第七話 兄者
『ここの主は後代じゃ。遠慮はいらぬ。』
『そうは言っても、やっぱりかしこまっちゃいますよねぇ。』
私たちは天女……後代さんが祀られた神殿に上がり、そこで話をすることとなった。四畳半ほどの板の間の中央、後代さんには上座について頂く。正座した彼女は兄者の刀を、私との間に静かに置いた。
私の背後の格子戸からは、かすかな月明かりが差し込んでいる。彼女の背後の、ご神体とされて置かれた円鏡が、ぼんやりと私だけを映していた。
雨守君は後代さんにも話すようにと言っていたが、今や彼女と兄者は常にともにある。否応なしに聞いて頂くことになるが。
この連休からの出来事を二人に話し終え、しばしの沈黙ののち。
その後代さんが困ったような笑顔を見せた。
『あの~。よくわかんないんですけどぉ。
四神っていつ、誰が、置いたというかセットしたというか……。』
『そこから話さねばなるまいか。』
兄者が静かに語り始めた。
『儂ら一族の祖によるものだが、それは仏教伝来よりも以前のことじゃ。
この国は冒されておった。
飢饉、大地震に火山の噴火。そして大津波。
それら中心に横たわる「大蛇」を鎮めん……とな。』
『仏教伝来って、ごさんぱい……え! 一五〇〇年くらい前?!』
「日本史はお得意で?」
驚いた後代さんの顔を伺うように覗き込んだ私に、彼女はまた苦笑いで答える。
『どっちかというと美術史絡めて世界史の方が好きで~。
でも538年っていうと、古墳時代ですよね?』
彼女の問いに、兄者は答える。
『お主のいう「せいれき」という暦も「こふん」という名も、
後世の者が名付けた故、わからぬが……。
後代よ。お主の世の「日本史」には書かれてない歴史があるのじゃ。』
『ええッ?』
またも驚く後代さんをよそに、私は床の刀を見つめた。
「兄者……私は我が一族の祖が帝を暗殺し、
別の帝を立て今に至ると聞いていますが。」
『うむ。それが四神を置く、わずか数年前のことじゃ。』
『あああ暗殺? さ、殺人じゃないですかッ?!』
『確かに、殺人じゃな。
が、その帝は生まれながらにして狂っておってな。
大勢の罪もなき民を虐殺した男じゃ。』
『ぎゃくさつ……そんなの習ってないです。』
「それ故、代わりに聡明な方を帝の系譜から別に立てたのです。」
事実、権力の系譜でもある。どのような人物であれ「帝」を暗殺した。そんなこの国の根本を揺るがしかねない業を、我が一族は背負ってきたのだ。ふとそんな暗澹たる思いにふけっていたが、兄者の声で顔をあげた。
『ところで。
儂は、ここに移ってから、後代があの女と話したことを聞いたのじゃが。』
「どうされました、兄者?」
『兄の儂のみ聞かされておることじゃが。
その帝……四肢のない巫女から産まれたのだそうじゃ。』
『それは?!』
はっと顔をあげた後代さんに、兄者は答えた。
『うむ。最初に転生したリン……じゃな。』
よもや、まさかと思ったがやはり。
リンが愛したという帝の子を、我らが祖は暗殺した。それが私のリンに対する「うしろめたさ」になっていたのだ。
すると後代さんはいきなり目を見開き、前かがみになって口元を抑えた。幽霊であれば、もう「ものを吐く」ことなどはないが。生前の感覚で彼女は今、堪えようのない嫌悪感を抱いたに違いない。
「大丈夫ですか? 後代さん。」
口元に置いた手をそのままに、彼女は少し、震えながら答えた。
『は。はい。
でもリンはその時、帝に殺されたと言ってました。
彼女の口からは、子どもを産んだなんて言葉は一切出てませんよ?』
『その時魂は死んだのであろう。
ただ、抜け殻のようになった体に、子は宿っておった。
その子を産ませるためだけに、体のみを生かしておった。
つまり、父子二代に渡って時の「帝」は狂っておったということじゃ。』
感情もなく冷たく響く兄者の声に、後代さんは涙を浮かべていた。
『酷い。
そんな男に愛されていたってリンは言ってたけど、そんなの愛なんかじゃ。』
『うむ。
リンは恐らく、その後の転生でも同じように狂った男とばかり出会った。
誠の愛など、知らぬであろうな。』
「実の親兄弟からも、同じような仕打ちを受けたようですからな。」
祖父に、父に、兄に犯され……か。聞かされる方もやるせない気持ちにしかならないが、当のリンはどうであっただろうか。慈愛の人であったのか。
いや。兄者の言うように、ただ愛を知らぬが故、操られてしまった愚かな子、ということだろうか。
『儂ら一族は、その後も同じように汚れ役に徹した。
そしてこの村に訪れし時も。』
ため息を交えて呟いた兄者に、後代さんは尋ねた。
『ここで幻宗さんと古谷さんは、前世で亡くなったんですよね。』
そう。今この社が建つ、まさにここで私達は前世を終えた。
『既に武家が政(まつりごと)を担っておったがのう。
この地にあった城主が死霊に操られ、狂い、南下して領地を拡大すると見せ
その実、四神の一つである朱雀の破壊を目論んだのじゃ。
それ故、儂らが城主を。』
『もしかしたらその時の城主も、
リンに関わったか、操られていたのかも知れないですね?』
『そうか! 今更ながら、合点がいったわ!!』
後代さんの思い付きに、はっと目が覚める思いを抱いたのは兄者だけではなかった。やはり、私達とリンの因縁は深い。
が、そう言えば……。
「この村での戦と言えば、兄者。
私はここで死んだ前世の記憶しかありませんが?」
リンは私が四、五回は転生していると言った。すると兄者は、何でもないように答えた。
『不遇な死に相い対した時の記憶だけ、残るものじゃ。
あれからどれも死に際は穏やかであったからのう。忘れておるだけであろう。
お主の転生は五回。
あの戦で死んでから、今は四回目の転生じゃ。』
『あれ?
でも幻宗さんはその戦の後、転生しないで幽霊のままなんですよね?』
「あと一回……とは?」
後代さんと私はほぼ同時に疑問を口にしていた。
『そもそもあの戦の前に、お主と儂は双子として生きておった。』
「『ふ、双子ッ!!』」
後代さんと二人、またしても一緒に声をあげる。
『二人の力を合わせれば、文字通り無敵であった。
儂がこのような姿に身を変えることもなかったであろう。
が、最初の転生で十八年も生まれが離れてしまったからのう。』
「それで、まさかその後兄者は自身の転生を捨て、私のために?」
『十八年で済めばよいが、行きあえなくなっては一族に顔向けできぬのでな。』
『それで兄弟なのに、守護霊に。
なんだかすっごく強くて深い絆ですね。』
静かに微笑んで私を見つめる後代さんは美しく、本当に、まるで天女のように思えた。
それほどまで、私は兄者に。今更ながら嬉しさに胸が熱くなるとともに、こんな思いを一度も感じたことはないであろうリンが、憐れに感じられてならなかった。
それは後代さんも、同じだったのかも知れない。
俯いて顔を逸らせたが、また涙が頬を伝って流れていた。
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明け方まで仮眠を取らせて頂いていたが、まだ外がようやく白みだしたかという時、後代さんに起こされた。
『古谷さん!
学校の裏に火が!!
この山が焼かれようとしています!!』
「まさか、リン?!」
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