第五話 つづら折りの坂
もう二十二時になるだろうか。日付の変わる前に、私は出かけることにした。
せめて夜が明けてからと、付き添い人用の折り畳み式簡易ベッドを渡瀬さんに勧められたが、それは断った。その幅の狭いベッドで毎夜休む彼女は、決して疲れなど取れはしないであろう。それをお借りするのが忍びないだけでなく……。
彼女が言っていたささやかな幸せを、邪魔したくはなかった。
夜間出入り口の前に止まっていたタクシーに近づき、覗き込みつつ助手席の窓を軽く叩く。私と同年齢くらいの運転手が慌てて起き上がり、後席のドアを開けてくれた。
「〇〇村の桜が丘高校まで、お願いします。」
この病院と桜ケ丘高校は、県南部の中心を南北に連なる山々を挟むように、どちらも南端寄りに位置していた。あの村へは高速道も通ってはおらぬし、幹線道路・鉄道も一旦県の中ほどまで迂回することになってしまう。峠を越えて行くことになるが、登りも下りもつづら折り、それも夜の峠道。ドライバーにはご苦労をかけてしまうが、ゆっくり行っても日付の変わらぬうちには着けるだろう。
すでに街は闇に包まれ、だんだん街路灯もまばらになっていく。タクシーのヘッドライトが照らし出す道だけが視界にあった。そのシートに深く身を沈め、目を閉じ、改めて四神のことを思い浮かべる。
N県は明治維新の廃藩置県後、南北に長い地形として統合された。その東西南北の端に、四神はある。今のN県の形がちょうど「大蛇」を鎮めるには最適の形ともなったのだ。
現世において私が県教育委員会に務めていたのも、そもそもはN県重要文化財に指定されている四神の【表向きの姿】を、一元で管理できる組織であったからに他ならない。もっとも転生の後、表向き如何なる生業に就くのかは、兄者と相談したものだったが。
我らの四神と関わりは、我ら一族の歴史でもある。まさか四神がリンの四肢の一つまで封じていたとは、知らなんだが。
そのリンは、私が転生を四、五回はしてる、と言った。
今の私は兄者によって転生させられたが、私にはあの乱世に生きた十四年しか、前世の記憶がない。もしやあれから今に至るまで記憶がないだけで、実は転生を繰り返しているのか? あるいはそれ以前のことなのか? そのどちらにしても、兄者なら知っているはず。
それに雨守君の言うとおり、私の記憶のない部分で四神以外にもリンとなにか関ることがあったとすれば。
リンの思いを押しとどめる鍵が、そこにあるかも知れぬ。
おや?
ふと、体に受ける重力の変化に気づき、目を開ける。それほど長く思索していたはずはないが……少し身を乗り出して窓外を見るに、ヘッドライトが照らす光景は峠の下り坂になっていた。
いつの間に越えた……違う!
「リン!! あなたですねッ?!」
フロントシートを掴んで私は叫んだ。時間を操られていたのか?!
「お客さん。
私、車の運転って少々できますから。
そんな大きな声、出さないでくださらない?」
運転手に憑依したリンは、ルームミラーを弄り、妖しい光をたたえた目で私を見る。
「とても安全運転とは、言えぬようですが?!」
ATシフトを下り坂用に操作したとは思えないままのエンジン音。ブレーキを踏む気がないかのように、タイヤを軋ませカーブを抜ける。ハンドルだけで、このつづら折りの坂を下ろうというのか。
車はどんどん加速していく。
「私を、ここで殺す気ですか?!」
リンは小さく笑う。
「昨日、あの女があなたを刺そうとした時は、
それであなたが死んでも、構わないと思っていたわ。
でもあなた、鎖帷子なんか着こんで、随分用心深かったでしょう?
だったら、こんな不意のつかれ方をしたら、どうなのかなって。」
シートベルトをしていたとはいえ、振り子のように左右に振り回される体を、何とか窓の上部のグリップとフロントシートを掴んで支える。
ルームミラーに妖しく光る眼は、そんな私を楽しんでいる。
「焦っているのは、昨日と変わりません。」
「そうかしら?
とても落ち着いて見えるわ?」
「では一言いいですか?」
「何?」
私はルームミラーに映る笑った瞳を見つめ、厳しく告げた。
「こういうからかい方は、やめてください。不愉快です!」
と、何故かリンはブレーキを静かにかけ、車を減速させた。急ブレーキをかければ挙動が乱れ、谷に落ちることを知っていたようだ。ギアも落としたらしい。音の高なりにエンジンブレーキが利いているのがわかる。
ただルームミラーの瞳は、もう私を見ようとはしていないようだった。僅かに安堵し、胸を撫でおろしながらも先ほどと変わらぬ口調で改めてリンに告げた。
「あなたは私をいつでも殺せます。
話しができるのならば、こんなことをしなくてもいいッ!!」
「怒らないで。」
「え?」
我が耳を疑った。何か聞き間違えたはずだ。が、再びリンはかろうじて聞き取れるような声で言う。
「怒らないで。」
どういうことだ? あれほど自信に満ちていたリンの口調が、明らかに違う。突然のことに驚いて言葉が出ずにいると、先にリンから静かに口を開いた。
「これから、縁に会いに行くのね?」
リンの声は、落ち着いた、穏やかなものに聞こえた。
「ええ。そうなります。」
「だったら、縁に伝えて。
今、縁は、私には見えないところにいるから。」
「ええ。それで、なんと?」
少し、考え込んだかのように黙っていたが、やがてリンは小さく唸った。
「あなたなんて、嫌いって。」
と、突然車が蛇行した。するとすぐ、運転手が上ずった声をあげる。
「す、すみません!
居眠りした覚えはないんですがッ。」
「ええ、ご心配なく。」
努めて穏やかに答えた態度とは裏腹に、先ほどまでずっと踏ん張り続けていたせいか、私の膝は今頃になってがくがくと震えていた。
リンはまた、何処かに消えたのだ。
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