知らぬシナリオに踊る

中川那珂

先輩と私

 幕が下りていくのを視界の隅で確認して、繋いだ手のずっと先にいる先輩を感じる。中央で一際輝くスポットライトを浴びる先輩の表情は見えない。きっと、とてもいい顔をしているのだろう。

 脇役二年生と主演三年生。他校にまで名を轟かす人気者。

 同じ部活に所属しているのが不思議なくらい。二年間、同じ舞台に立てた、それだけで充分――今まで何度言い聞かせたかわからない。本音と嘘と混じったおまじないの言葉。

 おまじないを繰り返すたび、脳裏に蘇るのは幸せな思い出。




 スマートフォン片手に振付を確認する私に「今回の振付難しいよなー」と舌っ足らずな声。鏡越しに話しかけてきたのは当時副部長だった先輩。棒読み演技だとからかわれながら、それでも演じることを楽しいと感じる限り続けたくて下を向く暇もなく練習していた。


「好きこそ物の上手なれとかいうし。……がんばろうな!」


 たくさんピアスが開いていて髪は金色。毛先なんて透けて見えるほど傷んでいる。そんなチャラチャラした見た目のわりに物知りだと驚いた。第一印象と違った。ただ、私はその時点で既に彼のことを想っていた。気にしないようにしながら、確実に惹かれていた。

 太陽のような言葉。舞台に立つだけで目を奪われる存在。憧れていた人からそんな言葉をかけられて、何も想わないでいられるはずがなかった。あの日、一年生の夏休み。私は興奮と感動と溢れてどうしようもない恋心を落ち着かせるために立ち漕ぎで帰ったものだ。




 あちらこちらから荒い呼吸が聞こえる。


「は、はっ、……っ」


 体育館いっぱいに集まった観客の顔を辿ってありがとうを念じる。メガネをかけていないのでほとんど見えてはいないけど見ないではいられない。わざわざ足を運んでくれたこと、最後まで観てくれたこと……本当は手をとってひとりひとりに伝えて回りたいが、そんなことはできないので、舞台に立つたびに最早恒例行事になっていた。

 繋いだ手がしっとりと滑り、繋ぎ直す。隣の友人の手は汗で濡れ、それに少し震えていた。彼女は二年生のわりにはセリフも多く、たくさんの期待を背負っての舞台だったからとても緊張したのだろう。一緒に練習をしてきたからよくわかる。本当に、頑張っていた。

 そうして、じっくりと時間をかけて幕が下りきった。


「――――以上、演劇部による……」


 時間の都合でカーテンコールはなし。みんなで手を振って別れるあの時間がとても好きなので残念に思う。


「……っしゃあー! 終わった! みんな、お疲れー!!」


 先輩が口火を切ると、わあと周りに人が集まっていく。文化祭実行委員が袖から何か言いたげに様子を窺っていたが、一旦引いてくれた。もう少しこの時間を過ごしてもいいらしいい。


「先輩、三年間お疲れさまでした!」

「お疲れさまです! ほんっとに、かっこよかったです!」


 真っ白な舞台衣装に金の装飾。この日のために金から黒に染めた髪。普段の見た目はチャラチャラしているが、性格は現代風の兄貴肌。今日の見た目なら硬派な王子様。完璧だ。女子部員が囲んでいるのを少し羨ましく思いながら、先輩に群がらない他の部員に続いて袖に向かっていく。

 王子様と木では、何もかもが違いすぎる。達成感に満ちた笑顔を同じ舞台で見られた。それだけで充分なのだから。


「あっ……! 空、ちょっと待って!」


 袖に入る直前で右肩に重みを感じた。その声が先輩だと触れられる前にわかってしまったから振り返るのに勇気がいる。案の定、他の部員が集まってきた。


「……八雲先輩。どうしました?」

「あー……引き継ぎのことでちょっと話したくてさ」


 無意識のうちに止めていた呼吸。バレないようにひっそり息を吐く。


「今じゃないとだめですか? 次、バンドなので準備始まると思いますけど……」


 可愛さの欠片もない返答。せっかく、先輩が部長として私を選んでくれたのに。まとめる力や視る力に長けてるから次の部長をしてほしい、と先日言われたことを思いだして気を引き締める。


「……ごめん、今がいい。あっちなら目立たないと思うから」


 そんなに急ぎなら、と先輩の背中を追う。

 大きくて逞しい背中。襟足が少し跳ねているのはベッドに寝転んでいたシーンのせいかもしれない、少し抜けて見えてかわいい。音響ブースを通り過ぎてスタッフもあまり通らない角で足を止めると、改めて顔を合わせた。


「空。えっと…………その、お前、俺のことどう思う?」

「は…………? あの、どう、って……」


 予想からかけ離れた質問に、持っていた羽根付き扇子が落ちた。それを拾いあげながら一体どんな意図があって質問されたのか必死に考える。羽ばたいていった冷静の尾を無理やり掴んで連れ戻す。


「その……とても、いい先輩だと」

「いい先輩…………んーー、そっ、か。……でも俺、空のこと、そういうふうに思ってなくて。うわ……やばい、言葉が出てこねー……」


 瞬間、大きな体を丸めて縮こまった。

 伏せられた顔のせいで、何を考えているか全くわからない。よくわからないけどまるで告白のよう――と、そこまで考えて自滅した。

 私も縮こまってしまいたい。棒立ちのまま、先輩の背中を眺めてもそれ以上の言葉はなくて「先輩」と呼びかけると、ようやく顔だけをあげてくれた。


「何度も言おうと思ってたんだけど、お前いつもすぐどっか行くから……!」

「…………何を」


 告白、が頭から離れてくれない。訊ねた声は震えていなかっただろうか。バンド演奏へ転換準備が始まったことで声が聞き取りづらくなってきた。


「だから、好きだって! ずっと言おうと……!!」


 一瞬の静寂。先輩の声だけが耳に届いた。

 あんなに聞こえていた音が遠ざかり、心臓が早鐘を打ちはじめる。親鳥の訪れを待つかのごとく開いた口が閉じなくなった。はくはく、と動いて何も言えずにそのまま固まる。耳を疑う、とはこのことか。


「さすがに、なんか言ってほしいんだけど……」


 よいしょ、と声をあげて立ち上がると自然と視線が上を向く。小さな私から見る先輩はジャングルジムに登っているようだ。


「ええと…………先輩もたじろいだりするんですね」


 眼鏡を直そうとして、外していたことに気がつく。ぼんやりとした視界でも捉えられる姿。先程まであんなに逸らしていた瞳は、ただ一点、私だけを映している。

「するに決まってるだろ……。お前相手じゃ演技と違うんだから」


 演技と違う。恋愛は、演技と違う。そんなこと知っている。私だって先輩相手だとうまく話せない。話したいことが十あったら九を呑みこんで一だけ口にする。そんなものだと思っていた。


「恋愛と演技は違いますよ。それは……そんなの、先輩より私のほうがずっと知ってます」

「……なんでだよ」


 どこか拗ねた口調は幼い子どもを彷彿とさせた。


「八雲先輩が小学生の頃に公園でヒーローごっこしてるの、よく観てました。なんて自由なんだろうって思って。……それで演劇に興味を持ったんです。だから、高校に入って先輩を見つけた日から、ずっと見てました」


 たくさんピアスがついていても、髪色が変わっていても、すぐにわかった。演じるときのキラキラとした瞳が変わっていなかったのだから。


「――は?! 俺のこと、そんな昔から知ってたわけ……!?」


 両肩を捕まれぐわんぐわんと揺さぶられる。不安定な頭が前に後ろに動いて、その手が止まると同時に揺れはおさまった。


「その……一生内緒のつもりでしたけど」


 主人公を眺めるモブでいいと本気で思っていた。彼を応援することは、同じ舞台に立てることは、とてもしあわせなことだったから。

 その頃は、まだ目も悪くなくて色素の薄い髪は明るめの茶色だった。先輩と行き違った容姿で、公園のヒーローを眺めていたのだから知らなくて当然だった。


「…………俺、告白したんだけど」

「……え? はい。だから私も、先輩のことを想っていたと伝えました」

「え、聞いてな……ッ、お前は言ってないだろ」

「昔から見ていました。これは告白にはなりませんか?」


 好きという言葉で表現するには足りない気がして言わなかったのに。舞台でも愛のセリフなんて言ったことがないのに、ゲネプロもなくいきなり本番を迎えるのはハードルが高いのではないか。


「お前、本当はすげー演技うまいんじゃねーの……」

「好きこそ物の上手なれですかね。好きだから、がんばって隠したんですよ。ただでさえ足引っ張ってるのわかってましたし、これ以上迷惑になりたくなくて」


 ボロ布のようなワンピースの裾がふわりと揺れて、そのまま抱き寄せられる。鍛えあげられた胸元にぶつけた頬が痛い。


「好きっていうのは、付き合ってほしいってことなんだけど……わかってる? なんか全然伝わってない気がしてきた」


 掠れた声が直接耳に届く。先輩の声は、こんなにも甘かっただろうか。もっと、戦隊モノのヒーローが似合うような覇気のある声だった気がしていたのに。これでは、格好も相まって王子様だ。


「よくできたシナリオに驚いてるところです。これじゃ、ヒロインみたいじゃないですか……」

「じゃあ、よくできたシナリオのヒロイ­­ンは頷いてくれると思っていーんだよな……?」


 セリフと声色が合っていない。もっと俺様な声出さないといけませんよ、と言ってしまいたいのに喉の奥で突っかかった言葉が出てこない。

 どうしよう。今更、ことの重要性に気づいてしまった。

 ここで頷いたら私は誰かに恨まれる人生を歩むかもしれない。学校すら通えないかもしれない。どうしてあの地味な子が、と陰口を叩かれるところまで想像して――落ち着きを取り戻したくて息を吐いた。


「……空」

「私、木の役が似合うようなタイプですけど。本当に……? 言う相手間違ってませんか?」

「さっきまでの勢いはどこいったんだよ」

「冷静になったらすごいこと言われてるなって」


 くつくつと笑う気配がした。喉を震わせているのが振動を通して伝わってくる。抱きしめられる、はこんなにも近いのか。こんなにも筒抜けなのか。


「明日から部活も行かなくなるし、俺は今日から付き合いたいんだけど」

「木でいいなら……」

「お前はもっと広大だよ。視野なんて俺よりずっと広い。空……みたいな…………ごめん、さすがにクサイこと言った」


 背中に回る腕がキツくなる。それが、とても愛おしい、とそう思ってしまった。


「…………お願いします、――くも、せんぱい」

「できれば、でいいんだけど……| 宙がいい」


 甘えたでぎこちない口調。かわいさについ口元が緩んだ。


「ひろ、せんぱい」


 遠くで聞こえるざわめきより先輩の鼓動の音が大きくて力強かった。

 最初で最後の主演は、練習もなく本番に送りだされたラブストーリー。先輩の甘いコロンが移る頃には諸々の覚悟もとっくにできていた。

 愛おしい人に触れられる喜びを知ってしまったら、きっと誰しもが戻れないのだ。

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知らぬシナリオに踊る 中川那珂 @nakagawanaka

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