第八話 炎上

『森の入り口から火がどんどん上に燃え移ってきています!』


 後代さんの叫びを受け飛びついた格子戸から見るに、燃え盛る炎の帯は確かにすぐそこまで迫っている。

 だがなぜ今の今まで気がつかなかった? そうか、リンのことだ。時を操り、私達の目から見れば瞬間的にこれだけの火事を作り出したということか。


『小賢しいのう。山ごと燃やしてここの結界を破る気じゃ。』


 冷静な兄者とは対称的に、後代さんは目を見開いて私を見る。


『私達は大丈夫でも古谷さんが死んじゃいます!!』


「それが狙いでもあるのでしょう。」


 が、それならなぜ私をここに寄こした?

 タクシーの中でもそうだったが、今まで私を殺す機会は十分にあったはず。この火にしても、森の端から燃やすようなことをせず、この山一帯を一気に火の海に沈めることも出来たに違いない。


 まさか、本当にあんな伝言を後代さんに届けさせるためだけに……?


『私、消して来ます!』


「待ってくださいっ!」


 呼び止めた私に、驚いたように後代さんは振り向いた。


「リンは後代さんが結界から出てくるのを待っている。

 今はまだ、後代さんの力をリンに示す時ではありませんっ!」


 後代さんの剣技は兄者に仕込まれたとはいえ、切り札としていた『闇』はリンに通用しないと言う。それは彼女もよく理解している。


『でも、急がないと古谷さんが!』


『ここは一つ賭けてみるか。』


「『え?』」


 落ち着きはらった兄者の声に、私と後代さんは二人、床の刀を見つめる。


『後代よ。

 リンとて時を完全に静止させているわけではない。

 お主が速いか、あやつが速いか。

 その違いだけじゃ。』


『私、やります!』


『だが闇雲に討って出てはならぬ。あやつ、今どこにおるのか。』


 結界が仇となったか。リンが近づいてこない限り、こちらからも正しい位置はつかめぬ。


『古谷さん! 幻宗さん! 大変っ!!』


「何事ですか?」


 後代さんの唐突に慌てた様子に驚いてしまった。


『今、上空から見たらリンがっ!!』


 なんということだ。

 後代さんは私と兄者が気づかぬうちに今、動いていたのか?! 彼女は身を乗り出して私に顔を近づけ、溢れる言葉に我を忘れていた。


『桜っ! あの桜っ! 登校坂っ! 頼子(よりこ)さんがっ!!』


「落ち着いてくださいッ!!」


 胸に手を当て肩を激しく上下させながら、本来していないはずの息を整えるように彼女は言う。


『リンが、登校坂にいて!

 頼子さんが、リンを見てしまって!

 それでリンがっ!!』


「こんな時間に?

 登校してきた生徒がいたんですか?!」


 まだ六時前だ。なぜこんなに早く?! 後代さんは声を詰まらせ、続ける。


『頼子さんは霊が見える子で、あの半分に折れた桜の世話をしているんです!

 朝、友達と会う前に桜に……桜に吸われた紗枝さんの霊に

 話しかけに行くのが日課になっていて。

 それで!』


「まさかリンはその子に憑依を?!」


 私の問いに何度も頷きながら彼女は答える。


『私が見たのは二人が向かいあってたとこですが、きっと、もう!』


 一瞬の中で自由に動いていた後代さんにとって、すべては静止した写真のように見えていたのだろう。


『その者を人質にする気か。

 後代が出てゆかねば、その子を焼き殺す、というつもりじゃな。』


『そんな!』


 兄者の読みに、再び後代さんが飛び立とうと身構えたその刹那。私は叫んだ。


「お待ちくださいっ!!

 後代さんの気持ちを乱そうという狙いもあるはず。

 今飛び出してはなりません。

 その子は、私が押しとどめます!!」


 後代さんの前で老体を晒すのは申し訳ないと感じつつ、鎖帷子を脱ぎ棄てた。


『頼子さんにはリンが憑依したままなんですよ?!

 それにあの火の海をどう越えるんですか?!』


 後代さんの切羽詰まった声を背に、改めてワイシャツを着、上着を羽織りながら格子戸を開け外を見渡す。肌を焼くような熱気は、もうここまで届いている。


「参道はまだ、どうにか走り抜けられそうです。」


 そしてネクタイだけポケットにねじ込むと、まだ心配そうな顔を向ける彼女に振り向いた。


「……どうか、天女のご加護を。」


『天女じゃないですぅッ!』


 眉を寄せ困ったように叫ぶ彼女に、兄者は言う。


『では儂らは火を消そう。後代よ、さきの技の応用じゃ!』


 そして兄者はすっと自身の魂を収めた刀を宙に浮かせ、後代さんの背後に回った。

 あの技?……ここで私が見た技のことであろうか?


 後代さんはまだ眉をひくひくと動かしながらも、意を決したように力強く頷き、私を見つめた。


『古谷さんが火を通り抜けたらやりますっ!

 巻き込んじゃいけないから、なんとか避けますけど、

 念のため衝撃に気をつけてくださいねッ!!』


「ええ。」


 靴紐を締め直し、私が走りだすと同時に後代さんは兄者ともども姿を消した。


 これだけの火だ。これをどう消そうというのか……衝撃と言ったな?……そうか爆風か!

 確かにそれでしか消すことはできぬが、それをどうやって後代さんは生み出そうというのか?


 ここで最初に見た彼女のあの技。杉の大木を粉砕し、消滅させた……が、あの技には周囲への衝撃などなかったはず。恐らく兄者直伝の抜刀術で木を粉砕し、雨守君同様に「闇」を繰り出し、粉々にした破片を一気に吸入したのだろうが。あれをどう応用するというのか?


 ちらと好奇心からそんな疑問が浮かんでしまったが、私は玉砂利の参道を駆け降りる。匍匐前進と呼ぶよりは、その様はまさに獣だった。両足は腿が体に当たる程、疾く大きく地を蹴り、前脚の如く掻き続ける両手には既に熱を帯びていた玉砂利が張り付くようだ。焼け落ちてくる枝が肩に当たるが構ってはおれぬ。


 この体の骨は軋み、脚の筋肉は骨から剥がれていくのがわかる。

 が、なぜだろう。

 そんな痛みなど忘れてしまっている。

 この瞬間、確かに生きていると感じる、懐かしい高揚感に包まれている。

 あの前世の、死の間際に感じたように。


 そして私が火の森を抜けようという時、反対に今まさに森に身を投じようとする小さな少女がそこに見えた。

 あの子だ!


「古谷っ?!」


 少女は飛び掛かる私を見るなり叫んだ。

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