腕の中に視線を落とすと、肘をつき上体を起こした私の腕の中で、彼女はじっと私を見上げていた。心なしか少し震えている。
私も彼女を見つめ、問う。
「怪我はありませんか?!」
「え……?
ああ……この子が、そんなに心配?」
少女に乗り移ったリンは、弱々しく答えた。
「それは勿論ですが、あなたもです。リン。」
「え?」
リンが少女の体を強張らせたのが分かった。
「ここに来るまでの私の無様な姿は見えていたでしょうが、
今の強い霊波を帯びた衝撃は、あなたにも予測できなかったはず。
まともに受けたら霊体など無事ではすみますまい。
あなたでさえ、その体に憑依していなければどうなっていたか。
後代さんと戦うのはおやめください。
もう、わかったのではありませんか?」
だがリンは顔を横に逸らし、小さく呟いただけだ。
「縁……まさか『闇』を、こんな風に使うなんてね。」
全てを吸い込んでしまう、いわばブラックホールのような『闇』の力を反転させて使ったというのだろうか、後代さんは?
すでに後代さんの力は私の想像をはるかに超えている。
通常ならばリンに『闇』は効かない……が、リンは今、明らかに弱っている。これは後代さんもきっと、思いもしなかった結果であろう。
「古谷。なぜ……私まで……助けた?」
リンは再び私をまっすぐ見上げた。
「私には、あなたが何を考えているのかわからないからです。」
恐らく私は苦い顔をしていたに違いない。リンはそんな私に、あどけない微笑みすら浮かべ、小さく首を傾けた。
「知ってるはずよ……私はこの世界を終わらせたいの。
現に、今朝この星の裏側で、
私の同志が引き起こした内乱で、一つの国が崩壊したわ?
それにこの国でも、私が誘った生きた人間には、
生まれ変わったほうが楽になれると考える者は後を絶たない。
その魂は体を捨て、私の同志となる。
そして空いた体には別の同志が乗り移り、
これも世界の破滅に有効に再利用する。
素敵じゃない?
そして四神も間もなく揃う。
古谷……私の願いはいずれ叶うわ。」
「確かに。
四神が崩壊しようとしている今、最初から私達に勝ち目はない。
ですが、それで本当にあなたは満足なのですか?」
リンは半ばひきつった笑いを浮かべた。
「いきなり何が言いたいの?」
「あなたは十七年前に死んだと言われましたが、
今、転生していないのは何故です?」
「そんなの、この世界が嫌いだからに、決まってるじゃない?
私は自分の意志で転生をやめたのよ?」
リンの顔は、それまでの弱り切った表情から一変し、憎しみの念に眉を歪めた。
「私を愛してくれた人が、いつも周りからそしられ、その苦しみから私を殺した。
そんなことを繰り返させる世界なんて、好きになれるわけがないじゃない!」
段々激昂しながら私の腕の中で目をむき、頭を激しく振る。が、それに構わず私も語気を強めていた。
「そうならないかも知れないじゃないですか!」
どう見ても十六歳くらいの少女に、馬乗りになったまま、恥も忘れて声まで大きくしていた。が、リンも肘で身を起こすように、私の顔に自分の顔を近づけて更に叫ぶ。
「そんなの信じられるわけないじゃない!
私は二千年も同じことを繰り返されたのよっ?!」
さっきもそうだが、繰り返……された、だと?
被害者意識はわからぬでもない。が、リン自身はどうだったというのだ?
負けじと私はさらに問いただす。
「次の世界を信じられないと言うならば、
その世界で出会うであろう人も信じられないということですか?」
「当然でしょう? 事実、そうだったのだもの!!」
これほど頑なに。
だが、どうにも我慢がならず私はリンに訴えていた。
「あなたは何度も何度も同じことを繰り返していたのですよね?
次の世界で出会う人を信じられないことも繰り返したんですよね?
それなのにどうしてあなたを殺した人のことは信じられたのですか!!」
と、突然、リンの表情が強張った。
「私に声を……かけてくれたから……私は……信じていたわ……。
今度こそ……今度こそ、幸せになるって。」
それがリンの、本当の願いだったのではないのか?
「幸せになりたかったのですね?!
では、あなたが相手をそう信じていたとしても!
その人はあなたの喜びや悲しみ、
それを一緒に笑ったり、泣いたりしてくれましたかッ?!」
「して……くれ……たわ……よ……?」
答えながらもリンは困惑した目で私を見つめる。
「そんな……そんなこと、き……聞かないで……よ。」
既に途切れ途切れになったリンの声は、震えていた。
「いいえ、大切なことです!
どうか真実に目を向けて下さい!
その人はあなたが死んだ時、悲しんでくれましたか?!
あなたなら、それも分かったはずですよねッ?!」
つくづく私は、腹黒く、残酷な男だ。
リンにとって、そんなはずはないのだ。
最初に彼女が愛したという「帝」は、四肢を断たれた彼女のことなど気遣いもせず、神を畏れぬ子を宿してくれたと、ただ狂喜していたに違いないのだから。
そして彼女の言うように同じことが繰り返されていたのなら、その後の世で出逢った男達もきっと……リンに人並みの幸せを分かち合うことなど、考えたはずがない。
既にリンの瞳は、動揺を隠すこともなく左右に揺れていた。
「悲しんでく……くれた……わ、よ。
え……?
よ、喜ん……でた……?
どっち?……どっち?……。」
と、その時、社から私を呼ぶ後代さんの声が響いた。
『古谷さーん! 大丈夫ですかーっ!!』
「大丈夫ですっ!
そこでお待ちを! この子も無事です! すぐ参ります!!」
叫び応え、すぐにリンに向き直る。
「リン、どうかこの子から憑依を解いて去ってください。」
「え?」
リンは私の言葉が信じられないようだった。
「今のあなたに、勝ち目はない。
ですが後代さんもきっと、あなたを消し去りたくはないだろうと思います。
もう、やめていただけませんか?」
「古谷、それ……誰のために言ってるの?」
なにかにすがるような目を向けるリンに、私は冷たく答えた。
「後代さんにはあなたからの伝言など、私は伝えてませんよ。」
「なによ……やっぱり、縁のためなんじゃない。」
「いいえ!
私は人の悪口など伝え広めるような真似はしません。
それは誰のためにもなりませんから。
あなたのためにも!
ですが今はこの子のために、どうか立ち去ってください。」
じっと、瞬きもせず私を見つめていたリンは、ふっと顔を逸らせ、呟いた。
「古谷……あなたなんて……大嫌い。」
リンの目には、なぜか涙があふれていた。
「構いませぬ。
ですが、あなたと私の関りは切れませぬ。
おやめくださらぬ限り、私はあなたを放っておくことも致しませぬ。」
すると驚いたように目を大きく見開いたリンだが、何も答えることなく、頼子さんの身体から出て行った。
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意識を失った頼子さんの、小さな体を抱きかかえる。
肉離れを起こした両の足が痛むが、私は振り向き、社へとゆっくり坂を上りだした。
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だいぶ前作、雨守シリーズの登場人物が関わっています。
非常勤講師、雨守の霊能事件簿。
第二十五話 なりすまし①~⑤までをおさらいしていただけると、尚わかりやすいかと思います。
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