第二章 私という人

第1話 発作

 今日は雲一つない快晴だった。故に私は、紫外線と気温が気になって一歩も外出できなかった。テレビをつければ、地元の番組は海水浴客を映し出している。インタビューもしている番組もあり、私と同じく東京から来た大学生が、梟町は穴場だと笑顔で答えている。真っ白な私とは異なり、彼らは真っ黒に日焼けしている。

 けれども夜は楽しみだ。星空を堪能できる。その点においても、私はテレビに映る大学生とは違った。彼らにとって夜は、疲れた体を休めるだけだろうから。夜空の楽しみ方を知らないのは、残念なことだ。

 しかし、私はどこか彼らが羨ましかった。病気を気にせず運動を楽しめる。ごく普通のことができない私にとっては、絶対に叶えられない願い。私は無意識に、自分が海で泳ぐ姿を想像した。


 真夏とは言え、海の水は冷たい。一度口に入れば、とてもしょっぱい海水。私はきっと浮けないだろうから、浮き輪を使用することになるだろう。いいや、体が動かせるのなら事前にプールで泳法を学んでいるかもしれない。少し疲れたら、砂浜で日光浴。そしてもう一度、日が暮れるまで海に入る…。


「………ぐ、ぐ」

 私は咳をした。まさか、運動している自分を思い浮かべただけで発作が起きるとは…。どうやら私には、想像することすら許されないらしい。

「颯武君、大丈夫?」

 女将が偶然私の部屋の前を通りかかったらしく、部屋に飛び込んできた。

「く、くす…り…」

 私はカバンに手を伸ばそうとした。だが女将は、

「しっかり、しっかり!」

 私の体を押さえて背中をさすった。女将なりの気遣いと優しさなのだろうが、それで発作が収まれば誰も苦労はしないのだ。

「ゴホ、ゴホ! ぐぐぐ…!」

 私は焦った。発作が起きた最初の数秒が、勝負なのだ。そこで素早く対処できるかどうかで、すぐに治まるか、長時間安静にしなければいけないかが決まる。

「救急車! 救急車呼ぶ?」

 そんなことは頼んでいない。しかし咳と苦しみで喋れない私に、それを伝えるのは不可能だ。

 女将は自分の携帯をポケットから取り出した。

 この機は逃せない。私は女将が私の体から手を放したその瞬間、女将の携帯を取り上げた。

「…」

 驚いている女将を余所に、私は薬を取り出して飲んだ。そして追加の薬をいつもの倍、飲んだ。発作が治まるまで目を瞑り、落ち着いたところで目を開けた。

「ちょっと大丈夫なの?」

 女将が聞いた。私は、

「あれくらいの発作なら、薬を飲めばすぐに治まります」

「なら大丈夫なのね?」

 私は首を横に振り、

「すぐに飲めないと辛いものがあります。発作が起きたらまず、私が薬を飲めるようにして下さい」

 と言った。女将は心配したんだと反論したが、

「適切な処置以外は無意味です。気持ちで病が治るなら、誰も苦しみません」

 私は冷たく返した。女将が嫌いだからではない。私は私で、日々命の危機と戦っているのだ。それを無駄に手伝おうとするのはかえって危険。知識がなければ尚更だ。

「…じゃあ、何も心配しなくていいのね」

 私は頷いた。

「一つ、お願いがあります」

 女将は何だと聞いた。

「今日はもう、安静にしなければいけません。夜ご飯はおかゆでお願いします。できるなら部屋に持ってきて下さい」

 女将の顔には、図々しい奴だ、と書いてある。対する私は何とも思わなかった。そういう人には今まで何人も出会ってきた。彼らと一々関わっていては、私の命はいくつあっても足りない。

 女将が部屋から出ていくと、私は布団の中に入った。手にはスマートフォンとタブレット端末。タブレット端末には主治医から連絡が入っている。

「すぐに薬が飲めなかっただけです。今はもう飲みましたし、今日一日は安静にします」

 そう返事をし、例え想像であっても体を動かすのは良くないことをワードファイルにまとめると、私は眠りについた。

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