第二話 四神②

『そう。

 十七年前に死んだ時の最後の名前が、リン。

 でも、私もあなたも名前など仮初のもの……違う?』


 外見の年齢的に少々疲れた女の顔立ちとは違う、よく澄んだ声が返る。


「私が転生した者だ、とでも?」


『私ほど長い歳月を繰り返してきたのではないにしても……。

 あなた、四、五回はしてる。』


「か、敵いませんね。」


 思わず小さく唸ってしまったが、一見でお見通しとは。

 それも、私自身の記憶にないいくつかの前世まで読んだというのか?

 額にうっすら、汗がにじむ。リンは恐ろしいほどの霊視能力をもっている。それは確かだ。

 ……とてもではないが。


「私など、あなたには遠く及びません。」


『まあ、お上手だこと。』


 女はその能面のような表情を微動だにせぬ。

 リンの心を読むなど不可能。

 ならば。


「単刀直入にお伺いします。

 あなたの目的はなんですか?

 ……四神の破壊は、見せかけではないのですか?!」


 四神はその時代に合わせ違う姿で配置されるも、これまで様々な形で人々の信仰を集め、守られてきた。

 その四神が封じているものとは、この日の本の国の中央に南北に横たわる「大蛇」。

 古(いにしえ)より「大蛇暴れし時、日の本国、二つに裂けん」と伝えられている。図らずも大蛇とは、糸魚川静岡構造線……そこに群集する活断層の総称だ。

 それが崩壊などしたら、この国土は未曽有の大災害に見舞われてしまう。


 じっと私を正面から見据える女は、口元にわずかに笑みを浮かべた。


『なぜ、そう思うの?』


「東の青龍、西の白虎はどちらも過去、自然災害という偶然による損失です。

 ですが南の朱雀が穢されたのは、ごく最近のこと。

 そして善明寺の落書きは、昨日。」


 ゆっくりと眼下の善明寺に視線を向ける女に、一歩、近づく。


「まるで『四神を狙っている』と、ほのめかしているようではありませんか。

 それも唐突に!」


 だが、女は先ほどから静かで冷たい微笑を消しもしない。


「あなたが憑依しているその女に罪を着せるにしても、

 昨夜張り巡らされたあの『印』は、玄武を侵すほどの力はありません。

 つまり……四神破壊と見せかけ、私のような者を炙り出すための『罠』かと。」


 すると女は、ようやく私にその視線を戻した。


『罠と知って、よくここに現れたわね?』


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、と言いますから。」


「そう。いいわ。あなた、とてもいいわ。」


 突然。さも楽し気に声を上げて笑う女に、私は困惑した。が、またも女は私から目を逸らし、背を向けた。


「今の私にとって一番邪魔な存在は、縁。

 その縁の霊力の源となっている雨守という男は既に倒したわ。

 でもあの子、他人と余計なつながりだけはありそうだったからね。

 他に、どんな人間が私の邪魔になりそうか……知っておきたかったの。」


 その瞬間、女は振り向きざまに射殺すような鋭い目を私に向けた。強い霊波が私を襲う。が、私はどうにか踏みとどまり女を睨み返した。そんな私を女はさらに嬉しそうに見つめる。


「ふふ。

 凡人なら今ので失神か、場合によればショック死するのに。

 あなたはこの程度では動じもしないのね。

 いいわ。とても。」


 なんだというのか?

 先ほどから、ずっと試されていることに間違いはない。

 そして女は切れ長な横目で私を見つめる。


「ほおっておいても四神の力が弱くなっているのは確か。

 私が手を下さずとも、いずれ、ね。

 だからあなたは、さっき私が四神を破壊する気はないと言った。』


「はい。それは時間の問題ですから。」


 女は一瞬、目を細めた。


『でも。だとしても、あなたはそれでいいの?』


「今の青龍、白虎のあり様(よう)が自然の理(ことわり)なれば、

 我らはそれを受け入れるまで。」


『自然の理には逆らわぬ……前世の修験者そのものなのね。

 そんなふうに世界の破滅も受け入れられるというのなら、どう?

 私とともに来ない?

 縁なら決して受け入れないもの。

 あなたがそちら側にいるのは、むしろ不自然だわ。』


 女は怪しい光を湛えて私を見つめる。だが答えは一つだ。


「そのお誘いには、応じられませぬ。」


 女はしばしの沈黙のあと、くすっと笑って見せた。


『つれないのね。

 この見かけの女はともかく、

 転生を自ら止めた私は未来永劫、十七のままよ?

 若い娘におねだりされるなんて、もうないかも知れないのに。』


 まさか冗談か? いや、つまりは余裕か。


「老いた私には結構です。

 既に、孫のような後代さんとお話しもできましたからね。」


 私も冗談で返したつもりだが、自分は何度も口にしていながら私が後代さんの名を出した途端、急に女は不機嫌そうに顔を歪めた。


『そう。

 では、あなたが一つ、思い違いをしていることだけは正してあげるわ。』


 女は私から視線を外し、天上殿を見上げた。


「思い違い?」


『狭い視野だけでなく、広く世界を御覧なさい。

 あなたの言う四神が封じているモノが、

 別の四神の一つであるとしたら?』


「え?

 大蛇……ま、まさか?

 それが青龍だとでもッ?!」


 唐突にそう気づいた私の白髪頭の毛穴が、一度に全て開く気がした。


『そう。正しくは、そこに青龍となるものを、ね。』


「あなたの言う四神は、なにを封じたのですッ?!」


 女は目を閉じ、静かに語る。


『最初の私が、生贄として供えられた「神」を。

 「神」の呪いにより初めて転生した私が愛した男……帝は、

 私の前世に涙し、その「神」に怒り、封じた。』


「神を、封じた? そんなことができるわけが!」


『帝は巫女であった私を犯し、まぐわったまま私の四肢を断った。』


「神を恨む巫女の四肢を、生きながらにですと?!」


 そこにはどれほどの怨念が込められていよう。いや……まさか。


『あの時、手足を切断されながら体中を走った心地よさを……私は忘れない。

 だって、帝に抱かれていたのですもの。

 そして帝は私の右の腕を……その、青龍に。』


 まさか、そんな禍々しいものを四神にしたなどとは!


「では、あなたの手足を使った他の三神は、何処(いずこ)にッ?!」


 女はもう、私の問いには答えなかった。

 代わりに女は今度は顔を伏せ、小さく唸り続ける。


『帝は私を、巫女を犯すという禁を破ってまでも、心から愛してくれた。

 そんな帝を悩ませ苦しめた民も、この国も、私は許せない。

 せっかく帝が封じた「神」を、私の右腕を封じて復活させた者どもなど!

 何度転生しても私に同じ苦しみを味わわせる「神」を崇める者どもなど!!』


「それが、あなたが世界を終わらせたい理由……。」


女はゆっくりと目を開け、私を見つめた。


『でもあなたの言うとおり、もう、時間の問題。

 私の四神は、もうすぐそろう。』


「つまり、国土が裂けるだけでは済まないと?!」


『そう。

 忌まわしきこの国は二つどころか八つ裂きになり、悉く海に没するッ!

 そして「神」は再び封印され、この世界は全て闇に落ちるのさッ!!』


 眦が裂けているのでは、というほど目を大きく見開き、女は両手を空に上げ高らかに笑い声をあげた。


 と、突然。

 リンという女が憑依を解いたのだろう。

 女の体がゆっくりと崩れ落ちる。


 とっさに私は駆け寄りその女の上半身を抱きかかえた。


「おい! 大丈夫か?! 目を覚ませ!!」


「は……はあああっ!」


 目を開けた女は、突然目の前に現れた私に驚いたに違いない。が。


 固いものが私の脇腹に当たった。

 この女、ナイフを潜めていたとは……。


 その瞬間耳元に、そこにありもしないはずの吐息を感じた。


『私……あなたのことが、気に入ったわ……。』


 これが本当のリンの声か。

 そうささやく高く澄んだ冷たい声が、含み笑いだけを残して私の耳から消えていく。その間も女は何度も何度も私の脇腹を刺し続ける。私はナイフを握った手首を捻るとその背中に向けて捩じ上げた。

 ナイフの刃が地に響く。悲鳴をあげながら、女は私をなじり続けている。それを捨て置き、私は女に怒鳴った。


「今あなたが私を刺したのは、あなた自身がしたことに間違いないですねッ?!」


 これはリンに操られているわけでは、ないからだ。

 少々気が引けたが、うつぶせに倒した女の背中を膝で固め、警察へ電話を入れた。


 最初に命を落とした戦国の世に比ぶれば、造作もなきこと。

 されど、臆病者が幸いしたなと、苦笑いが漏れる。

 老骨には、鎖帷子は重い。

 しみじみ、重い。



*******************************



 私が警察に知らせた女は、やはり複数の防犯カメラに映っていた女であった。

 供述に曖昧なところがあるが、善明寺の落書きの容疑で逮捕されたと、その日の夜にはニュースで流れた。

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