第六話 後代 縁

 勝手知ったる桜が丘高校の敷地を横切り、裏手の社へと延びた、小さな玉砂利に整えられた小径を進む。

 一歩裏山に入ると、もう街灯など当然のようになかったが、木々の間から射すわずかな月明かりさえあれば、私には十分だった。

 周りの草むらからは私の砂利を踏む音をかき消すほどに、虫の声が響いている。この辺りに巣食っていた死霊どもがいなくなったせいであろう。


 時間にして二十分ほど登った場所に、腰の高さほどの柵に囲まれ、新たに建てられた社があった。私がこれを見るのは初めてだが、まだほのかに材の木の香りが残っているようだ。簡素にして美しきその社は、村人の心が込められたもの、という印象を受ける。


 彼らは、この山の魔物を追い払った天女がここに降り立ったとして、祀っている。その正体が後代さんであることは、我らの胸の内にのみ、秘められたことであるが。


 その柵に沿って周り、鳥居代わりの二本の柱の間を通る。ここからは結界だ。リンにとっては、恐らくこの辺り一帯は漆黒の球体にしか見えていないに違いない。何かある、とわかっていても、リンに手を出すことはできぬ。

 それ故、私に後代さんへの伝言を頼んだのだ。この先を行かせてくれることまでは身の安全が保障されていることに、間違いはない。


「兄者! 後代さん!!」


 周囲を見回すように呼びかける。が、返事がない。


 社の裏手に回ってみようと歩きだし、ふと、リンの態度が突然豹変したことを思い出す。

 あれは一体なんだったのだろう。それに後代さんに対しあのような言葉を吐くのは、敵対していれば当然のことであろうが、それをなぜ、わざわざ私に。


 雨守君はリンも十七歳の子どもだと言ったが、私には到底そんなふうには受け止め難い。よしんば彼の言葉を受け入れたとしても、十七歳の子どもにどう接すればよいかなどということは、私にはわからない。


 現世で県教委に勤めていたとは言え、それはいわゆる行政畑。また良妻に恵まれたが、二人の間に子はできなかった。だからというわけではないが、子どもと接することがほとんど私には皆無だったのだ。


 せめてリンの言動にその変化が伺える時、つぶさに見ていかなければ。……それも、リンがまた私の前に現れたら、のことであるが。


 社の裏手はテニスコート一面程、開けた空間があった。そこには柵はなく、裏山の杉の木が代わりに壁のように並んでいる。


 だがそこにも誰の姿もない。


「兄者! 後代さん!!」


 改めて周囲の木々を見渡しながら呼びかけた時だ。

 目の前の、まっすぐ天を突くように立っていた杉の大木が!

 突如、縦に真っ二つに割れ、数回瞬きをした後にはまるでシュレッダーにかけられた紙のように細かく中空に粉砕されていた。

 あっと声を漏らした次の瞬間には、そこにあったはずの大木が、根元からきれいさっぱり微細なおがくずすら残さず消滅してしまっていた。


 正直なところ、まるでフィルムのコマが飛んだ映写機で映画を見ていたようで、何が起きたのかすら理解できていない。


 すると、突然目の前に後代さんが!!

 鞘に収めた刀を左手に握り、ゆらり、と立っていた。

 一瞬、本当に彼女なのかと、私は見つめたままになってしまった。


『古谷さん、こんな真夜中にどうなさったんですか?』


 顔にかかった前髪を、刀を持たぬ右の指で上げると、彼女は大きく開いた澄んだ瞳でまっすぐ私を見つめた。

 よく透る声の余韻が、まだ耳元に残るかのようであり……年甲斐もなく、その美しさにため息が漏れそうになった。


 が、どこか容貌が違いはしまいか?

 そうだ。

 十日程前、雨守君の意識が戻ったことを知らせに来てくれた時とは明らかに違う。


 髪が……腰のあたりまで伸びていたはずの髪が、今は肩にかかるか、という程に短くなっていたのだ。

 幽霊なのに、そんな変化が?


『ああ、これですか?』


 私の表情で察したのであろう彼女は、軽く髪を揺らして静かに微笑んで見せる。


『長いとなびいた時、邪魔になるんですよ。

 あとは色々と気持ちの問題かなって……。

 私、幽霊ですから、死に変わった気持ちで行こうと。』


 生まれ変わった気持ちで、ということだろうか。

 口調は今までとそう違いはないが、後代さんは、やはり……覚悟が違う。


 と、今は刀にその魂を収めている兄者の声が響いた。


『驚かせたな。

 無理もないわ。

 共におった儂が一番驚いておるからのう。』


「先ほどまで、まったく姿が見えませなんだが……。」


『それはな、後代の動きは時の流れを超えておったからじゃ。』


 すると彼女は左手を上げ、目の前にかざした刀に向かって口をとがらせる。


『だって一刻も早く幻宗さんの技を習得しなきゃじゃないですか?

 私みたいなずぶの素人が、

 普通にやっていたら絶対リンに敵うはずありません!!』


「そ、それで時を?」


『無我夢中で……。

 いつの間にか、できちゃいました。

 まだずーっと続けられるわけじゃ、ないですけどね。』


 はにかんで彼女は言うが……。

 正確には、時の流れよりも遥かに速く動くことで、無限ともいえる時間を生み出し修行していたということか。兄者によれば、ここで過ごした時間は外界の十年には相当したのではないか、ということだった。


『儂の抜刀術を会得したのみならず、時の流れをも超えたらもはや反則じゃ!

 卑怯じゃ!』


『ひどーい!

 幻宗さん、まだまだ甘いわッもっと出来ようッて散々煽っておいて!!

 それはないですよ~ぉ。』


 人にできることなら自分にも、と素直に信じて疑わぬ後代さんだから成しえたのだろうか。雨守君の病室にリンが現れた時も、彼女だけは動くことができていたと聞く。

 が、彼女は急に表情を厳しくし、俯いて呟いた。


『でも、まだ全然ダメです。

 リンは先生の「闇」を体に受けても、なんともなかったんですから。』


 彼女は先日よりも大きく成長しているのに、奢ることもない。その己に向ける厳しさが、その容貌を少し大人に見せていたのだろうか。


 ますますもって十七、八の少女の心……その変化など、私には到底理解できぬと押し黙るほかなかった。

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