県教委委託職員、古谷の事件簿。
紅紐
第一話 四神①
まえがき
前作『非常勤講師、雨守の霊能事件簿。』の続編です。
*前作登場キャラばかり出てきます。
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二〇一七年、十月の三連休。
N県の北に位置する国宝・善明寺およびその周辺に、百ケ所以上におよぶ落書きが発見されたのは昨日の未明……連休二日目のことだった。
明けて連休最終日の今日。勤務先の県庁が近いこともあり、私は徒歩で善明寺を訪れた。
立ち入り禁止のテープやパイロンで囲まれてはいるものの、証拠保全のためと、昼を過ぎてもまだそれは消されずにある。
「あッ! ここへの立ち入りは禁止ですよ!」
私を呼び止めた若い警官に、いつもどおりの社交辞令の如く名刺を差し出した。彼は怪訝そうに眉をしかめ、県章の透かしの入った名刺の肩書を呟くように読み上げる。
「N県教育委員会……。 古谷、いっこうさん?」
「ああ、よく間違えられますが、『かずゆき』です。
県指定の重要文化財も被害に遭ってはいないかと、
まずは確認をと思いまして。」
文化財管理は教育委員会の管轄であることは周知の事実だ。が、実のところ、今日の私の真の目的ではないのだが。
名刺を私に返しながら、その警官ははにかみながら、たいそう丁寧に答えてくれた。
「これは失礼しました。休日にご苦労様です。
警備に当たっている者には、知らせておきますから。
ただ、その辺、触らないでくださいね。」
「ええ、もちろん。ありがとうございます。」
肩のレシーバーマイクで、同じ警備の警官に知らせているのであろう。私の特徴を伝えている若い警官に会釈し、また改めて境内を確認して回る。
石垣の隅、手すりの下部……それら目立たぬ場所に白色のマジックで書かれた、大きくても10㎝ほどのバツ印の一つ一つに、別段意味はない。だがその点を全て繋ぐと、それは「穢れ」を顕す「印」そのものとなるのだ。
だからか……普段なら寺院であるここには寄り付けぬはずの不浄な霊の姿も多い。
今朝の一部の報道では、複数の防犯カメラに一人の黒装束の女が映っていた、という。
未明の僅かな時間に百ケ所以上も書いて回るなどという行為は、相応の怨念がなければできないだろうが……。
本堂の前で笑顔で記念写真を撮る外国人観光客の脇をすり抜け、裏手に回ろうとした時、電話が。懐から取り出したスマートフォンの着信には、最近懇意になったばかりの方の名前があった。
「ああ、横道さん。急なお願いにも関わらず、すみませんでしたね。」
『……いえ。』
横道氏の声は、いつもの飄々とした響きはなく、どこかくぐもっていた。
『古谷さんの心配どおりでしたよ。』
「やはり……。」
早朝から無理をお願いして申し訳なかったが、横道氏は快く引き受けてくれた。横道氏とともにいる幽霊の本間氏にも、今朝は彼への【憑依】ではなく、同行していただいた。
彼らは今、善明寺と向き合う方角……N県南端の大熊村、隣県との境をなす大熊山の、険しい岩肌に建てられた懸崖造りの古寺を訪れている。
別名、「裏善明寺」。その本殿の天井裏に描かれているはずの朱雀は……。
『幽霊の本間さんがくまなく見てくれました。
……赤黒く、汚されていたそうです。』
「それは恐らく、誰か……その場で殺害された者の血かと。」
うわぁ、やっぱりかぁ~……と嘆息交りの声が。横道氏の声は更に切羽詰まったように続く。
『本間さんによれば、それも積もった埃の上から汚されていたって!
それって、まだ新しい汚れだってことですよね?!』
そのとおりだ。が、彼は私の答えを待たなかった。
『でも積もった埃はそのままなんです!
きっとそこで殺されたであろう遺体を運び出した形跡もないって言うんです!!
あんな崖にへばりついた寺で、そんな人間離れなことができるのは……。』
横道氏の恐れていることは、的を射ている。
生きた人間の仕業ではない。
「横道さん。
とんぼ返りをさせて恐縮ですが、日が暮れる前に、すぐお帰りください。
恐らく、その土地はすでに。」
『ええ、やっぱりそうですよね。
道すがら大勢に絡まれましたよ、よからぬ霊達に……。
でも……。』
「どうかしましたか?」
横道氏の声は、少々上ずって聞こえた。
『連中、僕達にも村人達にも手を出してくるって様子がまるでないんです。
ただ、あざ笑ってるだけで。
あの女……リンが僕達のこと、放っておいてくれてる気がして。』
これもきっと、そのとおりであろう。
既に我々は、後手を踏んでいるのだから。
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二〇一一年のあの三月十一日の大震災は、遠く、この海のないN県にも余震の爪痕を残した。
あの半年後。県東部を震度五の余震が襲い、その地の古寺・青願寺も損害を受けた。見事な昇竜が彫り込まれた本堂を支える四柱が全て折れ、現在も修復中……。
さらに二〇一四年。県西端に位置する霊山、白岳山が突然の噴火。大勢の登山客が命を落とした痛ましい出来事の陰で……報道されぬほど些細なことと済まされたが、その山頂にあった山の神を祀る祠も噴石により壊れ、今もそのままとなっている。
その祠はただ石を組んだだけのものであったが、知る者のみぞ知る……その基盤には、虎を表す印が彫られていたのだ。
そして今、善明寺。
一四〇〇年余の長きに渡り民衆の心の拠り所として広く、深く信仰を得ているが。
それはあくまで表の顔。表があれば裏があるのが世の理(ことわり)。
私は善明寺裏の人気のすっかり途絶えた遊歩道を歩き、更に500mほど先の小高い丘へと登る。老骨にはその坂も、やや息の切れるものではあったが。
途中から長い石段となる坂の上に、善明寺とその門前町を見下ろす開けた場所がある。そこには「天上殿」と呼ばれる質素な納骨殿があるのだ。
古くから宗派を超えた納骨の場として建つ二階構造のそれは特殊な形状をしており、広い一階屋根の中央部は漆喰の半球状をなし、二階部分へとつながっている。その表面は雨水の導線という建前で彫られた溝により、亀甲があしらわれている。
つまり、それが玄武。善明寺が守っているものだ。
そう。
古よりN県は、四神によって【あるもの】を封じている地にあるのだ。
その四神が、今、崩壊しようとしている。
それを知る者は、この現世においては私と兄者だけと思っていたが……。
石段を登りきりネクタイを緩めた時、ふと、ヒトの気配を感じた。
観光客などいない広大な石畳の中央にある天上殿の前に、ただ一人、中年に差し掛かったと見える黒いワンピースの女が佇んでいた。
女は私を一瞥すると、まるで私を待っていたかのように、小さく口元を緩ませた。
『やはり……縁の知り合い?
お名前、伺ってもいいかしら?』
「私は古谷かずゆきと申します。
外見の女はともかく……あなたがリンさん、ですね?」
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