第18話:真実の大志4
「……で、まだ考えているんですか?」
「面目ない」
あれから三日が過ぎ木曜日の放課後になった。
金岡先生の授業も早くも明日で終わりだ。
「この色紙にメッセージを書いたら確実に許したことになると思うかね?」
「そうですね、間違いないです」
明日の授業にクラス全員の寄せ書きを渡すことになった。
今日の内に全員が書いたのだがカイトはまだそれを書いていないのだ。
「許したことになってしまうから迷うんだよ……」
「……金岡、早く決めないと……」
「ああ、わかってるさ」
何せ明日の授業で渡すのだ。
考える時間はあまりない。
「でもカイトくん、正直許そうと思ってるんでしょ?」
「恐らくそうさ」
カイトは自分の鎖を壊すためにあの日、父に話をしたらしい。
あまり態度を変えなかったが、その日の夜に一生懸命明日の授業を考えている姿を見て少し心が動かされたらしい。
やり方は間違っているが、教育に対しては真摯なのではと。
「カイト、今日中に決められそうか?」
「わからないね。まあでもとりあえず名前だけは書いておくよ」
カイトは空いているど真ん中のスペースに名前を書く。
「おい、カイト。名前を間違っているぞ」
「おいおい平、まさか名前も知らないのか?」
「へ?」
間抜けな返事になってしまった。
だってどこにもカイトの文字がないんだから適当に書いたのだと思った。
「教也くんにはびっくりね……」
「く、春々まで……」
最近思うのだがなぜみんな、そんなにカイトのことをよく知っているんだ?
俺が世間離れしているのだろうか?
「咲花、カイトの本名知ってるか?」
「……金岡イザエル智也……」
「さすが咲花ちゃん、正解だよ」
「まじか」
今初めてフルネームを聞いた。
てかもしかしたら頭の引き出しに入ってるのかと思ったが全然そんなことはなかった。
「で、なんで名前はカイトなんだ?」
「教也さん、頭文字ですよ」
「頭文字?」
かなおか・いざえる・ともや、頭文字をとると……
「か・い・と?」
「そうだとも、やっとそこまでたどり着いたのだね」
「てかこれ初見で絶対に無理だろ……」
でもみんな知っていたということはそれだけ金岡家が有名なのだろう。
世間って恐ろしい。
「まあそんなことはともかく、本当に悩ましいね」
「……鎖の鍵はもらえそうですか?」
「少し厳しいかもしれないね」
確かに昔からそのように教育してきた父がすぐに許してくれるとは思わない。
しかし空へ飛び立つためには勇気ある決断が必要なのだ。
「まあでも今日中に決めるよ。ということでこれは家に持って帰らせてもらうよ」
カイトはクラス全員で書いた大事な色紙をカバンの中にしまい込んだ。
「いいけど、見つからないように頼むわよ」
「もちろんさ」
あとはカイトが決めることだ。
俺たちはその翼を大きくし、羽ばたかせる力を与えることができる。
しかし、飛ぶ決意をするのはカイト自身にしかできないのだ。
「……どんな結果になってもカイトくんが大志を抱ける結果になってほしいわね」
「ああ、そうだな」
教室を出ていくカイトを見送りながらぽつりとつぶやいた。
大志、それは俺、いや、俺達が一番大切にしていることである。
「……大志なんて大嫌い……」
耳をすましていなければ聞こえないくらいの声で咲花はつぶやいた。
そしてカイトに続く形で教室を出ていった。
「教也くん、咲花ちゃんなんかつぶやいてなかった?」
「……いや、気のせいだろう」
なぜ咲花がそうつぶやいたのかはわからない。
でも俺は仲間として大志のすばらしさを伝えたい、そう思ったのであった。
「カイト、ちゃんと色紙は持ってきたか?」
「さすがにここで色紙を忘れたらフルボッコ確定だよ」
次の日、俺たちはカイトの席の周りに集まった。
休み時間ももう少しで終わり、いよいよ金岡先生最後の授業が始まる。
「で、カイトくん。ちゃんと書いてきたんでしょうね?」
「……」
「ちょっとー!」
カイトの様子からはどうも書いてきたようには見受けられない。
「とりあえず色紙を委員長に渡しにいってもいいかね?」
「……勝手にすればいい……」
カイトは足早に色紙を持って委員長のところに行った。
「カイトさん、書いてなさそうでしたね」
「……所詮は籠の中の鳥……」
まだ俺たちが言っていることは推測の域にすぎない。
きっと全員がその推測が当たってほしくないと願っているはずだ。
「でも今の私たちにできることは信じることしかないわ」
「春々さん……」
それ以上俺たちは発言をすることなく、その静寂を打ち破るかのようにチャイムが鳴った。
「とりあえず全員席に戻るか」
「そうね」
カイトの席を後にし、俺たちは元の場所へと戻った。
といっても俺、春々、咲花の三人はめちゃくちゃ近所である。
まだまだ春々に話したいことはあったが、ちょうど金岡先生が入ってきた。
「諸君、おはよう。では授業を始める」
いつもと変わらないポーカーフェイスで授業が始まった。
最終授業とは思えないほど淡々と進んでいく。
そしてあっという間に授業も終盤に差し掛かった。
残り五分を残し、教科書をすべてやりきったところで金岡先生は初めて教科書を見ずに自分自身の言葉で語り始めた。
「諸君らは未来の教育を担っていく若人たちだ。そんな諸君らに頼みがある」
いつもは静寂の中行われる授業だが、この時だけはざわめきが起こった。
「諸君らが教師になり生徒に英語を教えるとき、まず達成感を与えるように努めてほしい」
授業における達成感とは、例えばテストである。
生徒が解けるか微妙な問題を出してあげる。
そうして解くことのできた生徒は達成感を味わうことができるのだ。
「達成感を味わわせた後は、褒めてあげてほしい」
なるほど、確かに達成感を得た生徒をほめることによって自信がつくだろう。
「そうすれば生徒自身が意欲的に勉強に取り組むはずだ」
自信がついた生徒はもっと達成感を味わうために主体的に勉強を始める。
この一連の流れを生徒たちにさせてあげればきっと生徒は未来へはばたける素晴らしい人財となるだろう。
「私は常にこのことを念頭に置いて何事も取り組んできた。小さな達成感を味わわせ、自信をつけさせていったはずなのに気が付けば自信は憎悪へと変わっていた」
「親父……」
周りからすれば何の話か分からないかもしれない。
しかし、すべてを知っている俺たちからすればこれはカイトの話だと分かる。
「私にはそれをすることができなかった。だから諸君らにはどうか忘れないでほしい」
金岡先生は頭を下げた。
クラス中は戸惑いを隠せなかったが、きっと金岡先生は俺たちというよりもある一人に向かって頭を下げているのだろう。
そしてここでちょうどチャイムが鳴った。
「私からの授業は終わりだ。先ほど言ったことは忘れないでくれ」
金岡先生は教室を出て行こうとしたその時、待ったがかかった。
「ちょっと待てよ、親父」
「智也……」
「獏は確かに自信が憎悪に変わっていったさ。その気持ちは今でも変わらないさ」
「……そうか」
「でも、親父の教育に対する思いは本物だ。だからこそ僕は教師になって親父の教育を全否定したかったのさ」
父を否定するためには非常に勉強を頑張らなくてはならない。
その信念だけでここまで来れたのだろう。
「僕は親父が嫌いだった。でも親父がうらやましかったんだよ」
「うらやましい? なぜだ?」
金岡先生は困惑を隠せない。
「僕が勉強を頑張っているとき、親父は僕をそっちのけでほかの子供たちのために働いていた。家にある子供たちの手紙の数々を見れば人気があったのもわかる。そんな親父がうらやましく、そして親父に出会えた子供たちもうらやましかったのさ」
「智也……」
カイトが言ってた憎悪という感情。
それは果たして本当に憎悪であったのか、今の俺にははっきり違うと分かる。
「あれから僕は考えて今日結論を出した。僕は親父の委員長を継がない」
「……そうか。お前の決意が固いものなら私から言うことは何もない」
金岡先生は背を向け、今度こそ教室を出ようとしたが後ろの声はまだやまない。
「僕は頑張って親父のところまで上り詰める。そしてもしそこまで来たら僕のことを認めてほしい。そしてこういってほしいんだ。未来の教育は任せたぞ……と」
「ふん、なかなか生意気なことを言うようになったな」
その口調とは対照的に初めて金岡先生は笑顔を見せた。
長きにわたって止まっていた親子の時計。
その針はようやく十二時を指し、動き出したのだ。
「親父、これは僕たちからの感謝の色紙だ。受け取ってくれ」
カイトは色紙を前に持っていき、金岡先生へと渡した。
先ほど委員長に色紙を渡しに行くというのはうそだったのだろう。
なかなか粋な真似をしてくれる。
「みんな、ありがとう。君たちならいい教師になれる。未来の子供たちのためにもこの調子で頑張ってくれ」
金岡先生はしばらく色紙に目を通し、独り言のようにつぶやいた。
「僕がその席に座るまで誰にもそこに座らすな……か」
金岡先生は今度こそ背中を向け、教室を出て行った。
振り返るとき、何か光ったものが目に浮かんでいたようにも見えた。
「カイトさん、後悔はないですか?」
「ああ、むしろ清々しいよ。いろいろと面倒をかけたね」
「いえいえ、とんでもないです」
カイトは自らの鎖を壊し、空へと羽ばたいた。
そして憎み尊敬している父を追いかけ何度も高く羽ばたこうとしているのだ。
「これでカイトの大志は決まったな」
「ああ、僕の大志は教育界のトップになることさ」
教育界のトップは当たり前だがかなり難しい。
それでもカイトなら不思議といけそうな気がしてくるのだ。
「……金岡、教師はどうするの……?」
「両立できそうならするけど、無理そうならちょっと休憩にするさ」
委員長になるためには必ずしも教師になる必要はない。
むしろ教育のことを独学で知り尽くすほうが近道になるのかもしれないのだ。
「カイトさん、私から一つお願いがあります」
「なんだい?」
星海は一呼吸置き、こう語った。
「カイトさんは教育界のトップを目指す人間です。並大抵の努力では実現できないかもしれません。でも上に立つ者はみんなの憧れなんです。どうか私たちの希望だということは忘れないでください」
「星海ちゃん……ありがとう」
カイトは星海を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっと! 学校で何してるんですか!?」
「おや、学校じゃなければいいってことなのかい?」
「そういう意味じゃないですよ!」
二人でじゃれている姿を見て、心が癒される。
星海とカイトは今回の件と模擬授業で強く結ばれたはずだ。
「また一人、新しい大志を抱いたわね」
「ああ、俺もうれしいよ」
「今度は私の番かしらね?」
「そう焦ることはないさ。来るときが来れば必ず見つかるはずだ」
「それもそうね」
カイトも真の大志を抱き、その大志に向かって大きく羽ばたいた。
その羽は前よりも大きくなっていて、そして勇気を纏っていた。
「俺も認めたくはないがカイトを見習わなければな」
ここにいる仲間全員で大空へ自由に飛んでいきたい、そのことを再び実感したのであった。
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