ぬけがけ

五速 梁

第1話 ぬけがけ



「急に呼びだしたりして、どうしたの?」


 夜のファミレスで私を待ち構えていた裕美ひろみに、わたしは思わずそう問いかけていた。


「ごめんね。週末まで待てばよかったんだろうけど……どうしても待てなくて」


 裕美は眉を寄せ、眼鏡の奥の目を申し訳なさそうに伏せた。


「……で、話って何なの?」


 わたしは疲れているであろう裕美を、悪いと思いつつ急き立てた。


「うん、じゃあ言うね。……あのさ、一美かずみから聞いたんだけど、有紀ゆうき君とつきあってるって、本当?」


 声のトーンを落とし、挑むようにわたしを見上げた裕美に、わたしはそれまでの中途半端な笑みを引っ込めざるを得なくなった。


「どういうこと?あなただって知ってるでしょ?マネージャーと部員がつき合うのはご法度だって」


 わたしはあえて口調に厳しさをにじませた。それには、疑われるような位置に身を置いていることへの後ろめたさを誤魔化す意味もあった。


「それは知ってる。……でも、一美は絶対、怪しいって言うの。有紀君、普段は異性に興味ないようなふりをしてるけど、いつも一緒にいるマネージャーなら別かもしれないって」


 問い詰めるような物言いにわたしは 一瞬、たじろいだ。だが裕美の追及に、逆に言うべきことは言っておかなければ、そう気持ちが変化していった。


「あのね、いい機会だから言うけど、有紀君とつき合ってるのは一美。これは確かな話よ」


 わたしが意を決して言うと、裕美は「えっ」と目を丸くした。


「どうしてひかりがそんなこと、知ってるの?」


 わたしの言葉に裕美は追及を止め、顔中に不安の色をにじませた。


「ちょっとね。……見ちゃったのよ、二人が親し気に喋ってるところを」


「そんな……ひどい。絶対に「ぬけがけ」はしないって、約束したのに」


「わたしも「ぬけがけ」はしないって、いつも言ってるでしょ。たとえ約束してたって、一度でも破ったらあとはどうでもよくなるものよ」


「わたしって、おめでたい子だったんだわ。だって、一美もひかりも、小さいころから知ってるのに、マネージャーのひかり以外は安全だと思ってたんだから」


「そんなことないわよ。……いつもみんなに見られてるわたしより、行動パターンの違う子の方が、気づかれにくいと思う」


 わたしの言葉にあらためて怒りがわいてきたのか、裕美の目が険しくなった。


「どうする?決定的な現場を捉えて、一美を問い詰める?」


「現場って?」


 わたしは一瞬、言って良いものか躊躇した。が、気が付くと決定的な事を口にしていた。


「あのね……最近、二人が週末になると行ってる店があるんだ。わたしが知ってるってことをたぶん、二人は知らないと思う。恨まれてもいいなら、教えるけど」


 わたしの言葉に、裕美は俄かに目の色を変えた。


「教えて。どうせ向こうが「ぬけがけ」したんだもの。恨まれたって、いいわ」


                 ※


 民家を改造した小さなカフェは、わたしたちの学校からは離れており、生徒たちが出入りするような気配はみじんもなかった。


 わたしは裕美の背後に隠れるようにしてドアをくぐると、店員の案内を待たずに「奥よ」と囁いた。裕美は厳しい表情で歩き出すと、あるテーブルの手前で足を止めた。


「……有紀君。……一美」


 裕美の怒りに燃える声に、それまで楽し気に談笑していた二人が、弾かれたように振り向いた。


「……裕美」


 真っ青な顔で裕美を見たのは、有紀の方だった。


「有紀君。わたしをだましたわね。それに一美、これは何?「ぬけがけ」はしないっていう約束じゃなかったの?」


 一美は血の気こそ引いていたものの、裕美の登場に怯えている様子はなかった。


「仕方ないんじゃないかしら。だってあなたは「先生」でしょ、裕美?」


 一美の言葉に、裕美は怒りを露骨に表した。


「だったらなんなの?半年前、有紀君は私に「先生とずっと一緒にいたい」って言ってくれたのよ」


「でも年が十以上離れているし、きっと冷静になったのよ。よくあることじゃないかしら。思春期の子が、年の離れた男性教師に惹かれるってこと」


 男性、という言葉に反応したのか、裕美は目を吊り上げて有紀を問い詰めた。


「有紀君、そうなの?あなたやっぱり、女の子の方がいいの?」


 有紀――女子野球部のエースは、意を決したように裕美の目を見据えた。


「うん。僕はやっぱり、あなたとはつき合えない」


 有紀がそう答えるのとほぼ同時に、裕美が獣のような雄たけびを上げ、有紀に向かって突進した。次の瞬間、有紀の「うぐっ」というくぐもった呻き声が聞こえ、下腹部からナイフの柄が生えているのが見えた。


「ごめんね……これも一美が約束を破るから悪いのよ」


「なぜ……だって一美はあなたの……」


 有紀は最後まで言い終えることなく、床の上に崩れた。わたしはバッグの中から「ある物」を取りだすと、そっと裕美の背後に忍び寄った。


「私は悪くない、だって「ぬけがけ」なんてしなかったもの」


 取り乱しながら自己弁護を始めた裕美の背に、わたしは携えたナイフを振り下ろした。


「ひっ……ひかり。……あなたいったい、どうして」


「ごめんね、裕美。……あなただって、ずるいじゃない。昔は「お前が一番かわいい」って言ってくれたのに。女の子に惹かれるなんて、それじゃわたしの立場がないわ」


 わたしの言葉を聞きながら、裕美は有紀の身体に覆いかぶさるように、崩れ落ちた。


「……ふう。やっぱり裕美に教えるべきじゃなかったのかしら。こんな結果になるなんて」


 わたしがナイフを下ろしながら言うと、それまで事の成り行きを静観していた一美が、こちらを見て微笑んだ。


「なるべくしてなったのよ。だって裕美が一番最初に「ぬけがけ」したんだもの。小さいころからのつき合いなのにね」


 一美の口元は微笑んでいたが、よく見るとその目には何の感情も現れていなかった。


「でも……ごめんなさいね、あなたの「パパ」を殺しちゃって」


 わたしが詫びると、一美は「ううん、いいの。「ぬけがけ」した報いだわ」と言った。


「わたしが憎い?一美」


「憎いわけないじゃない。……だって、この世にたった一人の可愛い「弟」なのに」


                 〈了〉

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