第四話 雨守終輔

「そんなことがあったんですか……。」


 入院してからかれこれ十日は経ったであろうか。

 体を前後から傷つけられた雨守君であったが、もう上半身を起こしていた。動かないと、特に腹部は癒着をおこしてしまうから、とのことだが。


 私は渡瀬さんに勧められたベッドの脇の椅子にかけていた。夜間の見舞いは親族だけに限られている。彼女は私を父だと偽って警備の窓口に告げ、私も入館できた。


 彼女の父にしては、少々老けすぎていよう。どこか申し訳ない気持ちになる。


 それに雨守君の守護霊となった後代さんは、今は兄者とともに、離れた場所にいる……。彼は、今の私と同じはず。


 判断に迷った時に正しき方向へ背中を押し、あるいは心身の弱った時には癒しとなる者が……不在ということ。だから今、私には迷いがある。


 そんな私に雨守君は笑顔を見せたが、無理に動いて見せる彼も恐らく、傷の経過は思わしくないに違いない。ただの裂傷ではないのだ。リンの一派は、呪いを込めて雨守君に深手を負わせたのだから。


「俺だけこんな時に何もできなくて、情けない限りです。

 早く自分で動かないと、下の世話まで渡瀬さんにいつまでも迷惑かけっ


 ぱーんっ!!


 突然、雨守君を挟むように向かい側に立っていた渡瀬さんは、彼の後頭部を手加減抜きで叩いた。大抵のことには驚きもしない私だが、ぎょっとして思わず彼女の顔を二度見してしまう。

 彼女は彼を睨むようにして言う。


「もういい加減、恥ずかしがるのやめて観念なさい!

 今日もあとで体拭くからね? 

 隅から隅までぜ~んぶ!!」


「ごめん。」


 なるほど。そういうことでしたか。


「ここは渡瀬さんに、しっかり甘えてください。」


「そうそう!!」


 得意満面の笑みで顔を覗きこむ彼女に、困ったように赤面して目を逸らせた彼だが、やがて落ち着いた声音で私に尋ねた。


「古谷さんは、あのリンに……敬意……かな。

 そんな気持ちを抱いてませんか?」


「まさか!

 何言ってんの雨守クン。

 古谷さんは誰にだっていつも丁寧じゃない?」


 あからさまに否定する渡瀬さんを、私は見上げた。


「いえ。……雨守君の言わんとするとおりかと。」


「ええっ?」


 彼女は目を丸くして、瞬きを忘れたように私を見つめる。私は二人から視線を床に落とした。


「リンは二千年もの間、転生を繰り返してきたといいます。

 会ってわかりましたが、それは嘘ではありません。

 同じ転生者として、それも前世の記憶を持つ者として……。

 リンの言い尽くせぬ恨みは、わからないではありませんから。」


 いや。痛いほどわかるのだ。それがどれほどの苦しみなのか。


 ましてリンは、死ぬ一月前になって前世の記憶が蘇えると聞く。前世同様に常に愛する者によって殺されるという悲劇。フラッシュバックなどという言葉だけでは、安易にその時の精神的衝撃の大きさを推し量ることはできぬであろう。どんな者でも、狂うはずだ。


「そんな同情、あの女には


 少々むっとした様子で言いかけた渡瀬さんの言葉を制するように、雨守君が静かに振り向く動作をしたのが分かった。


「渡瀬さん、僕らにはわからないけど、

 古谷さんはそれで苦しんでいるんだと思うよ?」


「え?」


 今の驚きの声は、渡瀬さんと同時に私が発したものだ。雨守君は変わらず、思わず顔を上げた私を真正面から見つめる。


「同じ転生者として……。

 それも想像を絶する年月を超えてきたともなれば、

 あいつを畏れるのもわかります。

 ですが、古谷さん。

 あいつは……リンはまだまだ子どもです。」


 思いもよらない言葉に驚いてしまった。


「え? 

 なぜ、君はそう割り切れるのだね?

 君自身、リンの恐ろしさは身をもって味わっているはず。」


「もちろん、こんなに恐怖を感じたことはないです。

 それに、あいつに敬意を持つ古谷さんは間違ってはいないと思います。

 でも俺にとってリンは、十七歳の女子高生ですよ?」


「十七歳?!」


 雨守君にとっては、学校で出会う生徒と変わらない……ということか? 彼は静かに、いや、むしろ無表情になって続ける。


「何度生まれ変わっても、あいつはきっと同じような十七歳を繰り返してる。

 愛する者に殺されたって言うけど、そんなの歪んだ愛じゃないですか。

 ちゃんとありのままの自分を受け止めてもらったことが、

 二千年のうち、ただの一度もなかったんじゃないんですか?

 それで大人にもなり切れずに、世界を消すだのなんだのと。

 そんな子ども染みた恨みを撒き散らせてるだけで。」


「雨守クン! そんなこと言っちゃ……!

 どこでリンが聞いてるかもわからないじゃない?!」


 怯えたように個室の中を見回す渡瀬さんに、雨守君は笑って答えた。


「きっとあいつには聞こえてるよ。

 それでいて俺を放っておいてるのは、取るに足らない男ってことさ。

 つまり余裕なんだろう。きっと。」


 いや。

 リンが雨守君に手を下そうとしてこないのは、呪いがこめられた傷で、いつまでも苦しめばいいと思ってるからだろう。それはむしろ、すぐに殺してしまうより残酷だ。


 それは雨守君自身も当然気がついている。恐らく渡瀬さんには気取られまいと無理に笑って見せてはいるが、今も傷口は焼けるような痛みが走っているはずだ。

 それはきっと、後代さんも知るところであろう。


 ふと、かつての死霊との対決の日を思い出した。自分の周りの者が悪しき霊に穢されるや、あれほど感情的になり、暴走してしまった後代さんが。本当ならば片時も離れたくないであろう雨守君をここに置き、修行のため山に籠るまでになるとは。


 ……私には、まだそれだけの覚悟がない、ということだろうか。


 また俯いていた私だが、視線を感じ、はっと顔を上げた。すると雨守君は、それを待っていたように静かに話しだした。


「古谷さん。

 直接の出会いとまでいかなくとも、

 昔、リンと関わることが、何かあったんじゃないのですか?」


 やはり、読まれていた。

 彼は先ほど、リンに対する「敬意」という表現を選んだが、本当は違うのだ。畏れ……いや、「うしろめたさ」というべきか。


「桜ケ丘高校の時、あとで渡瀬さんから聞きましたが。

 もしや、幻宗さんが言っていた、歴史が曲げて伝えら


「雨守君ッ! そこまで!!」


 言いかけた彼の言葉を私は慌てて手を上げてまで制していた。


「……わかりました。」


 渡瀬さんには言葉を失うほど驚ろかせてしまったが、雨守君は表情も変えず、私をじっと見つめたままだ。


「すみません、ここでは……。」


 押し殺すように声を絞り、詫びる私に彼は改めて問うてくる。


「では、桜が丘高校の奥の、あの『社』であれば?」


「ええ。あの結界の中であれば。

 ……と言うより、そこにいる兄者に確かめねばならないことがあります。」


 そうですか、と視線を落とし呟いた後。彼は小さく微笑んで再び顔を上げた。


「古谷さん、お願いがあります。」


 私は声に出さぬまま、彼を見つめ返す。


「縁には、それを話してやってください。

 それで縁が、たとえ苦しむことになるとしても。」



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