第2話 風は運んで

 ジャージに着替えブレザーに付いた泥を洗い落としていたら思っていたよりも時間を食ってしまった。

 急いで教員室に向かい担任にたっぷりと叱られてから事情を話すと、屋上に制服を干す許可を貰った。

 屋上は原則立ち入り禁止なのでドキドキしたが、これといって珍しいものはなく何故か物干し竿があるくらいだった。

 そこにブレザーやらワイシャツやらを干し、俺は屋上を後にした。

 ……風で飛ばされないことを祈るだけである。

 俺が教室に入った時には四限目の授業が始まったばかりで、尚且つ授業担当が事情を知っている担任だったのですんなりと入ることができた。

 窓際の自分の席に座ると担任は少し面倒そうに授業を再開した。

 四限を窓の外を見て過ごすと、号令が終わると同時に俺は弁当を持ってさっさと教室を出た。


 俺の通う桜咲高校には高校のほかに中学も併設されておりその分敷地が広大だ。

 グラウンドはスタジアム並みに広く、テラスやら洋風庭園やらよくわからないいろんな施設もある。イメージで言えば高校というより大学に近い感じだろう。

 テラスはリア充の溜まり場なので俺が向かっているのは庭園である。

 庭園にはベンチが設置されておりカップルがイチャついていたりするが、そこに目をつむれば閑散としていて過ごしやすい場所なのだ。……校舎から遠い事を除けば。

 人気のスポットは噴水の周りである。ここにはカップルが必ずと言っていい程いるので注意。

 俺のお気に入りの場所は噴水からだいぶ離れたところにポツンと設置されているベンチだ。周りに目立ったものは特になく一言で言えば地味な場所だ。

 幸いにもベンチは乾いていた。

 俺はベンチの右端に座ると、空を仰ぎ見る。

 雲は一つもなく、太陽が眩しかった。穏やかな風が吹き、鳥が鳴き、木がそよぐ。庭園と銘打っているだけあって花や木が植えられ手入れされていた。

 俺はそれらを感じながら弁当を食べ始めた。

 人と食べるのが嫌な訳ではない。ただ面倒なのだ。

 空気を読みながら会話をして、会話が止まらないように話を続けながら弁当を食べなければならない。

 俺の考えすぎなのかもしれない。が、中学ではそうだった。その経験があるからこそ人と食べるのには窮屈に感じてしまうのだ。

 いや、食事だけではないか。他人と一緒にいることが窮屈なのだろう。

 「隣に座ってもいいですか?」

 「え?」

 いつの間にか俺の前に一人の少女が立っていた。

 亜麻色の髪が風でさらりと揺れて、甘い香りが俺の鼻をくすぐった。

 「あ、さっきの……構いませんけど」

 「失礼しますね」

 少女は「よいしょー」と言いながら僕の横にちょこんと座った。

 忘れようとしていたさっきの事を思い出してしまい、俺は気まずさを感じつつなんとなく少女から距離をとるようにさらにベンチの端の方に移動する。

 少女はにこにこしながら可愛らしい弁当を出し食べ始めた。

 「えっと……どうしてこんなところに?」

 「他のベンチは濡れていたり人が座っていたりしたので」

 「はあ……なるほど」

 俺は曖昧な返事をして弁当を食べるのを再開した。

 鳥はさえずり木は揺れるが俺の心が休まる訳はなく、緊張しながら弁当を食べていた。

 異性と食事をすることに慣れていない事も相まって全く味を感じない。

 「それに人といるのって疲れちゃうから」

 少女からポツリと漏れ出た言葉は紛れもない本心に聞こえて俺はしばし呆気に取られてしまった。

 まったくだ。人といるのは疲れる。

 「あの、一つだけお願いしたい事があるんですけど」

 俺がそう言うと少女は不思議そうに俺を見た。

 「出来れば俺がその……転んだ事は忘れてほしいんです」

 「いいですよ。いきなり転んだ時は驚いたんですから次に転ぶ時はちゃんと言ってから転んでくださいね」

 「そんなしょっちゅう転ばないですよ……」

 「本当ですかねー?」

 少女はクスクス笑うと「気を付けてくださいね」と言ってまた食べ始めた。

 そういえば、名前はなんというのだろうか。

 けれど、まあ、もう関わることはないだろう。

 俺は弁当を掻き込むようにして食べ終えると、ベンチから立ち上がった。

 「それでは。俺はもう行くので」

 「うん。また明日」

 少女はにこにこしながら手を振ってきたので、俺はそれに会釈して返すとダッシュでその場を後にした。

 ……うん?『また明日』?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る